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Author:伊藤美海 &愉快な仲間達
リラの成長記録誌へようこそ!!


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「気持ちが悪い」ことから逃げない子育て

こんにちは。7期の伊東です。

「泣いているのに、笑ってしまう」
みなさん、こんな経験ありますか?

私には6歳になる娘、「のんちゃん」がいるのですが、のんちゃんは怒られたり、悲しかったりする時、笑ってしまうのです。


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よく見ると、ほっぺに涙が‥

先日も保育園で遊んでいる時、のんちゃんは、お友達に髪飾りを持っていかれてしまい、困っていました。
何度「かえして」と言っても、お友達は返してくれません。
そして、困ったのんちゃんは、私の所に来て、「かえしてくれないの」と訴えます。

私は、「お友達に、『返してくれないと、のんちゃん困るの。嫌なの。何で返してくれないの?』って話してごらん」と言って、自分で伝えるように促しました。

のんちゃんは、何とか自分の言葉で伝えたのですが、それでもお友達は髪飾りを返してくれません。
私は、ちょっと離れた所から様子を見ていたのですが、次第に、のんちゃんの表情が泣き顔になっていくのが分かりました。

そして、肩を落として私の方に近づいてきて、「かえしてくれないの」と、半ベソをかきながら話すのです。

しかし、涙がポロポロこぼれる顔は、笑い顔。

私が、「のんちゃん、悲しかったら、わーん!って泣いていいんだよ」と言っても、「私、泣いてないもん」と意地を張ります。
「いやいや、泣いてますから」という突っ込みが出そうになりますが、のんちゃん、こんなことを普段でもやっているのです。

私に怒られている時も、まずは、顔を見ない。「もう、いいでしょ」と、話を逸らそうとする。そこにイラっとした私が、声を荒げて、「座りなさい。お顔を見て」と言って話をしていると、段々2人ともエスカレート。
そして、のんちゃんが泣いてしまうのですが、そんな時も、涙を流して泣いているのに、笑顔なのです。

実はこの、怒られている時に話を逸らそうとする癖、私も小さい頃、父に対してやっていたのです。泣き笑いこそありませんでしたが、おちゃらけて誤魔化そうとする所は、「俺と同じだなー」と思って見ています。


そしてある時、のんちゃんと2人で布団の中で話しました。

私が、「のんちゃんは何で、泣いてる時に笑っちゃうんだろうね?」と聞くと、のんちゃんは「気持ち悪いんだよね。泣いてるの」と答えたのです。

よく聞くと、「気持ちが悪い」というのは、居心地が悪く、嫌な気持ちなのだそうです。


確かに、のんちゃんの言うように、悲しみや怒り、怖さは「気持ちが悪い」。できれば、その場から早く立ち去りたい。感じているネガティブな思いから、逃れたい。

でも、笑おうが、忘れようが、話をすり替えようが、あるものはある。消えないんです。
消えたと思っていても、今度は別の場面で同じような状況になった時、消したはずの「あの思い」が重なって蘇ってくることって、みなさん思い当ると思います。

今、ウチでは、のんちゃんと一緒に、「泣き笑い大作戦」を試行錯誤中です。

「悲しいのに泣いているのって、違うよね」ではなくて、「そうだね、悲しいのって気持ち悪いよね。笑うと、無くなっちゃう気がするもんね。でもさ、『あースッキリした』みたいに、すごい気持ちよくはないんじゃない?」といった具合に、6歳の女の子の目線に合わせながら、どうやったら伝わるんだろうと、あの手この手で試みています。

娘には、今「気持ちが悪い」と思っている、怒りも、悲しみも、怖さも、消そうとしないで表現することが、実はありのままで楽に生きることなんだと知って欲しい。
そのためにも、まず親である自分が体現する。そして、そんな自分を見て、人として自然な在り方を学んで欲しい。

これから、幼少期に私が父親と実現できなかった、「ありのまま」でいられる関係を、娘と築いていきたいと思っています。


伊東 歩
これは、何でしょう!?


こんにちは。市川です。

リラのアイドル “ピーちゃん”は、いつもこのように可愛い姿で、写真に写ります。

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丸いフォルムが、とってもチャーミングです。

ですが先日、先生がピーちゃんを撮影すると、このような写真が撮れました。

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先生は、この写真のピーちゃんを見て、「何かに似ている…」と、思いました。
しかし先生は、このピーちゃんが一体何に似ているのか、なかなか、思い出せませんでした。
「何だろう…。思い出せない…

その後先生は、一時間ほど悩み、そして、ひらめきました

「わかった!“塩コショウ入れ”だっ!!!」

そうです。
キッチン用品売り場に並んでいそうな、このフォルム…。
間違いなく、“塩コショウ入れ”です。

私は、毎日のようにピーちゃんの写真を撮りますが、このようなピーちゃんは、初めてです。
この希少なピーちゃんの写真を、マルチーズくらいの大きさに引き伸ばし、早速、事務所の壁に貼りました。

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巨大です…。

そして、毎日この写真を眺めているうちに、先生は、またひらめいたのです!
「“つまようじ入れ”にも似ているっ!

確かに、“つまようじ入れ”です…。


先日、お腹を壊して病院に行ったピーちゃんでしたが、今ではすっかり元気になり、今日も私のメガネをぶんどって、我がもの顔です。

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ピーちゃん 「市川のメガネは、ピーちゃんのモノだ〜っ!」
市川 「ピーちゃん、何も見えないよ〜」


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ピーちゃん 「元気になったピ〜!」



市川みどり




〜 交流会&勉強会・初コラボの巻 〜

こんにちは。7期生の高橋です。

待ちに待った、8期ベーシックコースが始動した直後の4月30日(祝)。
新しいエネルギーと活気に満ちたリラ・アカデミーにて、恒例の交流会が開催されました

今回のテーマは「新たなる一歩に向けて」〜等身大の自分とは?〜 でした。

期待に胸を膨らませながら、ありのままの自分を携え、自信を持って新たな一歩を踏み出してもらえたら…。そんな思いから、4月にふさわしいテーマを考えました。

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開始時間になり、ぞくぞくと参加者が会場入り。
今月も、大勢の方にご参加いただき、始まる前から会場はすでに熱気ムンムンです!
あっという間に、お部屋は参加者の皆さんで一杯に…


メインワークは、城戸ちゃん担当の、「チャクラ瞑想」でした。

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「是非やらせて欲しい」と、初めてワークの担当に立候補した城戸ちゃん。一ヶ月前から、自宅で、時にはリラのスペースをお借りして、コツコツと練習に励みました。
比較的長い30分間の瞑想は、本当にあっという間で、一体感を肌で感じられた、気持ちのいいワークとなりました。

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「チャクラ瞑想」の後は、前回同様、リーディング・ヒーリング大会を行いました。

7つの小グループに分かれ、カードリーディング、過去生リーディング、オーラ・チャクラリーディングなどを使いながら、参加者の等身大や、直面している課題を探っていきました。
その間、希望者の方は、ヒーリング効果絶大であり、しかも自分の課題のヒントも得られる、クリスタルヒーリングを受けてもらいました。

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スクール生として、一般参加の方を積極的にリードする8期生の姿も
実に頼もしく今後の活躍が楽しみ


私と同じグループになった一般参加者のSさんは、ヒステリックな母親に対する怒りを抑圧し続けた結果、対人恐怖になり苦しんでいました。

その場にいたメンバーは、幼少期のエピソードを聞きながら、Sさんの母親に対して、だんだん腹が立ってきました。
「そんなの理不尽だよ!ホント腹が立つ
「そこ、怒ってもいいとこだよ?もっと怒っていいんだよ!」
母親でもある一般参加者のKさんも、感情を露わにして、Sさんに語りかけます。

すると、緊張でこわばっていたSさんの顔が、だんだん緩んでいったのです。

メンバーの皆からの言葉により、母親に対する怒りは正当だし、感情を表現してもいいんだと、これまでの認識が変化したようでした。このように、感じて当然の怒りに本人がピンときていなくて、周りから言われて「そうなのか」と納得することは、よくあることなのです。

このあとSさんは、勉強会にも引き続き参加されました。

今回初の試みとして、交流会の後に、「人格統合勉強会」を開催しました。スクール生を含め、総勢26名の参加者。こんなに大人数で行う勉強会は、私にとっては初めてのこと。

小グループに分かれて行われたディスカッションでは、Sさんがスクール生に交じって、積極的に発言していたのが印象的でした。対人恐怖があるにも関わらず、初対面の人とのディスカッションに積極的に参加したSさん。そのひたむきさ、「成長したい」「変わりたい」という意欲的な姿を見て、同じように対人緊張を抱えている私は、「自分も頑張らねば」と改めて思いました。

Sさんご自身も、ディスカッションにおいて、共感したり、色々な気づきを得られたようです。

実はSさん、交流会で、自分の怒りが正当なものであることがわかってきたものの、一方で「こんな自分なのに、お母さんのことを怒る資格があるのだろうか」という想いがあったようです。

しかし、7期生のがっきーの、「僕も二人の子どもの親。親にとって、小さい頃の子どもって、本当にかわいいって思う。子供はそれだけで、もう十分、親孝行をしているって思うよ」という言葉を聞いて、Sさんは「怒ってもいいんだ」と心底思えたようで、霧が晴れたような表情をしていました。

さらに、スクール生による家族との取り組みの話を聞くなかで、母親への怒りを出していくことが、ご自身の課題を乗り越えていく上で大事なんだということを、だんだん理解されている様子でした。

その後、大きな輪になっての全員参加のグループシェアでも、スクール生中心のディスカッションが展開する中、Sさんは熱心に聞いていました。

そして、勉強会が終わる頃には、心なしか清々しい表情をしていたのが、とても印象的でした


東京では初の試みとなる、交流会・勉強会の同時開催でしたが、両方に参加することで、より深い気づきや、新たな視点を得られた1日になりました。

今後も、楽しみながら気づきを得られるような企画を考えていきたいと思っています。
どうぞお楽しみに


次回交流会は6月17日(日)、リラ・アカデミーにて開催されます。

高橋美雪
自然体って、何だろう?

こんにちは、7期生の依田です。

この一年で、私が一番成長したと感じるところ。
それは、「頑張ること」に自分の存在意義を感じていた私が、「頑張ること」をやめて、「自然体」を意識できるようになったことです。

私は、リラのスクールが始まってから、それはもう至るところで、「頑張る、頑張る、頑張る」ことを前面にやってきました。

そうしているうちに、頑張ってもうまくいかないことがあった時、たとえ自分がやりたくて始めたことでも、「こんなに頑張っているのに、どうして、誰もわかってくれないの。どうして、うまくいかないの」と、悲観妄想や被害者意識に転じてしまうことも度々でした。

私が頑張る理由。
それは、「頑張っている私を見て!」「私を認めて!」「私を必要として!」「私を愛して!」という欲求であり、その奥にあるのは、誰かに認めてもらわなければ、自分で自分を認めることができない、自己肯定感の無さでした。
先生は、そんな私の頑張りを認めてくださりながらも、
「依田は、頑張ることをやめること。そうでないと、いつか潰れるよ」と、教えてくださっていました。

しかし私は、「頑張ることをやめること」が、一体どういうことなのか、はじめは理解できませんでした。頑張らない自分なんて、存在意義がなくなり、何もできない別人になってしまうのではないかと、不安な気持ちを抱えていたのです。

そんな中、チームのために奮闘し続けた私の頑張りはピークに達し、ある時、限界を迎えました。突然、チームや仲間に意識を向けることが、できなくなったのです。
それは、「人のために、チームのために」という意識に偏って、自分を抑圧していたため、「私を見て! 私の話しを聞いて!」という欲求が、水面下で大きくなり、爆発したからです。

思い返すと、私は昔から、友人と会話をする時など、無意識のうちに聞き手になることが多かったように思います。最近になっても、リラの勉強会や交流会、仲間とのやり取りの中などで、自分の話をせずに、相手の話を聞くことばかりに集中していました。
その裏には、「役に立つ自分でいたい」「必要とされる自分でいたい」という、人から認められたいという意識があったことも、後から気づきました。

認められたい気持ちが強ければ強いほど、途端に力が入り、自然体とは程遠くなってしまう私。
そんな私は、先生と二人きりでお話しをする個人セッションでは、先生に良い所を見せようとする意識が働いて、いつも肩肘を張ってしまっていました。
それを見た先生は、ある日のセッションで、私がもっとリラックスして、自然体でいられるようにと、床に寝そべってお話することを、提案してくださったのでした。
そして、その次のセッションでは、なんと、ビールとおつまみを用意してくださったのです!

その日以来、私がセッションを受ける際には、先生と二人で床に姿勢を崩し、ビールを飲みながらお話しをしてもらっていることが多いです。
私は、先生のこのような、斬新で自由な発想に、とても感動しました。
こうしてセッションをして頂くことで、肩肘を張らずに、リラックスして先生と話せる自分を感じられました。

そのセッションの中で、先生が教えてくださったこと。

「頑張る人、私は好きだよ。だけど、頑張る人は、いつか必ずどこかで潰れる。もし、あなたが潰れたら、7期チームのダメージは大きい。潰れないためには、もっと自然体になること。

チームワークとは、自分を犠牲にして人に尽くすことではない。自分が一番過ごしやすくて、自分が一番輝く在り方を、一人一人が追求する。それが、本物のチームなんだよ。」


私の目を真っ直ぐに見つめて、このように語りかけてくださる先生の在り方に心が震え、ここから私は本気で、「頑張らないこと」を取り組んでいこうと思ったのです。

そして私は、いつでも誰の前でも自然体でいるために、頑張ることを一切やめるという「頑張らないワーク」を、先生から提案して頂き、仲間の支えのもと実践しはじめました。

この時に先生は、美海ぶろぐの中でも、私たちにメッセージを投げかけてくださっています。 「頑張るカルマ」

こうして、「頑張らないワーク」を始めてみると、今までの私は、いかに自然体からほど遠く、無理にテンションを上げて、元気で優秀な自分を演じてきたかということが、身に染みることの連続でした。

仲間にも、自分の話を無理なく話せるようになり、勉強会や交流会でも、浮き足立ったテンションになったり、妙に緊張することが減っていきました。その中で、「頑張らなくても普通にできるんだ!」という、自分への信頼と自信を、ゆっくり着実に、積み重ねてきています。

この一年間、自分から逃げなかったからこそ、自分の限界や不自然さを知ることができました。
そして何よりも、「『やらなきゃ』という義務感ではなく、『やりたい』という欲求のみに従い続けること」「自然体でいること」の大切さが、今は骨身に染みています。

そして今、こうして自然体を心がけて、頑張ることを一切やめたことで、自分の本性が露呈されてきています。

それは、どこかで自分さえ良ければいいと思っている、身勝手な感性。人を人とも思わないような軽薄な自分。そこに表れるのは、思わず目を背けたくなるような、私の実態でした。

それでも私は、自分自身の闇から逃げずに、向き合っていこうという覚悟があります。

今までの人生で、自分にとって都合の悪いことから逃げ続けてきた私が、今こうして逃げずに向き合おうと自然に思えるところにも、一年間取り組んできたことでの成長を、感じています。

これだけ私が成長できたのは、私以上に、私のことを理解してくださる先生のご指導と愛情のおかげです。そして、どんな自分も受け入れてくれる先生や仲間と、真っ向から向き合ってきた自分の中に、自信と誇りを育てることができたからです

以前の記事、「親に貫く‥by 伊東」にもあるように、7期生は今、チームとしてのチャレンジに向けての、準備期間を与えてもらっています。
半年後の、中級本番の学びへ向けて、確実な結果を出せるよう、引き続き自然体で取り組み、更なる成長を目指していきたいと思います。


依田 真由美
6期で身をもって知ったこと

8期生の木村美緒です。
私は2年前、6期生としてスクールに入りました。

それ以来 、今までにないほど、スクールの皆と濃密に関わり合ってきました。時には、仲間同士のぶつかり合いもありました。だからこそ、上っ面なやり取りでは気づくことができない、互いのカルマパターンを知ったり、仲間を反面教師としたりと、深い学びを共有することができたのです。私自身、リラで学ぶ以前と比べて、家族との在り方の変化や、「不出来な自分でも、いいんだ」という自己受容など、 確実に成長したという実感があります。

しかし、スクールは、「真のチーム、真のリーダー」を目指して学ぶところです。個人として成長したとはいえ、6期を「真のチーム」として成功させるには、まだまだ未熟な自分でした。そのため、2年間を通して、充実感だけでなく、仲間との別れやチームの崩壊という空しさも経験してきたのです。そして先日、6期としての最後の授業を迎えました。

その授業の後、先生から、「1年を振り返ってということで、りらぶろぐの記事を書いてみたら?」と提案して頂きました。「アセンションの失敗は、こうやって起こるんだってことを、あなたは身をもって体験している訳だから」と。

なぜ、6期が崩壊してしまったのか。私なりに出した答えは、結局、皆が自分のことしか考えられなかったからだと感じています。「自分さえよければいい」、という保身にまみれた結果、「人のことはどうでもいい」という在り方を続けていました。それ故、お互い本音でぶつかり合うことも、教育しあうことも出来ず、チームを築くまでに至らなかったのです。


ここで、6期での私自身の保身について、振り返りたいと思います。

当時、私は交流会委員を担っていました。交流会をより良くする為に、「どうすれば、私たちがリラで学んでいることを、参加者の方に分かりやすく伝えることが出来るのか。そして、もっと交流会に参加しやすくするには、どうしたらいいだろう?」と、6期全員で考えていました。ですが、なかなか結果に結びつきません。

その時、6期総リーダーだったのは、プライドカルマが活性化していた、むっちゃんでした。むっちゃんは、結果が出ていないことだけを見て、私たちを責め、交流会委員から出たアイデアも「そんなの駄目でしょ」と、否定ばかりしていたのです。しかし、むっちゃんは、実際には、交流会の企画や運営には一切関与せず、時には、交流会そのものにさえ参加しないという有様でした。

今では、自分の事を棚に上げ、人の失敗ばかり責めていたむっちゃんに、なぜ疑問さえ抱かなかったのかと悔しい思いでいっぱいです。

しかし、当時の私は、「むっちゃんに何か言うと倍になって言い返されるから、何も言わないでおこう」という、自分のことしか考えない在り方だったのです。そんな、「自分が痛い思いをしたくないから」という保身が、チームのエネルギーを停滞させる原因となってしまいました。そして更に、人の批判はするけれど、自分の在り方を省みないというむっちゃんのプライドカルマを、暴走させることになってしまったのです。

先生は、何度も、むっちゃんに対してものを言えない私たちに、「思ったままを言えばいいんだよ」と教えて下さっていました。例えば、むっちゃんの見下すような言葉を聞いて、どう感じるのかと先生に問われた私は、「この女、ムカつく・・・!と、思ってます」と正直に答えました。すると先生は、「それを、そのまま言えばいいんだって! お前、ムカつくんだよって」と仰ったのです。

そこまで手取り足取り教えて頂いたにも関わらず、痛い思いをしたくなかった私たちは、結局最後まで、むっちゃんに対して、ものが言えないということを続けていました。
交流会のことを根に持っていた私は、腹の中では「むっちゃんがミスリードをしたから、チームがおかしくなったんだ」と思い続けていたにも関わらずです。

そして、6期最後の授業の後、谷田さんと、マロ、私の3人で、「なぜ、6期が解散、崩壊に至ったのか」という話になったのですが、私はそこでも、むっちゃんだけに責任を押し付けるような話をしていたのです。

その話を先生にお伝えしたところ、先生は仰いました。
「私は鈴木(むっちゃん)がいたから、6期が引き締まった部分もあると思ってるよ。もし、鈴木が、本音でぶつかり合えている7期に入っていたら、あそこまで彼女のプライドカルマが活性化しただろうか? 6期が崩壊したのは、チームの中でお互いに教育し合えなかったからで、鈴木1人の責任ではないという話は、何度もしてるよね? まだ、そんなこと言っているの?」と。

そのあと私は、6期のコミュニティブログを読み返し、自分の書いたコメントを読み直しました。そこでようやく、先生の言っていることがわかってきたのです。そして、自分のコメントのあまりの酷さに、愕然としました。

自分が書いたコメントは、「長いものに巻かれる」状態そのものでした。
むっちゃんが言っていることに同調し、追い打ちを駆けるように、相手の不出来さを責める。自分が非難していたむっちゃんの在り方と、そのまま同じことをしていたのです。

しかも、なぜ同じことをしたのかというと、「むっちゃんも他の人も厳しいコメントをしているから、私も同じようなコメントをしておかないと、また、むっちゃんから責められるんじゃないか」という、保身にまみれた意識からでした。まるで、むっちゃんを盾にして、自分は安全な場所から爆弾を投げているかのようでした。

それにも関わらず、チームが崩壊したら、責任を全てむっちゃんに押し付ける。自分を守るために、むっちゃんを利用していただけだったのです。

私は、「自分は、人として終わっている」と思いました。本当に、涙が出るほど、自分の事を情けないと思ったのです。

これは、私だけではなく、6期生のほとんどが同じことをやっていたと思います。「自分さえよければいい」と思っている人たちの集まりが、チームを築けるはずがありません。
結局、6期の崩壊は、「チーム全員による保身」が招いた結果だったのではないかと思います。

スクールで、1年以上共に学び、お互いの家族でも知らないようなことを話し、同じ目標に向かっていた仲間が辞めていく寂しさ、空しさは、私の表現力では表せないほどです。もう、先生の講義を6期の仲間と共有できないのです。どんどん崩壊していく6期に対して、7期は、本音をぶつけあいながら信頼関係を築き、上昇気流を作っていく。そんな7期生を見る度に、辞めていった6期生を思い出し、「なんで、辞めちゃったんだ!」と悔しい思いが止まりませんでした。

自分のことしか考えられず、相手のことを真剣に思いやれなかった6期の崩壊は、アセンションの失敗と同じこと。もし、6期の崩壊のようなことが、家族に、そして、自分の身の回りに起きたら・・・。考えるだけでも、ぞっとしてしまいます。

もう二度と同じことは繰り返したくありません。私は、また、8期生としてスクールに入り、再度「チームをつくること」に挑戦します。

私は、6期の崩壊から、人を失う辛さを肌で感じました。「自分さえよければいい」という保身が、こんなに人を悲しませ、苦しませる。私は、そんな人間にはなりたくないと強く思います。
6期崩壊から、まだまだ学ぶことは沢山あります。「失敗から学ぶ」という姿勢を忘れず、8期生としてチームを引っ張る一員になれるように日々精進したいと思います。

追記:
6期の最後の授業に、先生は、フォアグラのお話をしてくれました。フォアグラがどうやって作られるのか。
「拷問されるカモ」と題してyoutubeに画像がアップされていて、それを見た先生がお話をして下さったのです。そして、私たちも実際にその映像を見ました。それは本当に残酷で、目を背けたくなるものでした。

人間の身勝手により命を粗末にされる鴨を見て、「こんな人間だけにはなりたくない。ありえない」と、見た当初は思っていました。しかし、行き過ぎた欲求を満たすために、同じ命あるものに対してここまで無残な事ができる人間の身勝手さは、間違いなく私にもあるものです。

6期での「自分さえよければ」という自分の在り方と、同じなのです。ですから、闇雲に「ありえない」とするのではなく、自分にも同じ要素があると自覚したうえで、「自分はどうしたいのか?」を考える事が必要だと思います。

最後に、「拷問されるカモ」の映像のリンクを貼ります。
(動画は、リンク先のページの真ん中にあります。)

フォアグラが作られるまで

ちなみに先生は、この映像をご覧になられてすぐ「自分に出来る事は何だろう」と、この映像の最後に出てくるNPO法人「アニマルライツセンター」の会員になられたそうです。


木村 美緒
親に改めて、怒りを伝える!

こんにちは、7期スクール生の優実です

遡ること数か月前、先生にセッションをしていただいている時、私はこんな質問をさせてもらいました。
「私はチーム7期の中で、どんなポジションなんでしょうか?」

すると先生は、こんなことを仰いました。
「優実は、怪獣だね

みなさん、先生が仰る「怪獣」とは、何のことだと思いますか?実は私の中には、怪獣の様に破壊的に怒る分裂人格がいるのです。
ベーシックスクールの一年で、私がどのように「親との取り組み」を進めてきたのか、そして、取り組みを通して私の中の「怪獣」がどのように成長したのか、皆さんにお伝えしたいと思います。

伊藤先生は、「人の中にあるカルマパターンのほとんどは、親のカルマパターンを受け継いだものだ」と言われます。
そして、「親から受け継いだカルマパターン」を繰り返さないために「怒りや憤りをはじめとする、親に伝えられていなかった気持ちを、直接伝えること」が大切であると、繰り返し私たちに指導して下さっています。
親のカルマパターンを心底嫌悪して、怒りを表現し、「これが私という人間だ!あなた達のようにはならない」と自己を貫き通すことで、先祖代々受け継がれてきたカルマパターンを、克服することが可能となるのです。

リラで学ぶようになってから、私は、自分の中にある「親に対する怒り」の根深さに気づきました。それは、「私が必要な時に、親が愛情を与えてくれなかったこと」に対する怒りです。
この怒りを親にぶつけるという取り組みは、私にとっては、とても大きなターニングポイントとなりました。

幼少期の頃の私の母親は、私に過保護なほどに世話を焼いてくる一方で、怒るととてもヒステリックになる人でした。私が母にとって気に入らないことをすると叱りつけ、その後は、育児放棄をするのです。

例えば、小学生の私が学校に体操服を持っていくのを忘れた時。食事の配膳を手伝おうとした私が料理をこぼした時。ゲームに夢中になって夜更かしをし、風邪をひいた時。
母は私に激怒しました。私が何も言わなければ一度殴られるくらいで済むのですが、口答えをすると、何度も殴られます。私の物を、勝手に捨てられることもありました。
そしてその後は決まって、一日ほど私を無視しました。無視する間はもちろん、食事を食べさせてくれません。
こうした経験を何回もするうちに、「いつか母親に捨てられるのでは」という不安が、私の心に常につきまとうようになりました。

そして、私はこう思い込むようになりました。「お母さんが怒って無視するのは、出来の悪い私の事が嫌いだからだ。私は悪い子だから、お母さんからだけでなく、誰からも愛されないに違いない」と。
こうして生まれた人格が、良い子人格の「ヒトミ」です。

ヒトミはいつも人の顔色を伺いながら日常を過ごし、学校のクラスメイトに対しても、「私のこと嫌いなんだろうな」と思いながらビクビク接していました。そして、「いつも笑顔の明るい子になれば、少しでも、みんなに好いてもらえるかもしれない」と思い、作り笑いばかりしていました。

しかし、中学生になる頃には、私の周りには「友達」と呼べる人はほとんどいなくなりました。今思えば、作り笑いばかりして本心を人に明かさないヒトミの態度が、クラスメイトを遠ざけていたのだと思います。
「笑顔を作りさえすれば、愛される」と信じて頑張っていたヒトミは、その現実を目の前に絶望し、「どんなに頑張っても、結局、私は誰にも愛されないんだ」と思いました。その思い込みからくる孤独感に、14歳のヒトミは、耐えることはできませんでした。
そしてヒトミはついに、服薬自殺を企て、実行したのです。

薬を大量に飲み、病院に運び込まれた私に、「なんで自殺未遂なんてしたの?」と両親は聞きました。
ヒトミにこんなにも孤独を感じさせたのは、そもそも母親です。しかし、「ダメな自分が悪い。母は悪くないんだ」と思い込んでいたヒトミが、母親を責めることはありませんでした。
そしてヒトミは、自殺しようとした理由を、「学校で友達ができなかったから」とだけ答えたのです。

その返答を聞いた母は、私の表面的な言葉を鵜呑みにするだけで、自分の「今までの親としての在り方」を振り返ろうとはしませんでした。
そしてその後、両親は私の自殺未遂の話題に一切触れず、私が死のうとしたことなどなかったかのように、振る舞い続けたのです。

私はそんな親の態度を見て、「私は死にたくなるほど苦んでいたのに、何故親は、あれ以来話を聞いてこないのだろう」という疑問と苛立ちを、わずかながらですが、感じました。
しかしその時は、「自殺未遂なんかして、親に迷惑をかけた。なんて悪いことをしてしまったんだろう」というヒトミの自責に支配されていたので、親に、その疑問や怒りを伝えることが出来なかったのです。

私の自殺未遂のいきさつを聞いた伊藤先生は、「そんな子供の生死に関わる一大事なのに、子供の心の内側で何が起きていたのか、積極的に話を聞こうとしない親がおかしい。優実はそんな親を恨んで当然だ」と仰いました。

その先生の一言で、私の中に大きなどよめきが起こりました。
ヒトミは、「私が悪いんじゃなくて、親が悪かったの?」と驚きました。

それと同時に、私の中でメラメラ怒りに燃え始める人格を感じました。
怒り人格の「珠理」です。
珠理は、自分を理解しようとしない親に激しい怒りを抱え続けていました。彼女は怒りをストレートに出すことが出来る人格なのです。しかし、「私が悪いのだから、人に怒るなんてとんでもない」というヒトミに押さえつけられ、思う存分に怒ることができませんでした。

先生に「恨んで当然」と言っていただいたことにより、珠理は「やっぱり親がおかしいんじゃねーか!むかつく!あいつらにこの怒りを伝えなきゃ、気が済まねぇ!!」と叫びました。
まさに、怪獣です。

先生は、美海ぶろぐの「通り魔的復讐」という記事で、こう教えて下さっています。
「『親への怒り』をきちんと親に向けないことにより、ほとんどの人間が、人生の中で出合う様々な人たちへ『親への怒り』を撒き散らす。これはまさに、通り魔的復讐だ」と。

こうして自分の気持ちを親にぶつけることを指導して下さる先生のお話に触れ、珠理は思いました。
「このまま親への怒りを抑圧し続けるということは、周りの人間に八つ当たりして生きてくってことだろ?そんなダッセー生き方したくねーよ!」
そして、この勢いに乗り、珠理は両親に怒りをぶつけました。

「私が自殺未遂をしたとき、あなたたちは私に何をしてくれたの?私が親だったら、死ぬほど苦しんでる子供の気持ちを出来るだけ聞きたいし、支えたいと思う。なのに二人はあの後、話を聞こうともしなかった。それがどれだけ親としてあり得ないことか、分かっているのか!?」

始めは、珠理の怒りに驚き「優実だって、私達に悩みを相談しようとしなかったじゃないか」と言い返していた両親でしたが、珠理は引きさがらずに、自分の主張を伝え続けました。
「私は自殺未遂をした時、苦しい気持ちを聞いて欲しかった。それをかつて二人がしてくれなかったことを、ずっと根に持ってきたんだ。それを今からでも、聞いて欲しい。謝って欲しいわけじゃない。ただこの気持ちを、受け入れて欲しいんだ」と。

こうして諦めずに粘り強く話し続けていくうちに、両親は段々と、私の気持ちを分かってくれたようでした。
そして最後には、「優実が、私達と分かり合っていきたいという気持ちが伝わった。これからは何でも話してね。私たちも何かあったら、優実に相談するから」と言ってくれたのです。

しかし、この言葉を聞いたからといって、良い子人格「ヒトミ」の苦しみが全てなくなったわけではありません。
ヒトミは今まで「自分が悪いのだから、母に無視されて当然だ」と思い、「無視されて辛かった」という自分の気持ちすら、否定してきました。この自己否定は、ヒトミに更なる苦しみを与えました。
しかし、怒り人格「珠理」が親に怒りを伝えたことにより、ヒトミはようやく、「私が辛かったという気持ちは、否定することじゃないんだ。ちゃんと表現すべきことなんだ」と気付きました。

今度はヒトミ自身の口から、辛かった気持ちを母に伝えていきます。自分の気持ちを否定せずに表現することによって、自分自身を信じられるようになることが、今のヒトミの目標です。

そして、ヒトミの気持ちを母親が理解してくれたとき、珠理の「親に理解してもらえない」という憤りも、晴れるのだと思います。
今後ヒトミが親に気持ちを話す時は、珠理が良きアドバイザーになってくれるでしょう。

人格同士はこうやって教育し合っていくのだと、先生は教えて下さいました。

今回、珠理が両親への怒りをきちんと両親にぶつけることができたのは、先生の仰る「通り魔的復讐」を止めるための、大きな一歩です。
今はまだ、怒りを爆発させることしかできてないけれど、これからは「本当は愛されたかったんだ」という気持ちを親に伝えていきたいです。
親への復讐心を撒き散らして、大切な物を壊さない自分になるために。
自分や、大切な人を、心から大事にしていくために。

私の人格たちが「愛して欲しい」と素直に親に伝えられた時、次はどんな成長が待っているのでしょうか。
これからの自分の成長を、とても楽しみに思います。

半年後に向けて、やるべきことをやる

先日行われた、中級最初の授業。そこで、私達7期の中級としての本格的な学びは、半年後に始動することになりました。

私達は、チームというものを通じて、人との関わり合いの中で、スピリチュアルリーダーを目指すためにスクールに入学しました。そして、スクールの中級は、ベーシックでの学びをリーダーとして実践する、いわば本番だと、日頃から先生に教えてもらっていました。

しかし、中級スタートの時点で、私達7期はリーダーとしての学びに意識が追いついていなかったのです。

アセンション真っ只中の今年、私達一人ひとりの意識が、全体に与える影響は計り知れないのだと分かっていながら、いつまでたっても、人のことを自分のことのように考えられない。
「チームのためには」と意識を向けようとしても、それがハートから湧き起こる衝動ではなく、頭での理解でしかない。それが「やらねば」という義務感となってしまう。気がつけば個人の課題に終始してしまい、チームワークが成り立たない。

そこで先生は、「まず、この半年間を、『チームとリーダー』の本格的な学びへの準備期間としてはどうか」と、提案してくださったのです。

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その半年の間に、「チームとリーダー」の学びに足りないものを、個々が明確にした上で、その課題に対して確実に結果を出す。そして、半年後に、中級本番の学びをスタートさせる。

先生は、現在の7期の状態から先々を見越して、かなりハードルを下げてくださったのです。情けないのですが、今の私達にとって、それが最善の道だと思いました。

そして、2日間の授業で先生に教えていただいたことから、半年後の始動に向けて見えてきた課題。
それは、「表現とコミュニケーション」、さらに「親との取り組み」でした。

それぞれに抱えるパターンはあるものの、「自分のことに囚われる」問題の根っこは、親との関係にあることがほとんど。
これまでの親との関わり合いで、自分の欲求を素直に伝えることをせず、本心を抑え込んだり、違和感を感じても流してしまったり、そもそも親と分かち合うことを最初から諦めていたり。

そんなことを親との間でずっと繰り返してきたから、人生のいろいろな場面でも、同じようなパターンを繰り返す。

先生からこのお話を聞いていた中級の二日目、くみちゃんは、今まで蓋をしてきた親に対する感情が溢れてきました。

くみちゃんは、小さい時からお母さんのことが大好きでした。だから、お父さんの気性の激しさを嫌っていたお母さんに対して、自分の気性の激しさを出さないように抑えていました。しかしある時、お母さんに対して怒りをぶつけた際に、「あなたは本当に、お父さんそっくりね」と、憎々しげに言われたのです。

大好きなお母さんから言われたこの一言で、くみちゃんは傷つき、悲しみとともに自分を責めました。そして、父親譲りの気性の激しさを、嫌悪することを心に決めたのです。この出来事を、くみちゃんは「自分自身を去勢した」と表現しました。

それ以来、くみちゃんは、気性の激しさという自分の個性を徹底的に封印して、違う自分になろうと努力してきました。しかし、その行きつく先は、「鬱」だったのです。

お母さんからの一言。それを言われた時の悲しみや悔しさが噴き出してきたくみちゃんに、先生は、「元々持っている気性の激しさを取り戻して、親と向き合うことが必要だ」と話されました。そうすれば、鬱も改善してくるだろうと。

そして、親とのカルマを清算していくには、とことんコミュニケーションをとること。あの手この手で、表現を尽くして自分の思いを伝えて、自分自身を貫くこと。
自分を貫こうと親に向き合う中で、親と同じカルマだったり、親によって活性化されたカルマに向き合うことになる。
そこで、「自分はこう思うんだ」「それって、おかしいだろ」と主張して、親という壁を突破しようとすることで、自分を貫き通す力が養われる。それが、現実社会で試練を乗り越える力や、長いものに巻かれない力になるのだと、先生は教えてくださいました。

さらに、親は反面教師であるべきだとも。
反面教師となった親のダメな所から目を逸らさないで、子が親を乗り越える。そのまた子が親を越えるということの繰り返しで、人類の霊的進化がなされる。
そして、親との取り組みを通じて、試練を与えてくれることや、それによって得た人間的な成長も全部ひっくるめて、親に本当の感謝ができる人間になって欲しいと、先生は話されたのです。

これから7期生は、今まで以上に、親との取り組みを集中的にやっていきます。この半年間は、後半の半年間に控えている中級の本格的な学びに向けて、そして自分の人生と向き合うための、大事な期間となります。

実は、この半年間の過ごし方について、私は不安を抱えていました。
私は今まで、「チームとしての、リーダーとしての在り方を学ぶんだ!」と自分を追い込むことで、厳しい状況を乗り越えてきました。ですから、準備期間という猶予があると、それに甘んじてしまうのではないかと思ったのです。

そんな私に、先生は、「だったら、あなた、この半年間のリーダーをやってみたら?」と仰ったのです。
「こういう状況でのリーダーシップって、何だろう」と意識していけば、甘んじることなく、準備期間が過ごせるのではと教えてくださいました。

私の場合、人をリードしようとすると、押しつけになってしまうという課題があります。

今回の授業の中で、先生は、
「相手が、何に悩んで、憤って、悲しんでいるのかにチューニングを合わせて、その核心に触れて、愛をもって包み込む。
核心の遠くから、『こうでしょ、ああでしょ』と言葉を投げかけても、相手には届かないんだよ」
と話してくださいました。

それを聞いて、「あー、そうだ。俺がリードしようとして、6期でも、そして今でもやっていることは、ただ遠くから言葉を投げていただけだった」と感じました。
「相手の目線にチューニングを合わせない」「核心に触れない」のは、自分の親との関係そのもの。
やはり私も、この半年のやるべきことは、ここです。親とのコミュニケーションで自分を貫き、親を越える。

自分の課題と向き合いながら、半年後に本格始動できるよう、実践していきます。


伊東 歩

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