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私の選んだ道

こんにちは。7期生の舞子です。

4月に突入し、新たなスタートをきった人たちも、多いかと思います。リラでも、先週から新たに「カルマ清算コース」が始まりました。
このコースは、霊的探求者としての土台を形成する場所で、人格統合を中心に、自身のカルマ清算を徹底的に行うコースです。
そして、カルマ清算をするうえで最も重要なのは、人と人が本音で関わり合うこと。
伊藤先生は、「カルマの99%以上が、自分の感情や意思をありのままに表現し、人と十分なコミュニケーションをとることによって解消される」と仰います。
そのため、コースの初月は、受講生一人一人の自己紹介に丸2日間という時間をかけて、お互いを深く知るところから始まります。

2年前、私も7期生としてコースが始まった時、みんなの前で緊張しながらも自己紹介したことを、鮮明に思い出します。
そして、7期、8期、予備校、それぞれの修了生の大半が、このカルマ清算コースに進んでいる中、本来なら、私もカルマ清算コースの受講生として、自己紹介の場所にいたはずでした。

しかし、私は、みんなとは違う道を選び、新たなスタートを切ったのです。
それは、以前りらぶろぐでもお伝えしたように、私はスクールを一旦リタイアして、一般クライアントとしてカルマ清算に取り組む道を選びました。

ですので、このように私の想いをりらぶろぐで綴るのは、しばらくの間なくなります。
それを思うと、今、様々な想いがかけ巡ります。
私にとって、大きな節目となる今回のりらぶろぐでは、今の心境や、一般クライアントの道を選んだ経緯を、お伝えしたいと思います。


私が、これからの1年間、一般クライアントとして取り組むことを選んだ理由。それは、これまでの2年間の学びを、しっかりと振り返るためです。

この2年間は、もしリラに出会わず普通に過ごしていたならば、一生かかっても気づけなかったであろうことに気づくことができたり、何十年分もの学びを得られたりと、本当に言葉では表しつくせないほど、濃密なものでした。
そして、それは正直、とてもハードな2年間でもあったのです。

現在、私には5歳になる娘がいます。育児に加えて、ヨガインストラクターの仕事をあちこちでやるだけでも、目一杯な日々。そんな中で、私は衝動に掻き立てられるように、リラでの学びを2年前にスタートさせました。
やりたいことも、社会的な役割も、人一倍多い私。ですが、私という人間は一人しかいません。そんな中で、全てを着実に進めていくには、その都度、何が最も重要かを瞬時に判断し、優先順位を明確にして過ごすことが、必要不可欠でした。しかし、私は、いつまでも物事の優先順位が見極められず、ただただ忙しさに翻弄され、結果的に何もかもが中途半端になってしまっていました。それが、自分で自分の成長を足止めしてしまう、最大の原因になっていることに、気づいたのです。

これこそが、まさに私のカルマパターンでした。
そもそも、何転生にも及んで繰り返してきたカルマパターンを克服するには、当然、生半可な気持ちでは挑めません。人であれば誰しもが、根深いカルマパターンを持っていて、それを克服するには、一定期間、リラの取り組みを最優先にする覚悟が必要なのです。
2年前、私がスクールに入学することを決めた時、先生から「これからの数年は、リラの取り組みを最優先できるように、まず時間を確保すること」と、教えてもらっていました。
それにも関わらず、私は、カルマ清算に臨む者としての準備が、全く整わない状態でスタートをきってしまったのです。しかも、その準備不足の状態が、この2年間で全く改善されないまま、ここまできてしまいました。

振り返ると、私は人生で、いつもこれを繰り返してきてしまっています。
はたから見ると、それ相応の成功をおさめてきているように見られがちな私ですが、実際には、自分が心から満足できるような結果が得られたことは、これまでにありません。
何のためにやるのか、なぜそれをやるのかという目的を途中で見失い、「こんなはずじゃなかったのに」と思うようなことを、これまでもしてきていました。

その証拠に、私は、リラでたくさんの失態をしてきているにもかかわらず、その経験を生かすことができず、同じようなことを繰り返してしまっていました。

先生は、常にこう仰います。
「リラは、失敗をやらかしに来る場所。失敗を恐れる者は、成長しない」。
失敗をすることで人が成長するには、その失敗をつぶさに振り返り、何が原因でそうなったのか、そして、今後同じことを繰り返さないようにするためにはどうしたらいいのかを、徹底的に見つめること。そうすることで、過去の傷は、勲章になるのだと、先生は教えてくださいます。

私は、リラで学ぶ中で、「たとえ失敗をしたとしても、それを振り返らなければ、その経験は、どこにも生かされることはないのだ」と、自分自身を通じて、つくづく痛感したのです。

そこで、私は考えました。今の自分に、一番必要なことは何なのか。
そこで出た答えは、これまでの2年間を振り返り、とりこぼしてしまった学びを拾いにいくことでした。そのためには、まず、物理的な時間のゆとりが必要だと感じたのです。

「カルマ清算コースを受講する中で、過去を振り返ればいいのでは」とも、考えました。
ですが、カルマ清算コースで本格的に学ぶとなると、当然、メンバーとの衝突や、カルマの噴き出しも起こります。本来なら、この、人と人との関わり合いがあるからこそ、カルマパターンを克服するに至るはずですが、今の自分の段階では、また目の前の出来事に翻弄されてしまうことが想像できてしまったのです。
だとしたら、一度、一般クライアントに戻り、ペースを緩め、ひたすら自分自身の過去と向き合う取り組みに集中することが、自分自身の等身大だと思い至りました。

そして、私の目標は、「カルマ清算を一生かけて取り組むこと」。それを思った時、今ここで、等身大以上の選択をして、無理をして息切れしてしまっては本末転倒。それこそが、私のカルマパターンに委ねた在り方になってしまうと思ったのです。

ただ、先生との距離が今までよりも遠くなること、そして、共に学ぶ仲間と接する機会が少なくなることで、カルマにのまれやすくなるというのも事実。
それを思った時、「はたして、自分で軸を保ち続けられるのだろうか」と、とても不安になることもあります。

そんな不安がよぎった時、私は、昨年度3月に行われた、7期生としての、最後の授業を思い出すのです。


最後の授業を終え、共に学んだ仲間が次々と帰っていく中、ガランとしたリラのリビングを、私は一人で眺めていました。その時の私は、これまでに味わったことのないような気持ちが押し寄せてきて、思わず涙がこみあげてきたのです。
その気持ちとは、先生や、仲間と離れることへの寂しさや、不安感でした。

膝を抱えて、うずくまっている私に、「どうした?」と声をかけられました。顔を上げると、そこには伊藤先生の姿がありました。
先生の顔を見たとたん、私の心が緩んで、さらに涙が止まらなくなったのです。
そこで、私は自分の想いを、全て伝えようと思い、先生に話し始めました。

本当はすごく、寂しいということ。
こんな気持ちは初めてで、戸惑っているということ。
よく、ここまで踏ん張ったなと、自分を労う気持ち。
スクール生として学び続けるという望みが叶わなくて、無念な気持ち。
スクールから離れることで、カルマにのまれてしまうのではないかという怖さ。
また、必ず、スクール生としての学びの場に、戻って来るという意志。

先生は、ただただ静かに温かく、私の気持ちを聞いてくださいました。

そこへ、別の部屋にいた、くみこ、まゆ、はるか、ケンケンも、様子を感じとってリビングに集まり、私を囲んで話を聞いてくれました。

そこで、先生は「7期生として入学したスクール生の中で、この2年間で最も私との距離を縮めて、生き残った3人」と、くみこと、まゆと私のことを、称えてくださいました。
さらには、「その中でも、舞子は最も激しいふるいにかかった。それでいて、よく踏ん張ったね」とも話してくださったのです。
先生の言葉によって、私は、さらに感情が溢れ出し、「本当に、きつかったんです」と、声を上げて激しく泣きました。


そうです。私はこれまで、モデルやヨガインストラクターなど、世間でもてはやされることが多い華々しい業界に身を置いてきたため、リラで露わになる自分の実態との落差に、身を砕かれるような想いを何度も味わってきたのです。
その、露わになった自分の実態とは、世間で評価されていた能力が、結局は、不出来な自分を隠すための、鎧のようなものでしかなかったこと。その鎧が剥がされて、でてきた本当の姿は、とても弱く、自信のない、人として一番大事なハートや人間力が、著しく欠けている自分でした。

カルマが噴き出した時、これでもかというくらい、自分の未熟さを突きつけられた私は、どれほどのたうちまわったことか。
私の中の、プライドカルマを抱える分裂人格は、「私が、そんなはずはない」と、自分の至らなさを受け止めない。一方で、逃避カルマを抱える分裂人格は、「もう無理だよ。こんなに頑張る必要、あるのかよ」と、私を逃避地獄へズルズルと引きずりこむ。
ときには鬱状態に陥り、ときには家族に八つ当たりしたこともありました。それでも、私は、何があってもあきらめてはなるものかと、意地でもしがみつきたい想いで踏ん張ったのです。

これが、自分対自分の戦いなのかと、実感しました。自分の中にある、「成長したい」という愛に基づく気持ちと、それを邪魔するカルマの引力。

ここまで、私が必死になって踏ん張れたのは、なぜなのか。
それは、「あれほど手を尽くしてくれて、あれほど私の中の闇を共有してくれて、私と真剣に向き合ってくれた先生を、裏切るわけにはいかない」という強い想いがあったから。
そして、「ここで逃げたとしても、その後いったいどんな顔をして、家族と共に生活をするというのか。自分自身に背を向けた私が、目の前にいる大切な家族を、大事にできるわけがない」と思ったから。
さらには、そんな私のことを心から想って、手を差し伸べてくれた仲間がいたからです。

私を大事にしてくれる人がいる。その人たちの存在を、私の中で感じられるようになった。だから私は、その人たちを裏切らない生き方を選びたい。その強い想いが、結果として、自分と向き合う力になったのです。


こうして、先生に見守られながら、仲間と共に過ごした、あの最後の時間は、とても切なく、離れがたく、同時に温かくもありました。
先生は、「こうしてみんなと過ごした時間が、のちに原動力となるんだよ」と仰いました。
先生の仰るとおりで、この日のことを思い出すと、今でも胸が熱くなり、感慨深い気持ちでいっぱいになります。不安な時、カルマにのまれてしまいそうな時は、この時のことを思い出し、これからの糧にしていきます。

改めて振り返ると、リラで学び始めた時からは、想像もつかなかった自分の姿が、ここにあります。
一つは、自分がこれほど至らなくて、愚かだと知ったこと。
そして、もう一つは、これほど先生と仲間を大事に想う気持ちが、私に芽生えたことです。

これまで、囚われてしがみついてきたものがガラガラと崩れ去り、空っぽになったと思いきや、そのポッカリ空いたスペースには、先生の存在、仲間の存在がありました。これは、私にとって思いがけないギフトでした。
リラで学ぶ中で自身の闇と向き合い、数々の苦しみを味わったからこそ、先生やみんなから与えられた愛情が、より一層、喜ばしく思えたのです。

先生は、このように仰います。
「人が幸せになるために必要なのは、知識でも能力でもなく、何かを達成したかでもない。どれだけ人と分かち合えるかなのだ」。

先生の、この言葉の意味を、少しずつ体感してきています。

これからの1年間は、伊藤先生のセッションを月に1回受けさせて頂きながら、取り組みをしていくことになります。
さまざまな想いがある中で、一般クライアントになる選択をした私。何が何でも、この1年間を無駄にするわけにはいきません。
これまで共に学んできた仲間たちとは、違う道を歩みながらも、これからも変わらず、同じ方向を向き続けていこうと思っています。

過去の経験を宝に変えて、成長した姿で、1年後にまた戻ってこられるように。
また、このりらぶろぐで、リラでの学びをお伝えできる日が来るように。
これまでの2年間、分裂人格のカルマの引力に負けることなく、愛に向かうことを選び続けた自分に誇りを持って、これからの1年間、頑張って精一杯取り組んでいきます。


芥川 舞子

【2013/04/22 17:09】 | スクール7期生


いでちゃん
舞子さん

お話していた課題を、一緒に学びませんか?

土台となる環境を安定させてから、また私を教えてくれる機会につながってゆけば嬉しいです。






はるか
まいこ、お疲れ様。
一旦コースを離れ、新しい道に進む、締めくくりの記事。
添削という形で一緒に作れてうれしかったよ。

添削する中でも、文章を読んでまいこの気持ちを感じて涙したり、まいこのパターンと私のパターンが引き合ってケンカになったりと、この短い期間でも、とても思い出深い記事になった。


改めて読んで、まいこの気持ちが伝わってくるよ。
先生や仲間を大切に思う気持ちがどんどん大きくなっていったこと、一緒に過ごした期間はまだ短いけど、感じてたよ。

私も、新しい期にまいこがいないのが不思議で、淋しかった。

1年後にまた一緒にスクール生として学ぶことを目標に、私も取り組み頑張っていくね。


佐々木
舞子さん
記事ありがとうございました。

予備校やセッションでお世話になったこと、改めて蘇ってきました。

>「リラは、失敗をやらかしに来る場所。失敗を恐れる者は、成長しない」。

舞子さんが身を以て示し続けてくれたこと、私も立ち向かっていきたいと思います。
また1年後会えるの楽しみにしています。




たま
舞ちゃん

私の目標は、「カルマ清算を一生かけて取り組むこと」。

舞ちゃんがこう書いているのを読んで、そうだな、一生の取り組みなのだなと思いました。
等身大を受け入れて、一般クライアントの道を選んだ舞ちゃんの永い一生の中の大きな選択なんだなと思った。

一年後、宝物を携えて、更に魅力的になった舞ちゃんに会えること楽しみにしているよ。


ぶん
まいちゃん、

>そして、私の目標は、「カルマ清算を一生かけて取り組むこと」。

コースの初日にまいちゃんがいないこと、
僕も本当に不思議な感覚だった。
でも、感傷的になることはなかった。

それは、まいちゃんが、
(カルマ清算を)続けるために一般になるんだ
と話した時の声、表情を今でも覚えてるから。

まいちゃんがセッションや予備校で話してくれたことも、
コースが始まってからも、何度も蘇ってくるよ。


1年間、いや一生、僕も頑張るね。


ヌー
舞子ちゃん

なんて表現すればいいのかわからないんだけど、舞子ちゃんのありのままの気持ちが伝わってきました。
そして、どうしてかわからないけど、ハートにズキュンときて涙がこぼれてきます。

私は地道に自分のペースで、軸がぶれながらも頑張っています。

舞子ちゃんも自分のペースで頑張って欲しいと思いました。




miki
舞ちゃん

記事読んで、いろんな複雑な気持ちがあるよ。

舞ちゃんは、そう決めたんだね。
1年後の成長した舞ちゃんと、また一緒に学びたい。


よしみ
舞ちゃん

これからもカルマ清算を続けていくために、
今の等身大の決断をしたということ、伝わってきたよ。
本当に、きついところを経験して踏ん張った舞ちゃん、すごいと思う。
逃げずに乗り越えてこれたのは、先生や皆との絆が、舞ちゃんを繋いできたからだったんやね。

私も一年後、舞ちゃんとリラで再会したい。


ミオ
舞ちゃん

記事、読んだよ。
なんだか言葉につまる。

先生の言葉、何かを達成したとかではなく、どれだけ人と分かち合えたかということ。

ここを読んで、胸があつくなった。

一年後、お互い成長した姿で会いたい。そう思ってるよ。


まいこ

この一年、これから先の、まいこの人生の大きな分かれ道になると思う。

ここまで3年間、カルマ清算に取り組んできたけど、先生がいなかったら、無理だった。

そして、一緒に学ぶ仲間がいたことの大きさ。

これからまいこは、それをより実感すると思う。

今まで以上に、厳しい道、覚悟をもって挑んで欲しい。

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支えあった仲間たち、そして、新たなステージへ

こんにちは。7期生の舞子です。
前回のりらぶろぐでは、私が予備校講師を経て、どれほどの成長を遂げたのかをお伝えしました。

私には、予備校講師をさせて頂いた中で、もうひとつ喜ばしかったことがあります。
それは、同じ7期生のあゆたん、くみこと共に、この予備校を講師として1年間、やり遂げたことです。

リラに予備校が開設されたのは、今から3年前。今期で3度目となる予備校でしたが、実はこれまで、予備校講師が1年間を通して、同じメンバーだったことはありません。
それは、過去に予備校講師を務めていた人たちが、自らのカルマの噴出しに耐えられず、自分自身の取り組みがおざなりになってしまい、講師という立場から外れざるをえなかったからです。
それが、今期の予備校では、あゆたんとくみこと私が、3人そろって最後の授業を迎えることができました。これについて、先生は「快挙」だと仰いました。

リラが設立されてからの10年間、先生は一切の妥協なく、ご自身の意志を貫き続けてきたために、リラで学ぶ人たちの意識レベルも、年々上がってきています。
先生は、この「快挙」も、その表れだと話してくださいました。さらには、講師3人のチームワークの良さも、1年間やり遂げたことの大きな要因になっていたと感じています。

以前の記事でもお伝えした通り、私たち予備校講師は、予備校の授業後、先生から、真夜中にまで及ぶご指導を受けさせてもらいます。そのため、予備校の日の夜はリラに宿泊させて頂くことが、私たち3人にとって、もはや定番となっていました。
こうして、先生からのご指導を受ける時間だけでなく、寝食を共にしたことも、私たちの絆を深め、チームワークを育むための大切な時間となったのです。
なかでも、3人で川の字になって寝っころがり、明け方まで語り合ったことは、私にとって忘れがたい思い出として、胸に刻まれています。

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3人が着ている鳥派と犬派のTシャツは、先生から頂いたもの。予備校講師のユニフォームです!

そして、予備校生と一緒に、最後の授業を迎えることができたのも、喜びがひとしおでした。
なぜなら、今期の予備校は波乱が続き、いつになくリタイア者が多かったからです。次々と仲間が去っていく中で、最後の授業を迎えた予備校生は、わずか3人。決して多くない人数ではありますが、残った3人の予備校生は、さまざまな苦難を乗り越え、ここにいる。だからこそ、この最後の授業というものが、とても感慨深いものとなりました。

そして、最後の授業の夜には、予備校メンバーでささやかなパーティを開催させて頂いたのですが、その席には、休日でパジャマ姿の伊藤先生も、来てくださったのです。
先生の「一年間頑張った予備校生を、労ってあげたい」という心づかいと、予備校生の「先生や、講師の3人に感謝を伝えたい」という気持ちが合わさって、心温まるパーティとなりました。

予備校生から、先生と講師へ花束が贈呈されるシーンでは、私の中にある、メンバー一人ひとりに対する想いが、走馬灯のようにかけ巡っていました。

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まずは、予備校生の本山さんから伊藤先生へ、真っ赤なバラの花束が渡されました。
リラ歴6年の大先輩でもある本山さんは、予備校生のみならず、多くのスクール生を支え、リードしてきてくれました。しかし、かつての本山さんは、今の在り方から想像もつかないほど、たくさんの失態を重ねてきたのです。先生が、本山さんのことを話す時、「私は過去に、本山のことを何度ぶっ殺してやろうと思ったことか」と仰るほど。それが今では、どんなに酷い状態であっても、諦めないで取り組むことで、人は変わっていけるのだということを、身をもって証明してくれました。そんな本山さんの姿は、失態続きの私にとって、大きな希望となっています。

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そして、私は予備校生ぶんちゃんから。
ぶんちゃんは元7期生で、私と同期でもあります。同期でスタートしたところから、1年後に、講師と生徒という立場に分かれ、ぶんちゃんが低迷する時期も見てきました。どん底に陥ったところから、強い意志を持ち続け這い上がり、今ではみんなをリードする存在にまで急成長を遂げた、ぶんちゃん。その姿を目の当たりにして、私は本当に嬉しかったのです。

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くみこは、予備校生さえちゃんから。
地方から頑張って通い続けた、さえちゃん。一見、おとなしそうなさえちゃんですが、内に秘めた情熱、意志の強さを隠し持っています。1年前は、人前に出ると頭が真っ白になってしまって話せなくなっていたところから、今ではとても自然に、みんなの前で自分の気持ちを表現できるようになりました。

さらには、同じ7期生で、一緒に予備校講師を務めたくみことは、予備校の授業中にみんなを前にして、本気で喧嘩をしたことも。
くみこと私は、お互いに親や兄弟を投影してしまい、ぶつかり合いが生じることもありました。しかし、それほど特別で、近い存在だからこそのぶつかり合いでした。
そして、くみこは私がどん底の時期に、何度も何度も励まし、一番近くで支えてくれました。くみこがそばにいてくれるだけで救われたことは、数知れずありました。

と、ここで、アレ?  誰かが、いない‥。そうです。忘れてはならない、その名はあゆたん。
実はこの時、予備校生の人数が少ないため、あゆたんに花束を渡す人がいない状態でした。あゆたんは、予備校生に「ちょっと待っててもらえますか」と言われたものの、「じゃあ、自分で‥」と、自ら花束を取りに行く始末。あゆたん、いつもこんな役回りです‥。

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花束と一緒にプレゼントされた、鳥さんキーホルダーに話しかける、切ないあゆたん。

しかし、そんなあゆたんは、6期生の頃から先生に「金メダリスト」と評されるほど、すさまじい霊的探求力と熱いハートの持ち主で、この間、一貫してリラを支え続けている実力者です。
予備校生に対して、あゆたんは自分自身の在り方そのもので、霊的探求者としてのお手本を示し続けてくれました。私は、その姿を隣で見ながら、本当にたくさんのことを学ばせてもらいました。

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1年間、やり遂げたことへの誇り。そして、このメンバーで学ぶのは、これが最後だということへの寂しさ。色々な気持ちが、静かに、そしてじんわりと湧き上がる最後の夜となりました。

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先生からは、「まるで、本物の家族のようだね」と言われるほどになった私たち。

そして、私たちは新たなステージへ向かって、歩んでいきます。
あゆたんとくみこ、予備校生3人は、4月からスタートする「カルマ清算コース」へ。
そして、私はというと、スクールを一度リタイアして、一般クライアントとしてカルマ清算していくことを決意しました。
私が、このような決意に至った経緯は、また後日、りらぶろぐでお伝えしたいと思います。

これまで、2回にわたってお伝えしてきた、予備校での学び。これらの経験を通じて、私は、人に対する威圧感が緩和されて、周囲の人から「雰囲気が柔らかくなった」「以前よりも、近く感じる」と、たびたび言われるほどの変化を遂げました。
この変化は、さまざまな人間関係にも反映されています。家族や職場の人、友人との間にも壁がなくなり、今まで以上に、お互いに親しみを感じられるようになりました。

また、私には継続力がないことも課題です。これまでの人生を振り返っても、新しいものにすぐ飛びついて、物事を継続させてこなかった結果、コツコツと積み上げることが苦手でした。
しかし、そんな私でも、リラでスクール生として2年間、予備校講師として1年間やり遂げられたことは、とても大きな自信になりました。なぜなら、リラでの数年というものは、通常の年月の何倍もの濃密な時間をもたらします。
今まで見過ごしてきたことに日々立ち止まり、意識を向け、見つめることをしていると、1日が1週間、また、1週間が1か月にも相当するのです。
ですから、私にとってリラで2年間やり遂げたことは、そのほかの物事を2年間やり遂げることとは比べものにならないほど、価値あることだと自負しています。

これは、決して自分一人では、やり遂げられなかったことです。「先生のもとで、学び続けたい」「みんなで一緒に、最後の授業を迎えたい」という目標を共にした、仲間がいたから。人との絆が、私にとっての支えとなったのです。

先生は、いつもこのように仰います。
「本音で生きることは、時として、人を失うこともある。しかし、そういったリスクを負いながらも、自分自身の心に忠実であることを選び続ければ、本物の絆で結ばれた人間関係が築けるのだ」と。

心の奥深くから繋がった人間関係が、どれほど生きる支えになるのか。そして、どれほど自分を満たしてくれるのかを痛感した私は、これからも、自分自身の心に忠実であることを、選び続けたいです。

最後になりますが、みんなは新たなコースへ進むのに対して、私は一般クライアントになることを選んだことで、これまでのように、お互いの成長が近くで見られなくなります。
それを思うと、正直、ものすごく寂しいのです。
しかし、この寂しい気持ちを抱き続けたいと、今は思っています。なぜなら、寂しさを感じることで、なおさら一年後、またスクール生として共に学ぶことができるように、努力していこうと強く思えるからです。

みんなと過ごした、このかけがえのない時間を胸に刻みながら、一年後、またスクールで会える日が必ず訪れるように、精一杯頑張っていきます。


芥川 舞子

【2013/04/03 23:57】 | スクール7期生


ぶん
まいちゃん、

記事ありがとう。
読んで、予備校での1年間、そして最後の夜のパーティを思い出して、ただただ温かい気持ちで一杯になって、言葉にならない。

最後のパーティで先生をお迎えした時、予備校の授業で先生にお会いすることはなかったけども、講師の3人を通して、ずっとずっと先生に僕達予備校生は見守られ、そしてご指導いただいていたんだなあって、改めて感じてた。本当にありがたいことだなって。


まいちゃんと離れることは淋しいんだけど、前の記事でコメントしたように、まいちゃんとのことは心に刻まれている。だから感傷的になってはいない。
やることをやって、次、胸を張ってまいちゃんに会いたいなって思う。

あと、直接は会えなくても、ブログを読んでもらえたら嬉しい。
そして、何やってんだと感じたら、で? のコメントお願いね。






よしみ
舞ちゃん

読んでいて、人と人との絆を感じて、
胸が温かくなったよ。
一緒にいろんなことを乗り越えてきた
メンバー一人ひとりを思う舞ちゃんの
気持ちが伝わってくる。
一年間という期間の中で、
すごく密に関わりあってきたからこそやね。

皆の写真、すごくいい雰囲気出ているね。



佐々木
舞子さん
記事ありがとうございます。
読ませてもらって、私も改めて予備校の日々が蘇ってきました。

舞子さん、歩さん、くみさんには本当にたくさんのことを教えてもらいました。

1年間通して講師をしてもらえたもの大きいことだなと思いました。
3人のチームワークの良さと言ったら、ほかに出るものはいないと思います。
お互い支え合い、本音で言い合い、厳しさもあり
でも楽しくていつも笑い合っていたのがすごく印象に残っています。

予備校の最後にパーティをしてくださり、先生も参加してくださいました。
先生からいつも見守られているんだということが肌で感じられ、この時間が終わらなければいいのにって思っていました。
本当に貴重な時間を過ごさせてもらいました。

舞子さんには、なかなか会うことができなくなり寂しくなりますが、でもいつか会えるし、今度会えるときを楽しみにしています。

成長した姿を楽しみにしててくださいね、お母さん。






本山
舞子さん

記事をありがとうございます。

この1年間は、わたしにとって、とても貴重な1年間でした。

記事を読ませてもらって、そして写真をみて、予備校最終日のあたたかな瞬間が蘇ってきました。

先生や、講師の方々に、本当に支えてもらい、導かれ、日々充実した毎日でした。

特に講師の方々のチームワークの良さで、本当に私たち予備校生に安心を与えてもらいました。そしてこうやって本音を言い合えばいいのだと、まさに在り方で示してくれたのも講師の方々でした。

途中、仲間が去ったこともありましたが、そしてこうやって保身なくありのままに表現できるようになってきたのも、伊藤先生がいつも見守って下さり、そして講師の舞子さん・くみちゃん・あゆたん、そして仲間がいたからこそだと思います。

本当に感謝しています。

私の歩んできたこの6年間、どんなことがあっても諦めず取り組めば成長できるのだと示せるよう、少しでもみなさんの「希望」になれるよう、これからも一歩一歩進んでいきます。


荒川
舞子さん

予備校講師という大役を一年間やり遂げたのですね。

お疲れ様でした。

素敵な写真ですね。

とても温かいですね。

私は、舞子さんと数回しか会っていないのですがこの記事を読んで、なんとも言えない気持ちになりました。 

リラブログで舞子さんの記事を読めなくなってしまうのも淋しいです。

いつも、真摯に向き合う舞子さんにブログを通して、色々と影響されることも多かったです。

ですが、新たなスタートを切った舞子さんを応援しています。

記事を読んで、私もいつも自分の気持ちに正直に生きていきたい…と思いました。

またお会いできる日を楽しみに待っています。

ありがとうございました。




ともこ
舞子 記事ありがとう。

みんなへの気持ちが伝わってきて、心があたたかくなったよ。

写真、みんないい顔してるね。
先生に見守られながら、1年間、さまざまな苦難を乗り切ってきたからこその笑顔なんだなと感じたよ。


そして、リタイア者が続くなか、

>「本音で生きることは、時として、人を失うこともある。しかし、そういったリスクを負いながらも、自分自身の心に忠実であることを選び続ければ、本物の絆で結ばれた人間関係が築けるのだ」と。

先生の言葉が、ハートにじわじわと入ってくる感じがあって、涙が出てきた。

私は、舞子とみんなと本物の絆で結ばれていきたい。
その為に、人を失うことの痛みを、今、しっかりと感じたいと思ったよ。

舞子、ありがとう。


優実
舞子、記事ありがとう。

あゆむ、くみこと講師をやりとげたこと。
私も聞いて、すごく嬉しかった。

舞子、本当に雰囲気変わったんだよね。
あゆむとくみこと、家族みたい。
羨ましいなって、ちょっと思った。

先生のおっしゃる、本物の絆。
本音を貫いて、繋がり合えた仲間は、とても強い絆。
先生のもとで、そんな仲間と学べること、とても嬉しいです。

舞子。
また一緒に、仲間としてスタートする日が、待ち遠しい。
なんか…じんわり、泣けてきたよ。



まいこ

記事の添削をしながら、いろんなことを思い出していた。

もともと、リードする力の強いまいこが、講師三人の中で、真ん中に座ってしまうと、くみこと、俺が引っ込んでしまうからと、わざわざ、俺がセンターに座った。

それが、いつのまにか定番になったね。

でも、やっぱり、横に座るまいこの存在感は、大きかった。

リラでは、共に学ぶ中で、年齢や性別をいつのまにか越えてしまうのだけど、本当にそうだった。
まいこから、たくさん学ばせてもらったよ。


そして、毎回、深夜まで指導して下さる先生との、貴重な時間。

教えた先から学べる。
こんな生きた学びはないって、今も感じてる。

先生は、講師のことも、予備校生のことも、本当に包み込むように、愛情をかけてくれていた。
直接、接していない予備校生に対しても、常に「相手の気持ちを知ろうとする」という在り方で、心をかけてくれていた。

そんな先生の姿から、俺は、本当にこうなりたいと、心から思った。


もう、二度と来ないであろう、予備校という場で、この三人の講師での学び。

書いていて、涙がちょっと、滲む。

一期一会と言う言葉が、胸に迫る。

形は変わっても、魂の学び、共に続けよう。






ミオ
舞ちゃん

とてもいい記事だなって、心が温かくなった。
それと同時に、舞ちゃんが、スクールを離れること、さびしく思うよ。

予備校講師の3人の顔、とてもいい顔をしていて、こちらまで、嬉しくなってしまう。
予備校生であった、本山さん、ぶんちゃん、佐々木さんとの写真も素敵だね。

1年間、本当に濃密だったんだろうなって容易に想像がつく。リラで学べるって、本当にすごいことだよね。

舞ちゃん、一年後、またスクール生として会おうね。


はるか
まいこ、読んだよ。

まいこの気持ちがすごく伝わってくる。

あゆむ、くみこと1年間講師をやり遂げたこと。
本山さん、ぶんちゃん、さえちゃんとともに学び続けたこと。
先生がいてくださったこと。

やわらかくなったまいこの気持ちをすごく感じる。
みんなの写真にぎゅっと詰まってる。
写真を見るだけで、じーんとする。

先生が、期を越えてチームを作っていくってことをおっしゃっていた。
私も、本物の絆をみんなで作っていきたい。
まいこ、また一緒に学べる日のために、私も頑張るよ。

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予備校講師を経て

こんにちは。7期生の舞子です。
桜が咲くこの季節。巷では卒業シーズンで、別れと出会いを通じ、至るところでさまざまな想いが行き交っていることでしょう。

ここリラにおいても、節目を迎える人がたくさんいます。
私も、そのうちの1人です。
以前、りらぶろぐでもお伝えしましたが、私はこの1年間、スクール生としての学びだけではなく、予備校の講師としても学ばせて頂きました。
その予備校が、3月17日をもって、最後の授業となりました。

2年前の、7期ベーシックがスタートした当初、私は人を威圧するエネルギーを放っていると、先生からご指摘を受けていました。
14歳からモデルの仕事を始め、21歳でヨガのインストラクターに転身した私。モデルという華やかな世界に身を置いていたり、若くしてヨガを指導していたことから、世間から評価される機会が多かったのも事実です。
そのため、当初の私は、人の自己卑下の要素を引き出してしまい、リラのイベントなどで会う人に必ずと言っていいほど、「あなたを前にすると緊張する」「あなたには近寄りがたくて、気軽に話しかけられない」などと言われていました。
これは、私の分裂人格「マイコ様」に属するカルマパターンです。人より優れていること、能力が高いことにアイデンティティを見出し、デキる自分になるために努力する人格です。
しかしそれは、不出来な自分や弱い自分を隠すための努力であり、結局は、人より優位に立ちたいだけ。威圧感を放っているように見えてしまうのは、自分の能力や、優れている一部分を誇示することにより、人との差を見せつけ、優位に立とうとするプライドが、周囲にそのような印象を与えていたことが、徐々にわかってきたのです。

時代の進化をリードし、人々の成長を促すスピリチュアルリーダーを目指して学びに来ているというのに、人に威圧感を与えてしまっては本末転倒。真のリーダーには、なれません。
そんな状態を懸念した先生は、「あなたのこのパターンを克服するには、自己卑下の要素を抱えている人が多い予備校で、講師をすることが最も有効だ」と、予備校の講師になることを提案してくださったのです。

また、私が予備校の講師としてデビューを控えている時期に、先生はこのようにも話してくださいました。
「自分とは全く違うタイプの人で、相手の心がどんなに理解不能でも、分かろうとするために自分から歩み寄ること。リーダーや指導者たるものは、相手をリードしていくと同時に、相手の立場に立つことが必要なんだよ。そうしているうちに、あなたのその威圧的なエネルギーもきっと、和らいでくるはず。予備校生たちと、泥にまみれてガッツリ向き合ってきな! 頑張れ」と。

そんな中で始まった予備校でしたが、はじめのうちは「なんで、こんなこともわからないんだ!」「何回、同じことを言わせるんだ!」と怒鳴り、わめき散らしたこともありました。
さすがに「こんなに感情むき出しで、いいのだろうか」と戸惑う場面もあり、先生にご相談したこともありました。
先生は、そんな私に対して「100%で、ぶつかっていけばいいんだよ。その上で、至らないところを反省し、改めていけばいい」と、仰いました。そのおかげで、私は1年間、安心してありのままでいられたと感じています。

そして、ある時、私に大きな変化をもたらすきっかけが訪れました。
それは、予備校が中盤に差しかかった半年ほど前、プライドカルマが大きく炙り出された時のことです。
これまでも、何度か失態をして、チームに大きなダメージを与えてしまったことのある私ですが、そのことについて振り返らなかった結果、またもや度重なる失態を繰り返してしまいました。

自分の失態を放置した私が、予備校で講師を務めていること。それはつまり、自分の問題を棚に上げて、予備校生の問題に対して指導をするという、全くもって筋の通らない在り方をしてしまったということです。

こうして、だんだんと自分が偽物だったことが明らかになる中でも、相変わらず私は、自分自身の問題と向き合えず、やることなすこと全てが裏目に出てしまっていました。
私の主人格は「こんな自分をなんとかしたい」と思っているのに、分裂人格のカルマの引力に負けてしまい、先生や仲間に、何度も同じ指摘をされることが頻繁に起こりました。私は「これでもか」というくらい、自分の至らなさをとことん突きつけられたのです。
立ち上がろうとしても、自らの足につまづいて、崩れてしまうことを繰り返す。そんな日々は、言葉に表せないほど苦しいものでした。

しかし、今こうして私は踏ん張れています。その理由は、これまで先生が与えてくださった愛情があり、共に支え合う仲間がいたからなのは、言うまでもありません。
それに、私にはもうひとつ、支えられたものがありました。それが、予備校という場所です。
「ボロボロな状態の私が、一体どんな顔して講師をすればいいのだろう」と途方にくれていた時、私は、先生の言葉を思い出したのです。

「私はこれまで、どんなに自分の状態が酷くても、それを生徒に隠すことはなかった。優れた教師とは、自分の至らなさを晒し、失敗から学び、成長する姿を見せていける人なんだ」。

以前から、度々聞かせてもらってきたことでしたが、それまで以上に、先生のこの言葉が私に沁み入るのを感じました。
それから私は、先生に教えて頂いたことを胸に、「どんな自分も、そのまま晒そう。講師だからしっかりしなくては、なんて思わなくていいんだ」という気持ちで、予備校へ向かいました。

すると、それまでとは違う感覚が湧いてきました。
至らないなりにも、「成長したい、変わりたい」と奮闘している予備校生たちが、とても輝かしく見えたのです。そして、「自分と必死で向き合って、頑張っている人たちが目の前にいる。辛いのは、私だけじゃない。私も、頑張ろう」と、勇気づけられました。
また、予備校生に浮上している課題が、自分の課題とリンクすることばかりで、その人に向けて伝えたアドバイスが、その頃の自分自身にとって必要なことが、度々ありました。
さらには、予備校生たちが私を励ましてくれました。みんながかけてくれる言葉が本当に有難く、何度も救われました。
これらのことから、私は「教えている」というより、むしろ私が「学ばせてもらっている」という感覚が、強くなってきたのです。

私は、ヨガを教え始めて8年になります。これまでの私は、「生徒に心配される先生なんて、情けない!」と思っていたところがありました。そのため、「しっかりしなきゃ」と気負い、ありのままとは程遠くなってしまったのです。
しかし、「講師だから完璧でなければならない」という、ちっぽけなプライドのほうがよっぽど情けないと、今では思えます。
なぜなら、「完璧でなければならない」と思うあまり、いつの間にか完璧を装うことばかりに囚われて、不出来な部分を見つめようとしなかったから。そのせいで、学ぶチャンスをことごとく逃し、周囲の人から差しのべられた手を、ことごとく振り払ってしまったからです。

しかし、自分が不完全で未熟な人間だということを受け入れたことで、学ぼうとする姿勢が生まれ、これまでの景色が全く変わったのです。そして、周囲の人から差しのべられた手が、これほど有難いものだということも、感じられるようになりました。

先生は、生徒である私たちに向けて、「あなたたちから学び、私は成長した。あなたたちがいなければ、今の私はいない」と、いつも仰います。
この言葉には、先生の深い愛情と、私たち生徒に対する感謝や敬意が込められているのだということを感じて、そんな先生の生徒である自分に、よりいっそう喜びを憶えます。

予備校講師として、そして、伊藤先生の生徒として、さまざまな学びを得た、この1年間。
「教えることは、最大の学び」という先生の言葉の意味が、これほど身に沁みたことは、未だかつてありません。

次回のりらぶろぐでは、予備校で共に支えあった仲間への想いを、綴りたいと思います。
後篇に、続きます。


芥川 舞子




Dark Aspects of Society~社会の闇~

こんにちは、鈴木睦子です。

リラ・アカデミー公式サイト「Dark Aspects of Society」にてご紹介している、アニマルライツセンターからの情報です。
下記URLにて、中国で生きた亀などがキーホルダーとして販売されているということが、映像・写真と共に紹介されています。

http://oceanstory.org/news/live-animal-key-chains-china/

このページでは、反対署名を募っています。
※それぞれ、こちらから、署名が可能です。
 1)http://www.thepetitionsite.com/13/stop-the-selling-of-live-animals-as-key-chains/
 2)http://www.change.org/petitions/stop-living-creatures-being-sold-as-keyrings#

社会の闇をご自身の目で見て、そして、感じてみて下さい。



↓ご参考に、署名欄入力必須項目の日本語訳を、記載しておきます。
First Name (名)
Last Name (氏)
Country(国名 /Japan)
Street Adress(町名)
City(市区町村名)
Postal Code (郵便番号) 

don’t display my name → チェックを入れると、氏名が公開されません
Display my signature on Change.org → チェックを外すと、氏名が公開されません

(Optional)と書かれている欄は、入力必須項目ではありません。


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【2013/03/30 23:11】 | スクール7期生


まいこ

予備校の講師を共に、一年以上させてもらっていて、まいこの変化、本当に大きかったと感じるよ。

一言でいえば、やわらかくなった。

あと、口を出すタイミングが遅くなったね‥。
最初の頃は、予備校生の話を聞いていても、我慢できずにいち早く突っ込んでいたのが、思い出された。

やわらかくなったといっても、言うべきことは言うというのは、変わっていない。
そこ、本当に尊敬している。

一緒にいて、予備校生からもだけど、まいこから学ぶこと、たくさんあった。

そしてなにより、そんな自分たちを、深夜まで指導してくださる先生から学べたこと、本当に、かけがえのない学びだし、財産だと感じている。

自分が教えたことについて、その日の夜に指導して頂けることが、どれほど深い学びになったのかを思うと、本当にありがたいと思います。

まいこ同様、教えることは最大の学びだと、実感することができました。

むっちゃん

伝えてくれて、ありがとう。日本語訳、助かりました。

本当に、ありえない。
やっている人間もおかしいと思うが、それを伝えるメディアが、「最もホット」だとか抜かしているのが、やりきれない。

面白ければいいのか。
話題になれば、どんなに酷いことでも、面白おかしく垂れ流すのか。

そして、そんな感性が自分の中にもあること、自覚がある。くやしいが。

そうじゃない在り方を目指す。同じ穴のむじなでは終わらない。


ぶん
まいちゃん、

プライド・カルマが炙り出されてから後、
まいちゃんは自分の弱みを晒して、その上で僕達予備校生
のことを一緒に考えてくれた。
言葉にならないけど、あゆたんが言うようにすごくやわらかい
エネルギーを感じてた。

でも、今振り返って思い出すのは、
前半後半とか関係なく1年を通して、本当に真剣に僕たち
予備校生に向き合って、全力で指導してもらったということ。

まいちゃんに、予備校やセッションで教わったことは、
絶対に忘れないというより、心にしっかりと刻まれている。

本当にありがとう。


ぶん
むっちゃん、

リンク先のサイトを見て、絶句しました。
この人たちは、一体なんなんだ、
どんな闇を抱えているんだろうって。

まず、署名しました。
サイトも、これから読みこみます。
紹介ありがとうございます。


優実
舞子、記事ありがとう。

舞子が、予備校講師という立場を先生から提案していただいて、すごく得るものが大きかったことは色んなところで聞いていた。
けど、こうして記事で読んでいると、更にじんわりくるよ。

私自身、ぐちゃぐちゃな時も、先生の、「成長していく姿を見せるのが、優れた教師」というお話に何度も勇気付けられ、胸をはることができた。

そして舞子の記事を読んで、教えることを通して、自分の不出来も受け入れられるんだな、と、新しい視点をもらったよ。

次の記事も、すごく楽しみだ。



優実
むっちゃん、伝えてくれてありがとう。
「生きた亀」という文字を見て、目を疑った。
リンク先の映像を見て、苦しい…言葉を失った。

署名の日本語訳、ありがとう。
使わせてもらいます。




はるか
まいこ、記事ありがとう。

添削してたときから、まいこが一年間、予備校講師としてすごく実りある時間を過ごしたんだって感じていて、じーんとしていた。

それを見続けてきた先生、あゆむ、くみ、本山さん、ぶんちゃん、さえちゃん。
予備校最後の授業中に挨拶させてもらったときにも感じたけど、
みんなのあったかい感じ、1年間かけて作ってきたんだなって思ったよ。

まいこ、本当にやわらかくて近付きたくなる人になったよね。
先生の言葉を実体験として感じて、すごく成長したんだね。
私も、学ばせてもらうよ。


はるか
むつこさん、サイト見ました。
写真が、一瞬何だか良く分からなかった。
あ、亀だ、位に思った。
記事もそれ位の軽いノリに感じる。

キーホルダーとして、そのままカバンとかケータイに付けっ放しにしておくってことだよね?
生きた動物を?
どうして?

こんなことするやつらと同じ闇が自分の中にもあるんだ。
そっちは選ばない。

署名しました。


よしみ
舞ちゃん

コミュでも伝えたけど、舞ちゃん、柔らかくなって変わったね。
予備校講師の経験を通して、舞ちゃん自身が学んで、変化していった経緯が、よくわかったよ。

先生はいつも、先生と生徒はお互いに学び合ってると教えてくれてる。
そのことを、経験を通して実感できた、貴重な一年間の学びやったんね。
本当に、お疲れさまでした。

次の記事も待ってるね。


むつこさん

お知らせ読みました。
また、内容は改めて見させてもらいます。




たま
舞ちゃん

思えば、舞ちゃん、人を寄せ付けないオーラを放っていたよ。今では、人懐っこい笑みを見せてくれる。
「完璧でなければならない」は、自分も他の人も辛くしてしまう。
舞ちゃん自身も、随分、楽になったのではないですか?

それでいて、表現力の素晴らしさや切れの良さは、相変わらず素晴らしいと尊敬しています。
舞ちゃんが、予備校生に教えることを通して、育てられていく様子が分りました。
先生は、舞ちゃんや私たちが、最も良く成長する道を、常に示してくださっている。

後篇も楽しみに待っています。


睦子さん、この映像を見ると、知性の一かけらもない、むき出しの原始人と、同時代を共存している感じがします。
だけど、絶対に、この無知ゆえの残酷さが、自分の中にもあるのだと思いました。




本山
舞子さん

1年間本当にお世話になりました。

舞子さんはじめ、あゆたん、くみちゃん講師の方々は、自分の至らなさ、キツイ状態をもありのままに、いつも私たちに晒してくれました。

そしてそこから学び取って成長していく姿を私たちに示してくれました。

講師として、私たちを見守り、そして全力で向き合ってくれたこと、本当にありがたく思います。

そしてその奥で、先生が講師の方々を介して、いつも私たちを見守ってくれたことありがたいです。

舞子さんは以前も今も美しさは相変わらずですが、飾りっけなくオープンな笑いが可愛らしくとっても親しみやすいです。

むっちゃん

映像を見て、ずっしり重くなりました。愚かすぎる。人ってなんて愚かなんだ。でも、それが自分の中にもあるもの。

署名します。

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人がいてくれる、ありがたさ 

「みんな、いなくなる。みんな、自分のことしか考えていない。だれも助けてくれない」。

これは、今月行われた8期中級予備校が修了した翌日に、私の中から噴き出してきた思いです。
7期のメンバーで学ぶのも、今回のスクールが最後。そして、私自身は、来期はカルマ清算コースで、リーダーとしての土台作りに入るので、スクール生としての学びは、一区切り。

そう思って、これまでの3年間のことを振り返っていると、悲しみや虚しさ、憤りや喪失感など、様々な気持ちが私の胸に迫ってきたのです。

リラでカルマ清算の取り組みを始めて、3年。それはまるで、何十年も経ったかのような錯覚に陥るくらい、密度の濃い時間でした。今まで、誰にも言わずに、硬く蓋をしてきた思いを伝えたり、ことなかれ主義だった自分が、勇気を出して本気でぶつかったり、仲間の深い闇に触れて涙したり。

そんな、とてつもなく濃密な時間を共に過ごした、かけがえのない仲間。辛いときや、行き詰っているとき、「大丈夫、いつでも助けるよ」と言ってくれた仲間。

リラに集まっている仲間は、カルマ清算所という、ごまかしのきかない場所に自ら足を踏み入れた仲間たち。そこで、カルマ清算を通じて、真の霊的成長を果たすためには、時期が来れば、人として醜い自分を直視することは避けられません。

それが、至らない自分の実態を突きつけられたとたんに、「人のことなど、どうでもいい」と逃げていく。「一緒にチームをつくろう」と積み重ねてきた思いなど、まるで無かったかのように、去っていく。
そこで私は、人というのは、これほどまでに、自分の至らなさを直視できず、簡単に手のひらを返すのだと実感したのです。

この3年の間で、人間の本性というものを知るにつれ、私の中には、冒頭で述べた「所詮、人間なんて、簡単に人を捨ててしまえるものなんだ」というような思いが溜まっていたのです。その溜まっていたものが溢れて、「人なんて、そんなもの。だれも俺のことを、助けようなんて思っていない」という、諦めとも悲しみともつかない感情に呑みこまれ、身動きが取れない状態に陥ってしまいました。
そして、「3年間、ずっと助けてくれ続けたのは、先生だけ。いつも先生は、いてくれる。けれど、他のみんなは、結局、自分のことしか考えていない」という、人に対する不信感も渦巻いていました。

こうして、自分の心がどんどん閉じていくのを感じました。

そんな中で、なんとかこの状態から抜け出たいと思った時に、先日のスクールで、先生が「感謝」について話してくれたことを思い出したのです。
「人は、人によって支えられて生きている。それを、みんな気がつかないから、今、こうして生きていることに感謝ができない。感謝ができる人間になりたいのなら、まず、周りの人たちから支えられているという事実に、気づこうとすることが必要だ」と。

私は、7期の仲間ひとり一人の顔を思い浮かべながら、助けてもらってきたことを思い出しました。

私以上に、私のことで怒ってくれたこと。
体当たりで、喧嘩相手になってくれたこと。
私の悲しみに寄り添って、一緒に泣いてくれたこと。
私の成長を、心から喜んで、称えてくれたこと。
問題から目を逸らそうとする私に、「それでいいのか」と叱咤してくれたこと。
キツイなかで踏ん張っている仲間の姿を見て、「俺も頑張る」と奮起させてもらったこと。
家族と真正面から取り組んでいる仲間から、勇気をもらったこと。
自分では気がつかない、自分の魅力を認めてもらったこと。
‥‥‥。

まだまだ書き出せば、きりがないのですが、仲間と過ごした3年間を思い返しているうちに、恥ずかしさが込みあげてきたのです。

「何を拗ねているんだ、俺は。目の前に、人がいる。支えてくれようとしている仲間がいる。それを、去っていった仲間のことばかりに気をとられ、『人なんてどうせ‥』と嘆いている自分。目の前にいくらでも、おれを支えようとしてくれてる人がいるのに、いつまで悲劇の主人公でいるつもりなのか」と。

そして、真剣に育ててきた生徒が去るたび、私が感じている何十倍、何百倍も胸を痛め続けてきた先生を前に、いつまで「だれも助けてくれない」と嘆いているのか。

そう思うと、次第に自分の軸が戻り、再び人と向き合おうという気持ちが湧き上がってきたのです。

先生は、感謝について、こうも話してくれました。
「たとえ、何かを手伝ってもらわなくても、そこに人がいるだけで、自然と支えられているもの。いるだけで安心できたり、話を聞いてもらえたり、いろいろな気持ちを分かちあえたり。何か特別なことをしてもらうより、そこに人がいてくれることのほうが、私はありがたいと感じるよ」

そうです。私には、先生がいて、仲間がいる。でも、それは永遠に続くものではない。だからこそ、今この瞬間、「いてくれて、ありがたい」と心から感謝したい。

そのためには、周りの人たちから支えられて生きているという事実を、見失わないこと。そうすることで、私は、生きていることに感謝できる人間になれるのだと、確信しています。


伊東 歩

【2013/03/22 23:42】 | スクール7期生


けんけん
歩たん

6期のころからずいぶん人が減って
もう数人になってしまったね。
気持ちがわかるよ。

僕の統合失調症のころの人格のももも
人が去っていくことにすごい恐れを持っている。

病気になって大勢の人が僕から去っていった。
どうせ去っていってしまうのなら
と引きこもりになってしまった。

先生に感謝の話を聞いたとき
去っていった人のことを思い出して
今普通に僕に話しかけてくれることさえも
すごくありがたいって思った。

けんけんって呼ばれるだけで
すごいうれしいって感覚が出たんだ。

いてくれるだけでうれしいって先生の言葉
去っていった人を思い浮かべたとき
すごくわかる気がした。

ある意味去っていった人のおかげ。

6期の途中でがんばっても次々とやめていく人を見て
僕はがんばるのをやめた。

それってやめた人の影響のほうが大きいって事。
今いる人を大事にすべきなんじゃないかって
僕に対しては珍しく厳しめに先生に怒られた。

それくらい僕がひどいことをしたってこと。

よしみの記事でも書いたけど
今いる人を大事にして
同じことを繰り返したくない。

今いる歩たんもかけがえない人。
失わないためにもやることを淡々とやっていきたい。

この記事を読んでそう強く思ったよ。
かいてくれてありがとう。



ぶん
あゆたん、

まず、目の前の人を感じる、だね。
ハッとする。すごく大切なことた。

ここを離さないでいくよ。
ありがとう。


よだ
あゆたん

私もあゆたんと同じ時に、
同じ本物のチームを目刺しながらも、去って行った人たちを思って、喪失感や虚無感に覆われていて。
そしてその思いを誰とも共有できない気持ちにもなっていたよ。

でも、そんな私に気づいて心配して寄り添ってくれた仲間の存在が、心からあたたかくて、ありがたいって感じていた。

私はこんなにもあたたかい人たちに囲まれている。



あゆたんが、7期の仲間一人一人への感謝を書いてくれた個人ブログ、とても大切に読んだよ。
いつも支えてくれて、いてくれてありがとう。

これからも、仲間と共に、先生のもとで信頼関係を築いていきたい。

先生、2年の間、日々揺るがぬ愛情を注いでいただいていること、ありがとうございます。先生の存在が、示される愛が、いつも私の原動力です。

「いてくれるだけでありがたい」
人に対していつも自然と、そんな感謝の気持ちを真ん中で感じている自分に、向かっていきます。




本山
あゆたん

記事をありがとう。

6年もの間に人が去っていく姿をたくさん見てきた。その度ごとに動揺しながらも、人ってこんなもんだろう、という妙に覚めている自分もいます。

ただ、私がこうやって今も学んでいるのは、一重に先生の愛情のお蔭である。

直接的な愛情はもちろんの事、厳しさの根底に流れている愛情を感じられるかどうか。

そして仲間がいたから。仲間にいつも支えられてきた。

先生がお話されたこと
「そこに人がいるだけで、自然と支えられているもの」この言葉が、ジーンときます。


よしみ
歩たん

私は今年初めて、リタイア者を目の当たりにした。

立て続けで、正直、気持ちがついていけないところもあったけど、
今月のスクールで、リタイア者の抱えるパターンを一つ一つ洗い出して、
私たちの血肉に変えていくことを先生から教えてもらって、気持ちが整理されつつあるよ。

スクール中、先生の、
「家族の中で、誰かが死んだ時、家族がバラバラになるのではなくて、
本来なら、同じ痛みを共有して、支えあっていくものでしょう」
という言葉が、印象的だった。

私も、残ったメンバーのことを大切にしていく。
記事を読んで、改めてそう思う。

同じ痛みを共有しているんだということ、忘れずにいたい。



ちあき
あゆたん、記事をありがとう。

私も過去に、自分がやればやるほど、目の前にいてくれる人への感謝ではなく、離れていく人にフォーカスしてしまい、「人なんてそんなもんだ」と思ってしまった事があった。

でも、目の前にいてくれる人の事のありがたさを感じながら、共に支えあっていく事の方が、よっぽど大切な事なんだなと思った。


優実
あゆむ

記事ありがとう。何度も読んでる。
私の場合は、去っていく虚無感を感じる対象は、親だった。
親を感じるほど、先生が私にくれているものがもっと大事に思えたり、仲間が支えであったり。
それがあるから、前に進めるんだよな、って、あゆむの記事を読んで思った。


私も、あゆむに支えられてるよ。
いつも、ありがとう。




佐々木
歩さん
記事ありがとうございます。

これを読ませてもらって、人は人によって支えられて生きている。

ここを感じてみようと思いました。




たま
歩さん、記事をありがとう。

「所詮、人間なんて、簡単に人を捨ててしまえるものなんだ」

私も、そう思っているよ。
同時に、先生が仰っているように、
「人は、人によって支えられて生きている」と思う。

これって誰もが頭では分っているのに、それでも簡単に多くの支えを受け続けていることを忘れてしまう。
目の前のちょっとした嫌なことで、今までの恩さえ見えなくなってしまう。

記事を読んで、手放さないように、意識的に生きなければと改めて思ったよ。


いずみ
あゆたん、記事をありがとう。

8期ベーシックの授業を終えて、私は今期でリタイアするので、最後に先生と皆と写真を撮らせてもらったんだ。
今日その写真を見返していたら、一人一人にかけてもらった言葉、最後に見た表情が浮かんで来て、この一年、どんなに温かく見守られ支えられていたのかを感じ、心が震えた。
この気持ち、絶対に忘れたくないって思う。

人は人によって支えられていること、人がいてくれるだけで支えられているということ。
すべて、永遠じゃないってこと。
心に深く刻んで、これからも取り組みを続けていきます。

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親と共に学ぶ

こんにちは、7期生の伊東です。

前回の記事では、私が「家族の会」に参加して、その場にいたみんなと、家族という枠組みをこえた、「魂の家族」としての繋がりを感じたことについて、お伝えしました。

「家族の会」の当日、始まってしばらくのうちはお互いの緊張からか、硬い雰囲気だったのですが、途中で先生が参加されたことで、一気にみんなが打ち解けて、空気が変わりました。

たとえば、「家では、お姉ちゃんとして、しっかりしているんですよ」という、8期生のはるかのお母さんに対して、「リラに来たばかりの頃は、周りに風がビュービュー起こるくらい、人の話を聞いている時に『うん、うん』と頷いていたんですよ。それが、カルマ清算に取り組んできて、その頷きが表面的な態度だと分かってから、今ではだいぶ自然になったよね」と、はるかの頷きを真似しながら話される先生。

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このような、笑いを交えた和やかな空気の中で、しっかりと私たちの成長を伝えてくださる先生の話に、お母さんたちからも、普段話さないような本音が、どんどん出てきたのです。

ここで、お母さんと参加した、7期生のくみこのレポートを紹介します。

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はじめ私は、周りの人となかなか噛み合わない会話を続ける母に、思春期の分裂人格が、終始苛立ちと恥ずかしさを感じていました。けれど、そんな母が、先生には素直に自分の気持ちを表現していたのが印象的でした。

意地っ張りな母は、私に対して、普段はなかなか本音を話してくれません。
これまで、母との取り組みは、対面ではなく文章のやり取りを通じて、ようやく本音が垣間見れるといったことが多かったのです。しかし母は、「先生の前では、自分でも不思議に思うくらい、素直な気持ちが表現できた」と話してくれました。

そして、先生が私のことを母に伝えてくれている時、私は涙がとまりませんでした。なぜなら、私以上に私のことを理解してくれているのが、ひしひしと伝わってきたからです。
そして、母が、私の幼い頃のことを話してくれる中で、「優しい子だと思っていた」と言ってくれたことも、嬉しかった。そんな風に褒めてくれたことが、今までめったになかったので、ここでも涙が止まらなくなりました。

また、私は、自分の思いを母に伝える時、「責めてないんだ」と言葉では言いつつも、どうしても心の奥で、母のことを責めてしまいます。
その話になったとき、あゆたんが、「自分の中にも、親を責めたい気持ちもあるし、純粋に『分かってほしい』という気持ちもある。そして、自分のカルマを娘に引き継がせてしまったことを、娘が責めたいのなら、その気持ちを受け止めたい」と話してくれました。
子どもでもあり親でもあるあゆたんが、こうやって両方の立場から母に話をしてくれたことで、母の心が緩んだのを感じました。


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お母さんに褒められて、照れるくみこ。

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そして下は、同じくお母さんと一緒に参加した、7期生のまゆのレポート。

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母が、自分の親に対して、内にある思いを伝えようと心がけていると聞いて、驚きました。
何が、母を変えたのか。それは、これまで散々、私が自分の思いを母に伝えてきたことによって、その大切さを、母が身をもって実感してきたからだと話してくれました。

これを聞いた私は、私が先生に指導してもらって、一生懸命取り組んできたことが、母にも影響を与えていて、とても嬉しく感じられたのです。

また、くみこのお母さんの「娘に、責められていると感じて、苦しくなってしまう」という話を聞いて、「私も、すごく気持ちが分かる。自分も、娘に言われて、そんな気持ちになったから。でも、最近ようやく、そうじゃないってことが、分かってきた」と、くみこのお母さんに共感して、寄り添う様子も印象的でした。


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はるばる姫路から来てくれたお母さんと、まゆ。

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私は、2人の感じていることを聞いて、共に学ぶことの価値を感じました。

親子同士だけではぶつかってしまうばかりで、伝わりにくいこともある。でも、こうやって、先生や仲間が見守ってくれている中で、共感したり、相手の中に自分を見たりすることで、伝わることもあるのだと思ったのです。そうやって伝わることで、私たちの学びだけにとどまらず、親の学びにも繋がっている。

そう感じると、今このタイミングで、先生から自分の抱えているカルマを乗り越える道を示してもらえて、仲間の家族と共感しながらカルマ清算ができるという境遇が、どれだけ価値のあることなのか、身に沁みてきます。

はるかのお母さんが、帰り際に「あなたがいつも、スクールが終わっても帰りたくないと思うのが、今日、リラにきて分かった気がする」と、はるかに話してくれたのですが、私たちのカルマ清算の取り組みと、その真剣さが、少しでも伝わってくれたのだと、とても嬉しく思いました。

CIMG8120-1.jpg
名残惜しそうに、はるかのお母さんは帰っていきました。

何世代にも渡って繰り返してきたDNAカルマの連鎖。すでに、自分のカルマが、娘に受け継がれてしまっているのを感じています。私は、これ以上、自分のカルマを受け継がせたくはありません。
この連鎖を断ち切るのは、今、このタイミングでカルマ清算ができる環境を与えてもらっている自分の役目だと、改めて自覚することのできた、今回の家族会となりました。

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伊東 歩

【2013/03/15 23:16】 | スクール7期生


ぶん
あゆたん、後篇ありがとう。

みんなのお母さんとの画像からも、
すごく温かい家族会の雰囲気が伝わってくる。
リラって、本当にかけがえのない場だなあって思う。

僕も息子にはカルマを受け継がせてしまっているのを感じている。
これ以上は嫌だし、もう僕で断ち切りたい。

それにしても、、、 ののちゃん、そっくり。



ちあき
あゆたん

後編記事も、ありがとう。

そういえば、はるか、まゆ、くみこの、お母さん3人共、責められていると思ってしまった。と言っていたと思う。

それを聞いて、私の両親もそうだったので、どこの親もそう思ってしまうなだなと感じた。

そういいながらも、こうやって向き合ってくれ、一緒に家族会に来て下さった、3人のお母さん達と会えて、とてもほっこりした。

こうやって、3組の親子と会えて良かったよ。


はるか
あゆむ、後編をありがとう。

ちあきが書いているように、うちの親も責められている気がするって言う。
そう言いながらも一緒に来てくれたり、話を聞いてくれたり、それは当たり前じゃなくて、ありがたいことだなって思う。

そして、学びの場に加えて、家族と共有しやすくなるきっかけを作ってくださった先生がいて、一緒に学ぶ仲間がいて、あゆむの言う通りとても恵まれているんだと、しみじみと思った。

これだけの環境を与えてもらっているんだから、これからもしっかりと頑張っていこうと、改めて決意したよ。


よしみ
歩たん

くみちゃん、まゆ、はるかのお母さんが、
こうやってリラに足を運んでくれたことに
母としての気持ちを感じる。

くみちゃんも、この家族の会が
お母さんとの取り組みの、1つのきっかけにもなったと言っていたよね。

先生が、皆の成長を、お母さんたちに伝えてくれたということにも、温かさを感じたよ。

そして、最後の、ののみちゃんの写真、和んだよ。



本山
あゆたん

記事をありがとうございます。

くみちゃん、よだちゃん、はるかちゃん3人のお母さんとの写真
ほのぼのとした温さが伝わってきます。素敵ですね。

3人とも娘としての顔になっている、そう感じました。

親子関係が、全ての関係の基盤だと教えて頂いていますが、私も親ともっと向き合っていきたいと思います。


かわしま
あゆたん

記事をありがとう。

母に対しては、思春期の人格が前に出てきてしまって、
どうしても責め口調になってしまい、
喧嘩になってしまうことばかりだった。

でも、この家族会で、先生とお会いしてお話ししたこと、
そして、皆ともたくさん話したことで、母の内側が、
大きく動いた様子だった。
そして先日は、母と二人で、先生のセッションを受けたことで、
私自身もとても大きな変容があった。

今回の家族会のおかげで、
親との取組みを大きく前進させることができて、
本当にありがたい気持ちでいっぱいです。

今度は準備する側にまわって、皆の家族のおもてなしを
是非させてもらいたいです。



佐々木
歩さん
後編ありがとうございます。

くみさんとよださんとはるかちゃんのお母さんのお話を聞いてジ~ンとしました。

私もお母さんの前では素直になれず、突っ張っていたし責めたくなる時もありました。
だから読んでてすごく気持ちがわかるし、皆さんのお母さんの本当の気持ちを聞けて良かったなと思いました。

リラでこういう場が与えられているって本当にありがたいなって感じました。





優実
あゆたん

後編の記事もありがとう。
家族、みんな、あたたかいね。
やっぱ家族っていいなって、わたしのチャイルドが泣いてるよ。

先生はやはり、すごいなぁと思います。
先生を前にすると、お母さんたちも、本音を話し出すんだね。

家族の取り組みって、一筋縄ではいかない。
あゆむが書いているように、先生が見守ってくださってて、みんながいるから、進める。
リラはやはり、魂の家族だね



いずみ
あゆたん、後篇をありがとう。
当日を思い出しながら記事を読んで、写真を見て、ハートが温かくなったよ。

こうして、お母さん方が家族会に足を運んで下さったこと、先生がお話して下さったこと、仲間が見守っている中で3人が娘の姿でお母さんと向き合っていたこと、そこにスカイプ参加させてもらったこと。
リラで学べることを、とても有難いって思った。

3人を羨ましいなって思う気持ちと、取り組み続けてきた結果なんだって尊敬する気持ちと。
色んな気持ちも、改めて感じた。
私も母に対して、諦めずに、ハートで向き合い続けていきたいって思ったよ。

私には2歳になる娘がいて、最近何をするにもイヤイヤ言って聞かないし、遊びで髪を引っ張ってきたりもして難しい時期を迎えていて。
でも、娘の表現する全てが、成長にとって必要なことなんだと感じて全身で受け止められる母親になっていきたい、そう思ったよ。


けんけん
歩タン 記事ありがとう。

3組ともの家族がいい顔してた。

中でもくみちゃんの写真がいいなあと思った。
照れるくみちゃんがかわいい。

素直に親が伝えてくれたこと
先生が引き出されたのはさすがと思うけど
これが、くみちゃんも引き出せるようになると
すごく動くんだよねって感じた。

スカイプで聞いていたんだけど
暖かい感じが伝わって
本当にいい会だなって感じました。



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血の繋がりをこえて

こんにちは、7期生の伊東です。

先月開催された、第3回目となるリラの「家族の会」で、私は、「ああ、こうやって家族という枠組みをこえて、繋がりあえるのだな」と、しみじみと感じました。
今回のりらぶろぐは、その模様をお伝えします。

そもそも「家族の会」というのは、カルマ清算を進めるにあたって、その助けとなるようにと、伊藤先生が提案してくださった会です。

人が抱えるカルマは、幼少期から思春期の間に形成されることが多いのですが、その中でも、両親から引き継がれる「DNAカルマ」が個人に与える影響は、私が3年間カルマ清算をしていて、とても強く、根深いものだと実感しています。

先生は、そのようなDNAカルマの清算のためには、家族に対して、心を開いて真っ直ぐに向き合っていくことが欠かせないと仰います。そこで私たちスクール生は、普段、リラでの学びをシェアしながら、家族との取り組みを進めています。
けれども、リラで学んでいることを、分かりやすく家族に伝えることが、なかなか難しいと感じているスクール生が多いのです。
私自身、ここにきて、ようやくシェアできるようになったものの、もともと、自分の内面で起こっていることや、経験したことを、家族に話すという発想自体がありませんでした。

そんな私たちを見かねて、先生が「食事でもしながら、他のスクール生も交えて気軽に話をする中で、自然と理解してもらえることがあるのでは?」と話されたことから、「家族の会」がはじまったのです。

前回の「家族の会」は、50人ほどの規模だったため、大きな会場を借りての開催でした。今回は、「家族の会」のリーダーを任された8期生のミオの、「先生と、私たちスクール生と、家族を繋ぐ、アットホームな会にしたい」という思いから、手作りの料理を用意して、少人数での開催となりました。


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手作りおつまみ準備隊!

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特製のフルーツポンチに‥

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おしゃれなカナッペ。私のリクエストです。

実際に家族を連れての参加となったのは、7期生のくみこ、まゆ、そして8期生のはるかの3人。いずれも、母親が参加ということで、「女3人寄れば、かしましい」ということわざのように、さぞかし賑やかになるかとおもいきや‥。
意外にもまったりとした雰囲気の中、会がはじまりました。

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まったりムードで、乾杯。

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ちなみに私は、娘を連れての参加でした。


自己紹介からはじまり、手作りのおつまみやデザート、そしてお酒で、徐々に場が和んできて、スクールでの学びによって変わったことなど、お互いに少しずつ話が出てくるようになりました。

しかし、どうしても、いまひとつ硬さが抜けきりません。
そんな時に、会場の入り口の扉が開き‥。

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ふと、振り返ると、細~い隙間から、先生が!

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先生がセッションの合間を縫って、来てくださったのです!

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先生がいらっしゃったことで、一気に場の空気が活性化して、「うちの娘が、お世話になっています」という、定番の挨拶がはじまったのです。
でも私は、ふと、「どっちが親?」という感覚に陥ってしまいました。

そうです。
私たちにとって、師であるとともに、いつもあたたかい目で見守ってくれている先生は、親でもあるという感覚が私は強いため、そう思ったのです。

CIMG7827-3[1]


先ほども触れたのですが、私は、リラで学ぶまで、家族に自分の気持ちを伝えるということを、全くと言っていいほどしてきませんでした。そこには、幼少期のこんな思いがありました。

「ぼくのこと、気にならないの? ぼくの気持ち、どうでもいいの? だったら、もういいよ。話さないから」
自分に対して踏み込んできてくれない両親に対する、こんな思いが未消化なまま残っているために、両親だけでなく、人に対して、自分の気持ちを伝えることを諦めてしまったのです。

そんな私に、先生は、時に優しく「あなたが、どんなにえげつないものを吐き出そうと、私はそれを知りたい」と聞いてくれたり、時に厳しく「気持ちを伝えないことで、どれだけ相手を寂しい気持ちにさせるのか」を、怒りをもって教えてくれたり。
全てを受け入れてもらっているという、安心感の上にある、優しさと厳しさ。私が、心の底から親に求めていたものが、そこにありました。

私は、そんな先生のもとに集まっている仲間のことを、年月を重ねるごとに、血の繋がりをこえた「魂の家族」だなと、感じられるようになってきました。

CIMG7899-1[1]

今回の家族の会でも、話の中で感情が噴き出して、涙が止まらなくなっていた、くみこやはるかに向けられた、先生とお母さんたちのまなざしが、とてもあたたかくて、リラのリビングにいるみんなが、家族であるような一体感を感じることができたのです。

次回は、家族が参加した、くみこ、まゆ、はるかが感じたことを中心に、お伝えしたいと思います。


伊東 歩

【2013/03/12 23:42】 | スクール7期生


優実
あゆむ、家族会の記事をありがとう。

先生の登場写真に笑い、あゆむから感じる、リラという家族を思う気持ちにジーンとし…
先生のもとに集い、家族となれたことは、私にとって宝もの。

大事なリラの家族を、これからも、大切にしたい。

家族会、いつか、私の家族も連れていけたらいいな。
次の記事も、楽しみです。



たま
歩さん、記事ありがとう。

文章からも、写真からも、先生と皆で交わされたであろう柔らかな情愛の感情が伝わってきます。
良い家族会だったのですね。

家族でも難しいのに、他人間での愛情関係を結ぶことなど、幻想の理想郷を求めることと同じだと思っていたけれど、徐々に人と人との魂の結びつきというのもあるのだと学んでいるところです。

後続の皆の記事も楽しみにしています。


けんけん
歩タン 記事ありがとう。

スカイプ参加だったけど
先生が参加されてから
温かい笑い声に包まれているのを感じたよ。

家族って自分にすごい影響力がある。
何も知らない赤ちゃんの頃に
こういうもんなんだという当たり前を植え付ける。

リラに来て全然当たり前じゃないって
驚くことも多かった。

後編も楽しみにしています。



ちあき
あゆたん、記事をありがとう。

先生が来てくれた事で、本当にハート溢れる会となり、私も、この家族会に参加させて頂いて本当に良かった。

先生、ありがとうございます。

くみちゃん、まゆ、はるかの、お母さん達が写っている写真をみて、暖かな気持ちになっている。

是非、今度は私も家族と一緒に参加したい。




ぶん
あゆたん、家族会のシェアをありがとう。

先生の眼差し、本当に温かい。
母と受けたセッションを思い出しました。

家族会に、僕も家族といつか参加したいし、
みんなの家族とも話したいって思う。


本山
あゆたん

記事をありがとうございます。
記事や写真から、当日の家族会の温かさが伝わってきます。

写真の、はるかちゃんをみつめる先生のまなざし、

あゆたんの娘さんをみつめるまなざし

みなさんのまなざし

愛情が根底にあるからこそ、まなざしが温かくなる、そう伝わってきました。



佐々木
歩さん
記事ありがとうございます。
とても温かいアットホームな「家族の会」だったんだなと、みんなの表情をみて思わず顔がほころびました。

先生の隙間から覗く姿、ちょっぴり笑ってしまいましたが、
先生のみんなを見つめる眼差しがとても温かく、魂の家族で繋がってるんだなと思わずにはいられません。
私もいつか参加をしてみたいと思いました。





かわしま
あゆたん

家族会のこと、思い出す。
あの時の空気感、文章と写真で伝えてくれて、
本当にありがとう。

あの日は、春が一気にきたような、
暖かい日差しに包まれた日だったよね。

そして、リラのお部屋全体が、何ともいえない、
あたたかなエネルギーに満ちていた。

当日は、親を連れての参加だったので、
準備は皆にお任せしてしまったけれど、
手作りのお料理も、とてもきれいで温かかった。

準備隊のみんな、本当にありがとう。

そして、先生が来て下さったこと。

会場の空気が、一変したよね。

先生が、私の母に、私のことを話してくれたこと。
あの時の、先生のあたたかい眼差し、
思い出すだけで、ハートがじわーっと広がる感じがする。

先生、本当にありがとうございました。


あゆたんの、ちびっこの思い。
なんだか、ぎゅっと、胸が締めつけられるような感じになったよ。

でも、魂の親である、先生に出会えたこと。
本当に、ありがたいよね。

あゆたんのそういう思いも、すごく伝わってきたよ。



よしみ
歩たん

当日は、両親とスカイプ参加させてもらって、
スカイプからも、本当に、その場のアットホームな空気が伝わってきたよ。
写真からも伝わってくる。

先生が、次の家族会は両親と一緒においで
って言ってくれて、うれしかったな。

魂の家族、か。
すごく温かい響きやね。いいね。


後編も楽しみにしてるね。



はるか
あゆむ、記事をありがとう。

とてもあったかい会だったなって、今も胸にじーんと残ってる。
文章からも写真からも、すごく伝わってくる。

先生、当日は来てくださってありがとうございました。母を紹介出来て嬉しかったです。

みおリーダー、準備隊のみんな、ありがとうございました。

魂の家族って言葉。
先生とみんなに会って、これを求めていたんだなって、日を追うごとに思う。

この日も、先生と母、二人の親に囲まれて、嬉しくて恥ずかしくて、不思議な気持ちだったよ。

自分で言うの恥ずかしいけど、先生が隣にいてくださってる写真、見るだけで先生の愛情を感じてまたグッときちゃう。

後編も早く読みたいな。
楽しみにしてるね。

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「はじっこ」の引力 

前回の「真夜中のリビングルーム」では、舞ちゃんの「人ごみで、どうしてもぶつかってしまうパターンが、何を意味するのか」についてお伝えしました。
これは、予備校が終わった夜、先生からの「カルマパターンとは、日常の些細な動作にまで表れる」というお話の中で、先生から教えていただいたことでした。

これを読んで、その後、ひそかに実践された人も多いのでは?

今回お伝えするのは、同じ夜に、舞ちゃんの「人にぶつかるパターンの話」からの流れで、私の「電車で、ついつい『はじっこ』の席に座ってしまう」パターンについて、先生にお聞きしたことです


みなさんは、電車に乗っていて、座席の「はじっこ」が空くと、そこに移動したくなりませんか? 私は、ほぼ無意識に、当たり前のように荷物を抱えて、そそくさと「はじっこ」を目指します。そして、たまに同じ「はじっこ狙い」の人とバッティングして、気まずい雰囲気になることも‥。

そこまでして、なぜ自分は「はじっこ」に座りたがるのか。この自分の動作に、どんな意識が隠れているのかが知りたくて、先生に聞いてみたのです。

すると先生は、「あなたの、『頼りたい、守られたい』という意識の表れだろうね」と教えてくださいました。
「固いアタマの私にも、もう少し、分かりやすくお願いします」という私に、先生は、こう答えてくれました。

席に座っていれば、隣の人と接する中で、揉める可能性がある。肘が当たっただの、聞いている音楽がうるさいだの。
でも「はじっこ」ならば、人と接するのは片側で、もう片方は仕切りに守られている。だから、揉めごとになるリスクは半分。

そこで「はじっこ」に座りたがるのは、揉めたときに生じる自分の感情や言いたいことを、相手に伝えるのを避けたいということ。
つまりは、自分の言うべきことを言って、相手に立ち向かうことを極力避けたいという意識の表れ。
対人恐怖があるあなたの根底に、母親に守ってもらいたいという気持ちがあるのだろうね。


「‥‥‥。」
言葉もありません。先生のお話に、当てはまることが多すぎて、ぐうの音も出ませんでした。

「あぁ、やっぱり俺は、自立してないんだな」と落ち込んでいると、先生は「私も、以前は『はじっこ』が空くと、必ず移動していたんだよ」と話してくれたのです。
「ええ、そうなんですか? 先生も?」と、その場にいた、同じ予備校講師の舞ちゃんと、くみちゃんも、驚きました。

でも先生の場合は、人間全般に対する見下しや憎悪があったために、「私に近づくな」という攻撃的な意識から、「はじっこ」を選んでいたそうなのです。

先生は、その後、カルマ清算を進めていく中で、人に対してリスペクトをもって理解しようと意識し続けているうちに、気がつけば自然と、「はじっこ」が空いていようと、両側に人がいようと、気にならなくなったそうです。

このお話を聞いて、私の場合、湧いてくる感情や思いを相手に伝えることができるようになっていれば、席の場所などこだわらなくなるのだと思うと、リラで3年学んできた今の私が座席の真ん中に座り続けたら、どんな反応が表れるのだろうと興味が出てきました。


そして、後日、実際にチャレンジしてみました

家からリラに向かう途中の、地下鉄の車両。座る人が入れ替わる中で、いよいよ例の「はじっこ」が空いたのです。すると、ソワソワしだした自分がいました。今まで、両側に人がいても普通に座っていたのに‥。そしてついに、
「あー、落ち着かない。ぼくの特等席が呼んでいる」
という気持ちに負けて、私は「はじっこ」に席を移したのでした。

リラで学び始めて、今年で丸3年。最初は、人といるとガチガチに緊張してしまい、満足に相手の顔を見て話ができなかった私でした。それが、今では、リラの交流会や勉強会で、大勢の人の前で、自分の意見や思いを伝えることができるようになった。

さらには、今年のはじめには、私が人に対して感じる緊張の元となっている、父親との関係も変わりました。小さいときからずっと、父親に対して、怖くて「もの申す」ことができなかった私が、なんと、人生初の本気の親子喧嘩までできるようになったのです。

3年前の私を知っている人は、私が今、こんなふうに変われたことに、きっと驚くでしょう。

これだけ成長を遂げた私ですが、カルマの力は強かった‥。座席の真ん中に、堂々と居座るには、まだ修行が足りなかったようです。

いつなんどき、どんな人を前にしても、自分らしさを貫ける自分を目指して、まだまだ精進が必要です。


伊東 歩

【2013/03/06 23:27】 | スクール7期生


優実
あゆむ

記事をありがとう。
先生の仰る、「対人恐怖」の話、食いついて読みました。
実は私も、端っこ族。
守られたい…という意識が、私も、確実にあるな…
先生は本当に、日常のちょっとした行動パターンすらも、緻密に理解されているのですね。


それにしても、誘惑に負けて移動してしまったあゆむを想像すると、とても愛らしい。
私も今度、挑戦してみようかな。



本山
あゆたん

記事をありがとうございます。
>「・・・ぼくの特等席が呼んでいる」
ここ、笑ってしまいました。
なんでかっていうと、その気持ち、すごくよく分かるからです。

実は、私も実は端っこ大好き人間です。
電車は端っこに限る、そう思っていました。

でも、その奥には先生のお話の
「自分の言うべきことを言って、相手に立ち向かうことを極力避けたいという意識の表れ」
ここ本当にそうです。これ確かに私の中にある。

面白いですね。
日頃のいろんな癖や行動。

そこに自分のカルマパターンが見事に移し出される。
日々の自分をもっと意識的にみていきたいと思います。


Kayo Kato
興味深いお話ありがとうございます。初コメントでドキドキです。

端っこ族。これは面白いですね。レストランで日本では端から席が埋まるけれど、欧米では中央の席から埋まっていく・・・これも何か国民的意識の違いなど通ずるものがあるかもしれません。

ちなみに私も、電車の端っこ好きです。しかも手すり側より、奥の壁側が好きです。
それは二人組とかの人達のために中央は空けておくべき、と良い子的言い訳もあるし、うたた寝で隣の人に気にせずに寝れちゃう・・などの理由もあります(何度も隣の人に迷惑かけてますもんで(苦笑) あ、でもその反対もありますね。よくもたれられてしまう。やはり対人=めんどくさいと思ってるって事なんですね。

でも、思い返せばもっと若い時は端が空いてなかったら立っていましたが、今は席が空いていればどこでも気にせずに座れます。これは成長と言えるのか、ただ体力に勝てないのか・・・。

自分の行動の癖を意識してもっと見ていきたいです。


ぶん
あゆたん、記事ありがとう。

僕も「はじっこ」好きです。

守られたい、
寄りかかりたい、
トラブリたくない。。。。

あります。


日によっては、「真ん中」に座れる日というか
座りたい時もあるんです。

そういう時、どんな変化が内面であるのか。
よく見つめてみます。





けんけん
あゆたん 記事ありがとう

端っこ好きです。

僕は太っているので
真ん中に座ると両側の人に触れます。
それが気持ち悪い。

端っこだとそれが片側だけ。

リラでも後ろか端。
真ん中にでかいのがいると
後ろの人が見えないんじゃないか。

でも、対人恐怖も確かにある。
自己卑下もあるけど。

真ん中に座る。
考えただけでもハードルが高い。

もっと、自分のカルマパターンと
向き合っていきます。



はるか
あゆむ、ありがとう。

あゆむが特等席に呼ばれてしまったところ、想像して笑ってしまった。

確かに、はじっこに座っているとき(特に一番奥)って、守られてる感ある!
安心してもたれかかって、ガン寝してしまう。

そういう意識の表れだったんだね。
こんなところにも出るんだと驚いたよ。

ぶんちゃんの言うように、真ん中に座りたい日もある。
そんなときは、両側に荷物まで置いちゃったりする。
ただの顕示欲だね。。。

私も、いつでも誰の前でも、自分らしさを貫ける人になりたい。
一緒に精進していきます。

興味深いですね
荒川
こんにちは。

前回の人混みで人にぶつかりそうになる‥私もよくあるので、試してみました。

渋谷でやってみたのですが、みごとに成功しました!
自分の意思が相手に伝わるのでしょうか?!
それとも気迫でしょうか…

次々とよけてくれました。

電車の端っこは私も好きです。

そこをねらってよく立っています。

私の場合、出来れば人と関わりたくない。
自分のテリトリーに入って来ないで欲しいと、バリアをはっているのかな~‥と思いました。

敢えて、真ん中に座る事は私のこの対人恐怖症を克服するトレーニングになるかも知れない‥と思いました。

ちょっと、嫌だけどやって見ます(*^_^*)



よしみ
歩たん

私も、電車の席のはじっこ、好きやな~・・と思って読んでいたよ。
先生が言われたように、人とのもめ事が起こるリスクを、
避けたいがための行動だったのか・・と分かって、興味深かったよ。
無意識に、そうしていたな・・と思って。

座席の真ん中に、座っている時もあると思うけど、
その時は、人格が違うのかな。。?と思ったよ。





いでちゃん
歩さん

俺も端が好きです!

え!?他者との接触を回避してるって?
おいおい・・・そんなつもりは・・・・あるわ。
え”え”え” びっくり。
この俺がか?
でもやっぱりそうだ。
ふーん・・・
確かに両脇に人が座ると、両脇の人を気にする。
端なら、気にする量が半分で済む。

電車に乗ると、痴漢冤罪を回避することに気をとられていて、自分の心の動きには気づかなかったなぁ

おもしろいです!ありがとう歩さん




たま
歩さん、記事おもしろいです!

真夜中のリビングルーム、第二夜は「電車のはじっこ」ですかぁ。

私も端を探して座ります。

先生のお話、当てはまります。
なるだけ、知らない人と触れたくない。
揉め事避けたい。
端に寄りかかってれば、そこに身体を預けて寝れる。

対人恐怖もある。

若かりしOLのときは、手すりや輪っかに触るのが嫌だったこともあったな。

自分の日頃の行動パターン、洗ってみると色々出てきそうです。

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