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額とともに、内面を輝かせる 

下の写真は、今回の伊勢合宿のワンシーンです。

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楽しげな笑顔を浮かべるのは、右から、8期生の、たま、ちあき、はるか、予備校生のぶんちゃん。
しかし、よく目をこらして見ると、写真中央あたりに、小さいけれど確かに「M字」が写っています

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この写真は、私がいたずらごころで、みんなの後ろに隠れて撮ってもらったもの。それが、合宿中、みんなの間で話題になり、2日目の夕食の時間に「先生! 先生! 見てください!!」となったのです。
そして、この写真をごらんになった先生は、大爆笑されました。M字ハゲに悩む私をおもしろがって、ついには、「M字縛霊」と命名されたのです。

さらに先生は、M字縛霊の背景まで設定されました。
「彼は、M字ハゲが受け入れられない。抜けてしまった髪があきらめきれない。『こんなはずじゃ、なかったのに。なんでおれが‥』。そうして、成仏することができず、未練たらしく、落ちた髪を拾い集めながら彷徨い続けている」と。

そして、先生が情感たっぷりに、おどろおどろしく

「いっぽ~ん・・。にほ~ん・・。さんぼ~ん」
「ま~た~抜けた~~~」
「おれの髪を返せ~~~。おれの髪はどこだ~~~」

とセリフをつけると、その場にいたみんなは笑い転げたのです。中でも、7期生の舞ちゃんは、しばらくのあいだ、涙を流しながら、お腹を抱えて笑い続けていました

そして、このM字縛霊、なんとリラの忘年会にまで現れたのです! なんと、しつこいのでしょうか。

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「俺の髪を返せ~~~」
「お前らの頭~、フサフサしてるな~~、俺によこせ~~~」


「受容せよ!」
伊藤先生は、なんとかM字縛霊に、M字ハゲであることを受け入れるよう言葉をかけるのですが、このM字縛霊、なかなか頑固で、受け入れようとしません。

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「いえ、ぼくはM字ハゲじゃありません」
「こういう髪型なんです」
「ちょっと薄いかなっていう程度です」

それからというもの、先生は、この往生際の悪いM字縛霊に会うたび、「きてるよ。3年前より、確実に」と、真実を彼に突きつけるようになったのです。

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もうM字の話にはあきあきして、「ピーちゃんは、ふさふさだよ!」と得意げなピーちゃん


一方、おなじM字でも、先日の、先生のお誕生会&新年会の記事でお伝えした「M字トリオ」の一員である、舞ちゃんの旦那さん「ゆうじ君」は、堂々たるもの。

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M字な自分に対しては、ひとこと、「M字? あぁ、強いて言えば『チャームポイント』かな」と。

おー、なんと男前な。

霊的探求において、ありのままの自分を受け入れるというのは、非常に大切なこと。
先生は、「M字がどうのと見た目で嘆くより、M字を受け入れた上で、どうやったら人として魅力的なのか、本物のカッコいい在り方とはなにかを追求してみたらどうなの?」と、M字縛霊に話されました。

抜けてしまった髪を嘆き続けるより、自分のカルマと向き合い、霊的成長を果たし、自分の中の輝きを取り戻すこと。
たとえM字でも、人を思う温かさや、目標に向かって地道に努力する継続力、そして文章の表現力など、自分には磨けばどんどん輝く宝が眠っているのだと、ようやくM字縛霊は自分を受け入れつつあります。

きっと、M字己愛(自己愛)に変容する日も近いでしょう。


伊東 歩

【2013/02/25 23:55】 | 伊勢召喚(2012年)


本山
あゆたん

記事をありがとうございます。

笑っちゃ悪いのかもしれないけど
笑っちゃいました。

ここまで、自縛霊化したら、あまりに面白すぎるので、私としてはあゆたんに、この際とことん自縛化を極めてほしい、そんな変な願望も。

なんて、あゆたんのこと笑っている場合ではないです。

私もこの10キロアップしてしまったこの無残な身体、まずは現実しっかり受け入れて、なんとかしないとです。


かわしま
あゆたん

記事をありがとう。

M字縛霊、伊勢以降、ほんとに頻繁にリラに出没しているなあ。

それにしても、ゆうじ君、本当に男前だね。
「しいて言えば、チャームポイント」
かっこいい!

M字縛霊、なかなか受容できず、往生際悪く、
髪を伸ばしてM字を隠そうとしていたこと、
私は知っているぞ。
そして、その伸びた髪型のせいで
老けて見えるのではないかと、舞子に突っ込まれていた…。

最近髪を切ったことで、ようやく受容できてきているのかな?
変容する日も、近い感じだね。



けんけん
歩たん

髪の悩み分かるよ。
笑い事じゃないよ。

僕も一時期、洗っても洗ってもふけが出て
髪の毛がどんどん抜けていく時期があった。

焦ったよ。

ジャンクフードを少なくして
シャンプーも変えた。

シャンプーなんて5つぐらい変えて
今何とか自分に合うシャンプー見つけた。

あのまま抜け続けていたら地縛霊になってたな。

ただでさえ自己卑下強いから。

歩タンが地縛霊になっても僕だけは
髪の毛お供えするよ。

ってそれじゃ駄目か。

M自己愛 目指そう。

でもしばらくは髪の毛で笑うやつ
にらむと思うな。



舞子
あゆたん

伊勢の時同様、笑い過ぎて、お腹が痛いじゃないか。そして、くみこのコメントも、ケンケンの「髪の毛お供えするよ」も、吹いてしまったよ。
先生の、ユーモアのアルケミー、本当にすごいなぁ。「M字縛霊」というネーミング、背景設定、そしてあの、おどろおどろしい声で嘆くセリフ…もう全てが面白すぎる!!

そして、ゆうじくん…一体どこで、こんなショットが!?本人のセリフとピッタリな写真だな。
我が家の裏話はというと、私がゆうじくんとマジ喧嘩した時に、あのM字の額で頭突きされたことがありました。
しかし皮肉ながら、私のほうが石頭だったみたいで、彼は玉砕してました。
見た目はハードなM字でも、案外ソフトな感触です。

ともかく、こうしてりらぶろぐに公開するに至っている時点で、もうM字己愛の境地なんじゃない!?
先生の、ユーモアのアルケミーのおかげだね。







ぶん
あゆたん、

サブタイトルの「額とともに、内面を輝かせる 」

これを読んで、笑ったというかニッコリした。
あゆたん、内面輝いていると思う。

この写真を撮って爆笑した時を思い出したけど、
このことも、まゆちんの記事とか、帰りの風景とか、
いろんなことがこのお寺であったんだなあって。
なんだか不思議な感覚。

あと、実は僕も隠れM字。
内面も隠してないで、輝いていきます。




たま
あゆたん、記事ありがとう。

M字も、毎年深くなっているかもしれないけれど、同様に、いやいや、M字以上に、内面が深く豊かに進化しているのは、先生も認められているところだと思うよ。

私も、いつも助けられています。

伊勢の写真、笑っちゃうけど、泣けてくる。
様々な思いがこみ上げてくるよ。




ひさえ
あゆたん。

記事ありがとう。

M字縛霊の心の輝きが眩しいです。


ユージ
あゆたん、ありがとうございます!
そして、お世話になってます!

僕は六年前に、鏡を見て髪型をセットしてる自分が本当に嫌になった瞬間があって、

「お前は人生の半分を鏡の前で過ごしてないか?」

「大体そんなんで魅力的な男になったつもりか?」

「そんな時間あるなら練習しろ!」

とか、心の声が聞こえてくるわけです。

俺はそんなちっぽけな自分に嫌気がさして、ありったけの声で叫んだんです。

「バリカン持ってこーいっ!!」
って。

もちろん、誰も聞いていないし、誰もバリカン持って来てくれないから自分で刈りました。

マイセルフですね。

俺は坊主頭になって手放したんです。

何と無くの格好良さを。

理由のない格好良さを。

本当にカッコいい男になるために。

だから一生髪は伸ばしません。

そして、髪を刈って際立ってしまったM字ですが、もともと生まれつきなんで(笑)

ナチュラルボーンM字というか。

もう別にMでもSでもVでも何でもいいんです。

固執してないから。

自分の曲でも言ってるんですが、

Release Yourself!

ですよね。

手放して得たんです。

自由を。

これからもよろしくお願いしますね。


同士。



ミオ
あゆたん

記事、読んだよ。
マネ隊として参加させてもらったけれど、おもしろくて、チェックにならなかったよ。

むっちゃんと私の写真の奥に潜む地縛霊。
本当に地縛霊に見えるから凄い。


ゆーじくん。

ナチュラルボーンM字って。
笑いました。
かっこいいです。


よだ
あゆたんの記事と、みんなのコメント読んで、ほんと笑うし、思い出もよみがえり、じーんとしてたりだったんだけど、ゆーじくんコメント読んで、一瞬でもってかれました。

ゆーじくん、まじで、かっこいい!
ほんものの、M字己愛に触れた気がした!

でもまいこ、
ソフトタッチなM字なんだね・・・意外(笑)

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あたたかい人たちと、共に

こんにちは。7期生のまゆです。

前回は、完全に自己喪失だった「ゆり」が、先生や仲間の存在によって、一昨年の伊勢合宿から、たった一年の間に大きな変容をとげたことについて、お伝えしました。
今回は、変化があったとはいえ、まだまだ人を求める気持ちとは程遠かった「ゆり」に、昨年12月の伊勢合宿で、「人といっしょにいたい」という気持ちが芽生えはじめたことについて、お伝えします。

伊勢前に、「ゆり」がたびたび浮上していた私は、合宿に入ってからも、「ゆり」でいることを自分に許して過ごしていました。今までは、「人と接するのが苦手な『ゆり』では、人と一緒にいられない」と思い、他の人格を前面に出して人と関わってきたのです。

しかし私は、合宿の前に、「先生にだけは、自分を知っていて欲しい」「自分の存在を知ってもらうことが、苦しくも、あたたかい」と感じられるようになった「ゆり」と、この合宿を一緒に過ごしてあげたいと思うようになったのです。
それは、いつも先生が言ってくださる、「ありのままでいいのだ」という言葉が胸にあったので、いま浮上している「ゆり」を、無理に引っ込めたくなかったからです。

実際に伊勢合宿に入って、一日目を「ゆり」の存在を意識しながら過ごしていると、いつもとは全く違う私で、自分でも不思議な感覚でした。人と一緒にいることに戸惑いながらも、でも、「もう一人でいるのはいやだ‥」という気持ちがありました。みんなと一緒に時を過ごしていて感じる、不安とあたたかさ。その両方が入り混じった思いとして、「ゆり」は、「本当にここにいてもいいのかな‥」と感じていたのです。普段人前には出ない人格で過ごすと、こんなに見える世界や感覚が変わるのだと思いました。

合宿二日目、「ゆり」は、前日より人の中にいることの不安が薄れていました。そして私は、仲間といっしょに、金剛證寺(こんごうしょうじ)という、大師ゆかりのお寺へ向かったのです。
金剛證寺には、奥の院という、墓石や仏塔が連なる場所があるのですが、そこにあった1つの石板を前にしたとき、何かを感じた私の目から、涙が勝手に溢れ出してしまったのです。そのとき、行動を共にしていた同じ7期生のくみちゃんに、「何を感じていたの?」と問いかけられ、私は「なんとなく、石板から『もっと生きたかった』という声を感じる」と答えました。

そして私たちは、さらに仏塔の連なりの間を歩きながら、多くの魂の歴史を肌で感じていました。それは、重く重く、深いもので、まるで、輪廻の壮大さを思わせるものだったのです。
歩いているあいだに、身体が冷え切ってしまった私とくみちゃんは、暖をとるために、奥の院の突き当たりにあった茶屋に入りました。

その茶屋には、ご高齢であろう背中の丸く曲がった、おばあちゃんがいました。私たちを迎えてくれたおばあちゃんの、親しみのこもった笑顔は、私をほっとさせました。
そして、はじめて会った私たちに、おばあちゃんはお茶やおせんべいを出してくれたり、いろいろな話をしてくれたりしたのです。

私は、こうやって人のあたたかさに触れられることを、過去にないほどに、とてもうれしいと思いました。そして、おばあちゃんのやさしい心遣いが、切ないほど胸にひろがっていったのです。それは、先ほどの石板から感じた、「もっと生きたかった」という思いが、私の中にあったからなのだと思います。
そのときの私は、このやさしい時間を、とてもとても大切に感じていました。

その大切な時間を、こうやって、くみちゃんと共に過ごせていること。そして、おばあちゃんの、包み込むようなあたたかな空気や、やさしい気持ちに触れたことで、涙が次々とあふれてきて、止まりませんでした。このとき、「ゆり」も、私の中で人のぬくもりを感じていたのです。

この日は12月8日。71年前に、太平洋戦争が始まった日でした。
おばあちゃんは話の中で、先ほどの石板が、戦争に関わる人の思いを綴ったものだと教えてくれました。これらのことを知った私は、今日という日に、ここに導かれたことや、おばあちゃんと出会ったことが、高次の存在による計らいだと確信しました。私が、石盤の前で感じた「もっと生きたかった」という思いは、戦争へ向かった人の思いだったのです。

おばあちゃんの話を聞きながら、私の中には、当時の人々の思いが押し寄せてきました。

本当は、戦争になんて行きたくない。
もっともっとやりたいことがあった。
もっと生きたい。

志半ばで、強制的に戦争に向かわなければいけなかった無念さ。
残していかなければならなかった、大切な人たちを思う心。
黙って送り出すことしか出来ない人たちの、悲しみ。

そんな当時の人の思いを感じて、私は、「今、こうしてここで、誰かと一緒にいられることは、奇跡なのだ」ということを、知りました。全てが当たり前ではないということを、知ったのです。それこそが、いつも先生が教えてくださる、「死が生を輝かせる」ということでした。

そして、奥の院から帰ってくるのを待っていてくれた仲間たちが、感情が溢れ続ける私とくみちゃんに、寄り添い、話を聞いてくれました。隣で私の手を繋いでいてくれた、7期生のあゆたん。そばにいて、見守ってくれているみんな。とてもゆっくりと、やさしい時間が流れていました。

私はこのとき、一日目にアマテラスから受け取ったメッセージを思い出しました。アマテラスは私に言いました。「あなたが強く求めたから、この地に生きているのだ」と。
そして私の中から、「この手を離したくない。こうやって、大切な仲間と共に、時を過ごせることは、本当にかけがえのないことなんだ」という気持ちが、湧き出てきました。これは、今回の合宿に参加したみんなが、感じていたことだと思います。

「心を重ね合わせ、時を共有していること。それは、なんて安心出来る、幸せなことなのだろう。いつまでもこうしていたい」と、このとき、「ゆり」も一緒に感じていました。
それと同時に、過去に生きていた人々が抱えていた喪失感や虚無感が、時間軸を越えて、私の中にも同時に存在するような感じがしました。それは、今まで味わったことのない感覚でした。

伊勢合宿での経験を経て、「ゆり」に、「こうやって、あたたかい人たちと共にいたい」という、小さな思いが生まれているのを、私は感じました。
それは「ゆり」の中に、人と一緒にいたいという、気持ちがはじめて芽生えた瞬間でした。

この、「ゆり」に起こった変化は、私自身に、大きな影響を及ぼしました。
人がそばにいてくれることを心から「ありがたい」と感じられるようになり、人を大切に思う気持ちが、私の中で大きくなっていたのです。

それは、先日の、先生のお誕生会&新年会のときに、自分の中ではっきりと感じられました。
その日、関東地方は大雪で、参加予定のみんなは、私も含めてリラに辿りつけるかさえ、分からないような状況だったのです。
動かなくなった電車の中にいた、私の内側に、伊勢合宿のときと似たような感覚が蘇っていました。みんなが元気であること、こうして生きていること、そして大好きな人たちに会えるということは、決して当たり前じゃない。先生やみんなが、大切で、かけがえのない存在なのだということ。
以前の私は、「大切」という意味さえ分かっていませんでした。単純に、みんなと会えて楽しい、うれしいというだけで、みんながそこにいることを、当たり前だと思っていました。

しかし今年は、みんなでお祝いできるその時を、心から愛おしく思えたのです。特に先生に対しては、昨年は「師」という感覚が強かったのですが、今年は、「魂の家族」なのだとはっきり感じていました。
先生は、愛情を惜しみなく私に与えてくれて、しっかりと私を守ってくれるお母さんであり、同じ目線に立って語りかけてくれる、親しみのあるお姉ちゃんでもあるのです。


このように、先生や仲間を、本当にかけがえのない存在だと感じる気持ちが育っている今、「大切なものを、本当に大切にしたい」という思いが、私の中でどんどん大きくなっています。
そして、私は、私自身のことも大切に愛していきたいのです。
それが、先生からかけてもらっている愛情に応えることだ、と思えるようになったからです。

私はこれからも、まっすぐに愛に向かって生きていこうと、そう心に決めています。


依田 真由美

【2013/02/19 23:44】 | 伊勢召喚(2012年)


本山
よだちゃん

記事をありがとうございます。
後編も、読ませてもらって、ますます心があったかくなりました。

こうやって、どんどんハートを開いてきたんですね。先生のお誕生日会の時の、よだちゃんの笑顔がとても印象に残っています。それは先生を、そして仲間を「魂の家族」を感じていたからなんだろうな感じます。

「大切なものを、本当に大切にしたい」心に響きます。
私もよだちゃんのように愛に向かっていきたいです。




ひさえ
よだちゃん。

後編記事をありがとう。

ゆりを感じ丁寧に声を聞いている姿勢が、そのまま誠実なよだちゃんを感じます。

完全な自己喪失のゆりが、生きていたい、人と一緒にいたいと思えるまでになったんですね。

先生と仲間の存在を、大切にしていきたい。


まゆ

あの時は、奥の院から、くみちゃんと二人、大泣きしながら帰ってきたのを見て、びっくりしたよ。

そして、ただただ、一緒にいてあげたいと思った。

それしか、できなかった。

記事を添削していて、その時のことがよみがえってきて、少し、照れくさかったけれど、かけがえのない、大切な思い出だっていうこと、改めて感じた。


けんけん
まゆ

「大切なものを、本当に大切にしたい」

この思い、何で僕は薄らいでしまうんだろうって
今考えている。

失ったり失いかけてやっと慌てる。

そして何でもっと大切にしなかったんだって嘆く。

その度に今度こそ、今度こそって思うのに。

リラに来て当たり前じゃないって事何度も気付く。

それをなかったことにしない。

伊勢が成功したからこそ
もっと自覚を持って生きることを宣言したということ。
そういうことだったんだって感じる。

今からだって出来る。
ちゃんと点と点を繋いで筋を通して生きていきたいと思った。

伊勢で得たもの大切にしていこうね。



はるか
マユ、ありがとう。

どんなことも当たり前じゃないんだ、かけがえないんだって思いとともに、伊勢のこと、お誕生会のこと、スクールのこと、みんなで過ごした時間のこと、やり取りのこと、頭を駆け巡ってた。

大切なものを大切に出来る自分になっていきたい。
そうやって、先生やみんなにかけてもらった愛情に応えていきたいって思ったよ。

そのためにも、自分を大切にすることだって、この前もマユに言ってもらったね。いつもありがとね。


ぶん
まゆちん、

記事をありがとう。
金剛證寺で、泣きながら戻って来たまゆちんとくみちゃんを思い出す。
僕も、一緒にいるということしか出来なかったし、
でもそうしていたかった。


「魂の家族」に目が吸いつけられる。

でも、自分もそうなりたいとかでなくて、
既にそうなのを、あとは自分で感じるだけだとか、
自分がそう在りたいのかどうか、と問われている気がする。



かのう
ゆりが、人の中に一緒にいたいと
思えるようになったってすごいな…。

自分の中で、自分もそうなりたいと
言う声が聞こえてくる。

まゆちゃん、ゆり
心の奥底にじんわりくる記事、本当にありがとう。
力と希望もらった。


よしみ
まゆ

しみじみと、じんわり心に届いてきたよ。

かけがえのなさって、対局の無とか、死とか、
そういうところからしか、本当に、実感できないんやなと、感じた。

「ゆり」の変化は、まゆにとって、本当に大切な一歩なんだな、と感じたよ。



佐々木
よだちゃん
「ゆり」の心の変化が、温かくそして力強さを感じました。
今のよだちゃんの力強さそのものですね。
過去を感じ、今生きているこの時大切だと思った。
よだちゃんからはいつもみんなへの愛情を感じるよ。

勝手によだちゃんと呼ばせてもらうね。





たま
まゆ、ありがとう。

自己喪失だったゆりが一年をかけて、先生や仲間に支えられて、愛に向かって、恐る恐るだけど、ゆっくりと着実に開花していく様子が見てとれる。

本当に死は生を輝かせる。
当たり前のことを、しっかりと胸に刻み込んでいきたいと思ったよ。

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私という存在

こんにちは。7期生のまゆです。

今回は、一昨年の伊勢召喚を経て、昨年12月の伊勢召喚までの間に起こった、私の根底を揺るがすような変化について、みなさんにお伝えしたいと思います。
それは、私の中にいる分裂人格の、「自己喪失人格 ゆり」の変化です。

一昨年、私はスクール7期生として、伊勢召喚に臨みました。
そして合宿最終日の明け方、リラで初めての「チームとしての召喚成功」という歓喜にみんなが包まれる中、私は一人、どこまでも沈んでいくような感覚に呑みこまれていったのです。全ての感情が感じられなくなった私は、まるで別世界にいるような、みんなから置いてけぼりにされたような状態になってしまいました。

それは「ゆり」の感じていた感覚でした。

「ゆり」は、私の分裂人格の中でも、非常に掴みどころのない人格でした。暗く静かな雰囲気を持つ「ゆり」は、とても内向的で、常に孤独を感じていて、人と接するのが苦手な人格です。

後日、先生に説明して頂く中で分かったのですが、「ゆり」があのとき、別世界にいるような状態におちいったのは、みんなが一体となり、愛のエネルギーが活性化している状況を目の前にしたとき、あまりの自分とのギャップに、ショックを受けた「ゆり」が表面化してしまったからでした。

合宿最終日の明け方、「ゆり」が浮上してきて、「心ここにあらず」のような状態になってしまった私を、先生とみんなは、あたたかく見守ってくれていました。そうやって、たくさんの人にそっと見守られる体験は、「ゆり」にとっても、私にとっても、初めてのことでした。
そして、先生は私に向かって、「良くがんばったね」と真っ直ぐ微笑んでくださいました。

このことは、「ゆり」にとって、自分の存在を、人から初めて認められたと感じた瞬間でした。
「私のことを、こんなふうに見つめてくれてる‥」と、言葉にならない驚きとともに、先生とみんなの愛情を確かに感じた瞬間でもありました。

このように、一昨年の伊勢で、心に小さな灯がともるような体験をした「ゆり」でしたが、それから約一年間、「ゆり」はいつも私の心の奥の方に引きこもっており、滅多に表に出てくることはありませんでした。
それでも、「ゆり」に目を向け続けてあげることが大切なのだと、先生は「ゆり」との接し方についてアドバイスしてくださり、私はそれだけは心がけるようにしてきました。

そして昨年の10月の終わり頃、私の心に突然、「私は、なんのために、生きているんだろう‥」という言葉が響きました。よく感じると、それは「ゆり」の気持ちでした。
その気持ちを何度も反芻していると、私はわけもなく泣きたくなりました。
「生きる意味が分からないなんて、どれだけ虚しいことだろう」と、私は思いました。そして、先生に助けてほしいと思ったのです。

そして、ちょうどその日は先生のセッションでした。そこで「ゆり」は初めて、先生と直接お話することが出来たのです。
先生は、「ゆり」が何を望んでいるのかを引き出そうとしてくれたのですが、「ゆり」は、「何かをしたい」という思いもなく、人と関わろうという意思すらありませんでした。「ただただ、先生にだけは、私の存在を知っていてほしい‥」という気持ちで、先生の前で涙を流していたのです。

そんな様子の「ゆり」に、先生は、「先生に知ってほしいと思うってことは、本当はみんなにも知ってほしいんじゃないの? じゃあ最初は、『ゆり』にとって一番話しやすい仲間と話をしてみたら?」と提案してくださったのですが、「ゆり」の答えは、「遠くから見てるだけでいい‥」というものでした。

このとき先生は、「ゆり」は、対人恐怖を抱えていて、完全に自己喪失を起こしている人格だと教えてくださいました。「ゆり」は、自分というものが何なのか、誰なのかを見失った、幽霊のような人格だったのです。


そして私は、今回の伊勢合宿を前に、たびたび「ゆり」と向き合うことになりました。

例えば、合宿の直前に、8期生のいずみの娘さんがノロウィルスにかかり、入院するという事態が起こった時のこと。それを知った8期生のメンバーは、すぐさま衝動のまま、いずみのためにそれぞれが何を出来るか考え、動きました。

私は、そんなみんなの愛情深さを目の当たりにして、急速に自分が小さくなっていくのを感じました。それはまるで、ちょうど一年前の伊勢で、成功の歓喜の中、自分だけが別世界にいるように感じた時と似た感覚でした。
これは、先生からも教えて頂いたように、愛のエネルギーが活性化している状況を目の前に、「ゆり」が私の前面に浮上したからです。

そんな時の私は、「ゆり」の孤独感、疎外感に呑みこまれてしまいます。
そうして、「ゆり」が完全に心を閉ざすことで、私は一瞬で機能停止してしまうのです。そうなると、自分が何をどうしたいのかも、分からなくなってしまいます。それはまさに、自分という存在の軸を見失う感覚です。

そんな私に対して、今では仲間の中で最も心を許しあう関係となった7期生の優実は、根気強く、私自身や「ゆり」に向きあってくれました。そして優実は、「ゆり」の目線に合わせて、語りかけてくれました。
そんな優実に対して、「ゆり」は戸惑っていましたが、私自身は、優実の存在に心から支えられ、仲間の大切さを身にしみて感じはじめていたのです。

そして他にも、「ゆり」が人に近づくきっかけとなる出来事がありました。それは、8期生のともこが、「ゆり」にメッセージをくれたときです。
その頃、伊勢が近づいていたためか、私は、「ゆり」の「自分は必要のない存在」という思いをぼんやり感じていて、人を遠ざけることが多くなっていました。
そんな「ゆり」を見て、心配になったともこは、「『ゆり』と『お花ちゃん』は似てる」とメッセージをくれたのです。

「お花ちゃん」は、ともこの中にいる、無意識のうちに頑なに心を閉ざしてしまう人格です。ともこは、以前から「お花ちゃん」と「ゆり」が似ていると感じていて、「ゆり」のことが気になっていたのです。
「ゆり」は、自分のことを近しく思ってくれるんだということが、心にじわっとしみこんできました。実は私も、「お花ちゃん」に対して、自分に近いものを感じていて、なぜか特別気になる存在だったのです。二人は、「みんなとは別世界にいる感じがする」という感覚を、共有していました。

そして、その時のメッセージでともこは、「『ゆり』は、ちゃんといるね。まゆの中にいるよ」と言ってくれたのです。
その言葉に、「ゆり」の心は、きゅーっと苦しくなり、同時に静かであたたかいものがこみ上げてきて、「ゆり」は泣きました。

「自分の存在を知ってもらうことや、誰かが存在を認めてくれることは、どうしてこんなにも胸が苦しくて、あたたかなのだろう」と。


私の人格の中でも、浮上してくることが少ない存在であった「ゆり」。
しかし、一昨年の伊勢で、自分という存在を初めて認めてもらって以来、「ゆり」は、大きく変わりました。

「先生にだけは、自分を知っていて欲しい」と涙したり、「自分の存在を知ってもらうことが、苦しくも、あたたかい」と感じられたりする中で、少しずつ「自分は存在しているんだ」と、思えるようになっていったのです。

完全に自己喪失だった「ゆり」が、たった一年の間に、ここまでの変化をしたことは、驚くべきこと。そしてこれは、先生や、仲間の存在があったからこそです。

そんな大きな変化を起こした「ゆり」は、さらに、今回の伊勢で、人の存在のかけがえのなさを知ることになりました。
そのことを、後編でお伝えしたいと思います。


依田 真由美

【2013/02/16 23:16】 | 伊勢召喚(2012年)


本山
よだちゃん

記事をありがとうございます。

「ゆり」が先生の愛情に触れ、そして仲間たちの優しさに触れ、存在をわかってもらうことを通して、少しずつ心を開いてきた。そしてたった1年でここまで変化してきた様子、読ませてもらって私も心が「ぽわっ」とあたたかくなりました。

ゆり、そうだったんだね。読んだよ。ありがとう。
私とは、ひょっとして「はじめまして」かな?これからよろしくね
そう「ゆり」に伝えたくなります。


よしみ
まゆ

一昨年の伊勢の後、ゆりの閉ざした心が表面化して、
でもそこから、先生、ゆみや、ともこの心に触れ、
ゆりの心が動いていく過程を読んで、胸が温かくなったよ。

>「自分の存在を知ってもらうことや、誰かが存在を認めてくれることは、
どうしてこんなにも胸が苦しくて、あたたかなのだろう」

この言葉が、私のハートに、響いてくるよ。


さらに、その後のゆりについて、後編を待っているよ。




ぶん
まゆちん、記事をありがとう。

読んで、一昨年の合宿の時の光景を、
たった今のことのように思い出すよ。

あの日をきっかけに1年をかけて、ゆりが「自分が存在しているんだ」と思えるようになったこと、本当によかったし、すごいなって思う。

後編もすごく気になる。待ってるね。


はるか
マユ、ゆり、記事ありがとう。

新年早々のスカイプミーティングから始まり、とうとうここまで来たかって、感慨深いよ。

添削させてもらってて、ゆりのこともたくさん知れて嬉しかったよ。

先生に見守ってもらったゆり。
こうやってみんなにも知ってもらえて、また嬉しいね。

人に存在を知ってもらうって胸が苦しくて、でもあたたかいね。

後編も楽しみに待ってるね。


いでちゃん
そうか、そういうことだったのか。
あなたの記事に私は衝撃をうけました。

私は心療内科医をしています。
精神医療を仕事にしているわけですが、人の心にアプローチする方法としての人格統合という体系がもつ力に驚きます。

そこまで人は心に到達することができるのか。
そうやれば、核心にいけるんだ。

人は、様々な願望をもちます。
「〇〇がしたい」という願望に

「それはなぜですか?それを通じてあなたが得たいものは何ですか?」

という問いかけをしてゆく。およそ3~5回も「それはなぜですか?」を重ねると、その人の根底にある願望にたどりつきます。

ほとんどの場合は
「認めて欲しい」
という願望がでてきます。
伊藤先生が、ネガティブを愛する生き方 で述べているとおり、認めてもらえるためには条件がついていることが多い。

「年収が500万円を超えたら、愛してあげる」

これくらいだと笑えますが、

「偏差値の高い中学校に受かったら、愛してあげる」

のような話はゴロゴロしており

「ママの言うことをきいたら、愛してあげる」

くらいになると普通なのかもしれませんね。

私達は誰もが無条件の存在承認を渇望してる。
診察室で「認めて欲しい」とあえぐ患者さんに私は直面してきました。

どんなに
「あなたには価値がある」とかいっても、こちらの声は患者さんの硬く閉ざされた心には届かない。
どうすれば、よいのか。

その答えが人格統合ですね。
それは単なる方法・やり方ではない。
よださんが示したように、全体を包む愛のエネルギーと場があってはじめて、その子がおそるおそる顔をだす。
さしのべられる手の暖かさと、気遣いの繊細さ。
人類の到達点を見る思いがします。

昨日、よださんに私が受けたセッションがよみがえる。
あなたのもつ魂のきらめき、信じられないほど強い共感力、息づく心。
私はこれから学ぶ立場ですが、新たな精神医療の可能性が開けてゆく希望に力をもらいます。

よださん、素敵なシェアをありがとうございます。




たま
マユ、記事をありがとう。

自己喪失していたゆりが、先生や仲間に支えられて変化し、成長していく。凄いことだなと思う。
先生からの愛や導きはもちろんのこと、ゆりの変化を受け入れるやわらかい心にも、感動します。

喪失してしまった自分を取り戻すことが、容易いことでないことだけは、私でも分ります。

イライザはゆりとお話したいと言っているよ。





ともこ
まゆ 記事ありがとう。

まゆの中のゆりを感じた時、私の中にも、ゆりはいるって思えた。

私には初めての感覚で、その時から、自分のことのように気になる存在になった。

今、お花が静かに泣いています。
言葉ではうまく気持ちを伝えられないのだけれど、ゆりって名前を呼んでいるよ。

後編も楽しみにしているね。


ひさえ
まゆ。

記事をありがとう。

ゆりを感じていたら「寂しい」って言葉を口にする、よだちゃんを思い出した。

ともこのコメントを読んで、二人が心の奥で繋がっているんだなって感じたよ。

私も後編を楽しみにしています。


いずみ
マユちゃん

記事をありがとう。

「ゆり」のことをたくさん知ることが出来て、とても嬉しかった。
私の娘が入院した時に、ゆりはそんな想いを抱いていたんだね。

記事を読みながら、「静寂の中に美しく在る」というイメージが浮かんだよ。
それこそ、百合が花開きながらぽっと光を灯すような、そんな静かで温かな美しさ・・。
もっともっと、「ゆり」の事が知りたくなったよ。

後編が楽しみです。
そして、ゆりに会いたいです。


佐々木
よださん
記事ありがとうございます。

「ゆり」のこと聞いて、胸がきゅーって苦しくなりました。

「自分の存在を知ってもらうことや、誰かが存在を認めてくれることは、どうしてこんなにも胸が苦しくて、あたたかなのだろう」と。

嬉しいね、私も一緒に温かくなりました。
私もちょうど予備校の授業で、人に知っていてもらうことがどんなに嬉しいことか実感することがありました。

「ゆり」がどんな変化をしたのか、後編も楽しみにしています。





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真剣に楽しみながら生きる

こんにちは、7期生の伊東です。
まずは、この写真をごらんください。

isewan_20130208152131.jpg

青のグラデーションが美しい空と、山々の向こうに広がる青い海。見ているだけで気持ちが広がっていくのを感じます。

この写真は、伊勢召喚の2日目、朝熊岳の山頂付近にある、金剛證寺(こんごうしょうじ)を訪れた帰りに撮ったものです。

金剛證寺は、大師にゆかりのあるお寺で、その境内には大師の像が納められている御堂があります。

私が、この金剛證寺に行ったのは、大師に会いたかったからです。
6期ベーシックのチーム召喚は、高野山でした。ですが、そのときの召喚は、惨憺たる結果に終わったのです。自分の未熟さを目の当たりにした私は、何ともいえない虚しさの中、重い足を引きずりながら、帰り際に、大師のいらっしゃる奥の院を訪れました。そこで私は、「また、必ずきます」とお伝えして、高野山をあとにしたのです。

そのときの、無念さ。情けなさ。
自分のことしか考えられず、人とハートを開いて繋がるなんて、これっぽっちも分かっていなかった。仲間に対して、自分の気持ちを伝えることさえできなかった。

そして2年後、召喚の場所は高野山から伊勢に変わったものの、どうしても、今の自分を見てもらいたくて、仲間とともに金剛證寺を訪れたのです。

そして、大師の像のまえで、この2年間のことを報告しました。

ひとつの失敗に囚われ、「なんてダメな人間なんだ。おれには、カルマ清算なんて無理なんじゃないか」などと、自分のカルマパターンに翻弄されたこと。
それでも、自分のことを、自分以上に分かってくれて、考えてくれて、愛情を注いでくれる先生に、人として誠実で在りたいという気持ちだけは、掴み続けて頑張ってきたこと。
その結果、人と分かり合い、心を通わせることが少しずつできるようになってきたこと。

このように、自分の成長を振り返りながら大師を感じていると、まるで久しぶりに会う親戚のような親しさで、「よくきたな」というメッセージを、大師から頂いたのです。

そして、まぶたを閉じて瞑想していた私の目の前には、雲の上から地上を眺めているようなビジョンが見えてきました。とても静かで落ち着いていて、それでいて、どこか軽やかな空気が流れていました。
そのとき私は、大師が横に座って、一緒に広大な景色を眺めてくれているような安心感と、あたたかさを感じていました。

時間も空間も越えて、まるで自分が死んだあと、その一生を静かに振り返っているような気持ちだったのです。「ああ、頑張っていたな。あのときは、必死でなにも見えなかったけど、苦しんでいる自分も、喜んでいる自分も、愛おしいな」と。

すると、不思議なことに、自分の視野が一瞬にして広がって、心がすーっと軽くなるのが分かりました。大げさにいうと、葛藤や歓喜、不安、成功、行き詰まりなど、人生で起こる出来事の全てを、あたかも真剣勝負のゲームのように、楽しんでしまえる感覚だったのです。


しばらく、その空気に浸ったあと、私は、仲間といっしょに車に乗り込み、山を下りました。曲がりくねった道を車で走り、いくつかのカーブを曲がりきった瞬間、突然、広大な伊勢湾の風景が目に飛び込んできました。そして、その景色はまさに、瞑想していたときのビジョンと同じ、雲の上から眺めた風景そのものだったのです。

車に乗っていたみんなが、「おー、素晴らしい! これは、車を停めるしかないね」といい、私は車を脇道に停めました。そこで撮った写真が、冒頭の一枚なのです。

この写真の風景、実は、私だけがビジョンとして見えていたのではなく、同じように大師の前で瞑想していた7期生の舞ちゃんや、8期生のはるかも、なんと、この写真にそっくりなビジョンが見えていたというのです。

このように、シンクロしていた嬉しさや感動を、お互いに伝え合うことも、ここにきてようやく自然にできるようになってきました。他愛のないことですが、私にとって、小さくも大きな成長のひとつなのです。


伊勢召喚から2ヶ月が経った今、振り返ってみると、大師は、言葉こそ少なかったけれども、人生の、輪廻の壮大さを伝えて下さったのと同時に、それを楽しむことが大事なのだと、あのとき、私に教えてくれたのだと分かります。

そして、そのメッセージは、私の普段の生活に浸透している実感があります。
伊勢から帰ってきて以降、例えばチームの誰かと揉めるようなことがあっても、「どうしよう、どうしよう」と焦ってばかりで、右往左往することが少なくなってきました。落ち着きがなくなることもありますが、そんな時には、自然とあの伊勢の風景が思い出されるのです。

そうすると、大師をはじめ、アマテラスなどの高次の存在たちが、自分の思い至らないようなところで、助けてくれているのだと感じるのです。
そして、伊藤先生という、現実の世界で言葉を使って分かりやすく、愛情をもって道を示してくれる師に見守られながら、のびのびと仲間とぶつかり合えることが、本当にありがたいと思えるのです。

これは、私だけでなく、伊勢召喚に参加したスクール生みんなが、伊勢を経て、より強く実感していることと思います。
今生で、裸でぶつかり合いながら、お互いに、裏表のない信頼関係を積み上げていけることが、どれほど貴重でかけがえのないことなのか。

私は今、このことを噛みしめながら、毎日毎日、一瞬一瞬を、真剣に楽しみながら生きていきたいと心に決めています。


伊東 歩

【2013/02/10 23:00】 | 伊勢召喚(2012年)


本山
あゆたん

記事をありがとうございます。

まず、写真に初っ端から惹かれました。
すごい!このビジョンを複数の人たちで見ていたなんて!

俯瞰して自分の人生を眺める
今起きている一つ一つ全てがゲームのように
その感覚、私も持ちたいです。

先生に見守られながら、ありのままを表現して、仲間とぶつかりあえる、わかりあえる、その有り難さを私も最近すごく感じています。

私も大師に会いに、金剛證寺に行きたかったな~、来年こそは!って思います。


ひさえ
あゆたん。

記事をありがとう。

写真のダイナミックさに圧倒されます。

写真を見ると、大師の声が今にも聞こえそうだ。

本山さん、金剛證寺、一緒に行きたいです。


いでちゃん
伊東さん

いでちゃんです

素敵なシェアをありがとうございます!

あなたの文章から、清々しさが伝わってきます。

伊藤先生は、宇宙とつながってる。
伊藤先生の教えに沿って進んでゆくと、時には伊藤先生を介さずに直接宇宙の存在を感じることができるのだというエピソードに聞こえました。

明確に、奇跡の体験であると思われます。

伊藤先生は、人格統合IIの中で(P101〜)、

[‰:0000FF]『多くの人は、現時点で得られそうもない何かを得ることや、現実では考えられないというラッキーに遭遇することが、奇跡だと思っている。だが奇跡とは、あなたが当たり前だと思っていることの中に存在するものである。奇跡とは待ち焦がれるものでなく、常に起こっているものだ。
これらの奇跡に気づいた時、あなたの中には感謝が生まれる。
それは、あまりにも多くのものを、与えられていることへの感謝である。
奇跡に気づき、感謝を知った時、あなたは、それまでの自分のあまりの傲慢さと愚かさに羞恥心を覚えるはずだ。与えられているものには感謝をせず、足りないものばかりに不平不満を並べてきた自分の在り方を、何が何でも変えたいと思うはずだ。そして一度しかない人生を精一杯生きたいと、願ってやまなくなる。
霊的探求者の根底にあってほしい想いは、これだ。

そう思った時、あなたは己の純真さと気高さに触れる。あなたは、自分を愛するために、人生を豊かにするために、出来る限りの努力をしたいと心の底から望むだろう。
後悔だけはしたくないと、一日、一日を大切に生きたいと、強く思うだろう。
』[/‰]

私も伊東さんのような体験をしたい。
いつだって宇宙とのつながりを確信できているような感覚が欲しい。

伊東さんが、カルマ清算コースとどのような関わりを持たれるのか存じませんが、あなたの様な先輩がいてくださると、私達が道を外れる可能性は激減するはずです。

深い学びを与えてくださったことに感謝します。


りょう
あゆたん

金剛證寺、本当によかったですね!
あゆたんが朝呼びかけてくれた時にピンときた。
その感覚にしたがって本当によかったと
思います。

金剛證寺ではメッセージこそ受け取らなかった
ですがすごく温かい包まれるような空気を感じ
ました。
記事にあげてくれてる写真のような温かさがあった。
普段人といると緊張してしまう自分が
そこでは自然体でいられた。

本当に温かいお寺でしたね。

来年も再び訪れようと思いました。




ぶん
あゆたん、記事ありがとう。

金剛證寺で大師の前で先生の静かな笑顔が浮かんだこと、あゆたんの運転で下ったワインディング、その車中でのみんなとの会話、そして目の前に現れたこの風景。
今でもはっきりと刻まれている。

これから、何回もこの「景色」に戻って、"真剣勝負のゲーム"を楽しもうって思う。



舞子
あゆたん

あの時、あゆたんとはるかと、同じビジョンが見えていたこと、本当に嬉しかったんだよ。
私が感じた大師も、とても温かく親近感があって、すごく肩の力が抜けたんだ。

あゆたんがここまで成長してきたのは、
先生にだけは、誠実であり続けたいという想いがあったからなんだよね。
あゆたんの在り方から、それを、日々感じてる。
そして私も、真剣に本気で向き合ってくださる先生に、いつも胸を張っていられる自分であるように、頑張るよ。

いつも、本当にありがとう。




よしみ
歩たん、記事を読んでいて、とても清々しい空気を感じたよ。
何人かで、シンクロして同じ景色を同時に見ていたなんて、すごいな。繋がっているね。

2年ぶりに大師にあって、一回り成長したことを、実感したんやな、
胸はって、大師の前に立てたってことなんやなと、胸が温かくなったよ。

私も、先生が見守ってくれている中、のびのびと、真剣に楽しんでいきたい。



佐々木
歩さん
記事ありがとうございます。
この写真の広大さ清々しさ素晴らしいと思いました。

そして歩さんの、真剣に楽しんで生きるという
なにか器の大きさを感じました。

改めて伊勢召喚というの自分の成長を感じ、みんなと分かち合える大切な場所なんだなと感じました。
私もいつか金剛證寺行ってみたいです。


たま
歩さん
記事ありがとう。

金剛證寺に皆で行けたことを思うと、たとえ、今後行くことがあったとしても、あの日、あの時、あのメンツで行くことは二度とないだろうと思う。

私もいつか、あゆたんのように成長した自分を胸を張って報告できるようになりたい。
そして、苦楽を分かち合ったチームと共に、今とは違う景色が見えるようになりたいと思いました。


けんけん
歩タン 素敵な写真の記事ありがとう。

先生や高次の存在の助力を感じられるようになったのは
歩たんが受け取れるように変わってきたからなんだよね。

6期の頃を考えるとすごい変化だと思う。
感じること難しかったよね。

いくら言葉を受け取れても
本当の意味で受け取れてなかったら意味ない。

僕も受け取れるような人間になっていきたいです。



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伝えることが、愛

こんにちは、8期生のちあきです。
前回の記事では、伊勢召喚で深まった、人と関わり合うことの喜びについてお伝えしました。
今回は、伊勢召喚の後に私の身に起こった出来事と、そこで芽生えた私の意志について、お話しします。

私は、伊勢で、あれほどの感動を味わったにもかかわらず、宇宙からのギフトであるその大切な気づきを、いとも簡単にドブに捨ててしまうようなことをしてしまったのです。それは、自分の、人としての浅はかさを嫌というほど思い知らされた出来事でした。

伊勢召喚から帰って、2日後のことです。
長年働いていた職場で、突然、大幅な減給を提示されました。それを聞いて、様々な気持ちが駆け巡りました。「スクールを続けられなくなってしまうかもしれない」という恐れや、「この先の生活を、ちゃんと送っていけるのだろうか?」という不安。そしてなによりも大きかったのは、「自分は大幅に減給されてしまうほど、価値がないのだ」という、惨めな思いでした。

こうして打ちのめされて、私はすっかり自信を失ってしまっていました。さらに、スクールに通うことも継続出来なくなるかもしれない、という不安があったにも関わらず、私は先生に、すぐにご相談をしませんでした。

「このご時世、こんなことはいくらでもあることだし、勤務態度に問題のあった私自身が招いたことでもある。だから、減給なんかで、弱音を吐いている場合ではない。一人で受けて立たなければ」と強がり、2週間も先の先生とのセッションまで、自分一人で持ちこたえようとしていたのです。

しかし、「受けて立つ」と覚悟を決めたにも関わらず、その数日後、スクールに参加した私の心には、大きな不安が渦巻いていました。そのため授業中も、心ここにあらずという状態だったのですが、先生は、そんな私の様子にすぐに気づき、声をかけてくださいました。

私は、そこで初めて、自分の身に起きたことと、先々への不安な気持ちを話すことが出来ました。
そのとき、先生は、私をまっすぐに見て、こう仰ったのです。

「今のちあきの話を聞いて、『どうして真っ先に言ってくれないんだ』と思う。私や仲間のことが、後回しにされているように思うよ。ちあきの今後に関わる重大なことを、オンタイムで発信しない。それが、どれだけ人を寂しい気持ちにさせるか分かる? 伊勢で得た、チームとしての一体感をどれだけ壊しているか、想像出来る? あなたは『一人で受けて立つ』と言ったけれど、今こうして、心ここにあらずな状態でいるということは、全然、受けて立てていないということじゃない。人なんて、皆、不安な状況に陥ったときには、平常心を保てなかったり、頭が混乱してしまったりするもの。そんなときに、一人で何とかできる立派な人間なんて、そうそういない。だから、人に支えてもらうの。あなたには、自分の身に起きたことを、真剣に考えてくれる人がいる。そんな人の存在が、あなたの支えになる。人として生きていく上で、これほど、心強いことはないでしょう? これからは、こんな重大なことを相談しないなんて、絶対にやめて欲しい。その都度、全てを伝えて」 と。

先生のこのお話を聞きながら、私は、膝から崩れ落ちるような思いになりました。突然の出来事にすっかり動揺してしまい、伊勢で深く刻んだはずの、「人の支えなしには、生きていけない」という思いを、すっかりなかったことにしてしまっていたのです。

それは、「自分の弱さを、人に見せたくない」という、くだらないプライドによるものでした。そんなつまらない意地で、私の辛さや悲しさ全てを共有したいと思ってくれている、先生やみんなの思いを、踏みにじってしまったのです。それを感じ、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

そして、先生が、こんなにも深い愛情のこもった想いを伝えてくださることが、本当にありがたくて、涙が止まりませんでした。

私は、あまりにも長い間、虚勢を張って、人に弱さを見せないということを、当たり前のように繰り返してきました。しかし、自分が逆の立場だったらどう思うのかを想像してみると、やはり寂しい気持ちになります。それにもかかわらず、ありのままの私を受け入れ、今まで得たことのない安心感を与えてくださった、先生に、そんな思いをさせてしまっている。しかも、先生に、ここまではっきりと言って頂かないと、私は自分が何をしたか、分かりませんでした。
こうして私は、自分のことを大切に思ってくれている人を、全く大事に出来ていなかったのです。

このとき先生にかけて頂いた言葉を、私は毎日反芻して、心に刻んでいます。
それでも、まだ同じことを繰り返してしまう自分がいる。こんな自分は嫌だ。本当の意味で大切な人を大事に出来る自分になりたいと、今、やっと感じられています。


そして、伊勢召喚から1ヶ月ほど経った頃のことです。ひさえと、風日祈宮で共に過ごしたときのことを話していました。
ひさえは「風日祈宮でもらってきた石を、毎日見ているんだ」と教えてくれました。それを聞いて、「私も、石をもらってきたらよかったな」と思わず口にしました。するとひさえは、「また、一緒に行けばいいじゃん」と言ってくれたのです。
その一言で、私は高次の存在からのメッセージにもあった「挑戦する勇気と自信」をもらったことを感じ、共に支え合いながら頑張ろうと思いました。

こうした日常のやり取りの中でも、仲間とお互いに、心から溢れる思いを伝え合っていることを実感しています。
これは、一人では、決して出来ないこと。先生に見守られながら、仲間と、こうしたやり取りを重ねて、同じ思いを共有出来ることに、ただただ感謝の思いが溢れてきます。

前回の伊勢合宿記事「分かち合える人が隣にいる、幸せ(後編)」の中でも、ともこは「苦しいときにも、仲間が近くにいてくれるのだ」と、自身が得た安心感について伝えてくれているのですが、私も、仲間という存在は、こんなにもありがたく、心強いものなのだ、と改めて感じています。

「自分の思いを伝えたい。思いを聞かせて欲しい」。
この欲求を、いつも自分の心の真ん中に置いて、人と関わっていきたい。今、静かに、強く、そう決意している自分を感じています。
この決意を掴んで離さずに、この先も仲間一人ひとりと、そして、自分の周りの人たちと、かけがえのない絆を築いていこうと思います。


中山 千亜紀


【2013/02/07 23:31】 | 伊勢召喚(2012年)


ぶん
ちあきちゃん、

記事を読んで、副題にある「伝えることが、愛」、
この言葉が、ズドーンと入ってきます。

「自分の弱さを、人に見せたくない」という、くだらないプライドが、まだまだありまくりたけど、それも全部ひっくるめて伝えるということ、していこうと思います。




佐々木
ちあきちゃん
記事ありがとうございます。

人に弱さを見せないってことは、人をさびしい気持ちにさせる。
私も想像してみて本当にそうだなと感じました。

先生の言葉がじーんと来ます。
自分以上に自分のことを見ていてくれる人がいる。
そして支えてくれる。
これ以上の安心感はありません。
本当に私にも大切なこと教えてもらったなと思います。




ちあき。

おれも、「人に相談する」っていうこと、今までの人生でやってこなかった。

親にすら、しなかった。

リラでみんなと関わる中で、それがどんなに相手を寂しくさせてしまうのか、ようやく分かってきたんだ。

これだけ、自分のことを真剣に考えてくれる人達の中にいるのって、本当に幸せだと感じるよ。





本山
ちあきちゃん

記事をありがとうございます。

弱さを出せない、出したくない
そのプライド私もあります。
とにかくカッコつけたい自分。

でも、みんな弱さがあるし
みんな支えあって甘えあって生きていいんだ
この記事を読ませてもらって肩の力がぬけた感じです。

ちあきちゃんが書いている
「自分の思いを伝えたい。思いを聞かせて欲しい」。

私も、ここをど真ん中にして、表現していきたいです。

素晴らしいシェアに感謝します
いでちゃん
ちあきさん

いでちゃんです

示唆に富むシェアをありがとうございます。
色々と考えさせられました。

何かのきっかけで、おおおっつかんだ!!と感じる。
これはリアルな感覚であり、嘘でもないし間違ってもいない。

でも時間がたつと、あのインパクトは薄れてくる。

生活に戻ると、そこには何ひとつ変わっていない日常がある。

気づくと、元のパターンに戻っている。
もとのパターンだって、これはこれで、今まで大事にしてきたツール。
今まで必死に生き残ってきたときに、頼りにしてきた馴染みの深いツールだから。

そのうちに、あのインパクトすらリアリティを失ってゆく。

そんな経験を私も何度もしました。

そんな時は、やっぱり仲間が有効だった。
仲間にシェアし、仲間と支えあうとき、気づきがゆっくりと自分の深部に浸透してゆく。
想いが、行動に変わる。
行動が、習慣に変わったとき、はじめて成果がでる。

キーワードは、仲間であり、チームだ。

自分のためだけなら、どうでもいい。
だけど、先生のことを、仲間のことを考えると、一歩前にでる勇気を感じる。

ちあきさんに、ひさえさんというバディがいたことも重要なポイントのように思いました。
二人組、って意味が深い。
キリストが、弟子を展開させたときに、必ず二人組で送りだしたそうです。
3人でも、5人でもなく、2人。

深い学びを与えてくれて感謝します。

私も外野からではありますが、本当に応援しています。





たま
ちあき、記事ありがとう。

家族にさえ、弱音を吐いたり、悲しいとか寂しいと伝えることは心配をかけることだし、負担になることだと私自身も、ずっと思っていた。

そういう感情を含めて伝えることが愛なのだと、私もリラに来てやっと分り始めてきている。

弱さを晒して、みんなに受け入れてもらう。
こういうことをやっていけるチームのみんながいることを、とても嬉しく思う。


かわしま
ちあき

記事をありがとう。

私も、伊勢で大きな感動とともに掴んだはずの思いがあるのに、カルマの方に軍配をあげてしまったことがあった。

打ちのめされたし、涙が止まらなかった。

掴んだはずなのに、手放す。
そういうことを何度も繰り返してしまって分かったのは、相手の立場に立つことなしに、自分を改めることはできないってこと。

人と関わる中でしか、自分を改められないんだなって思ったよ。



よしみ
ちあき

一度、掴んだと思っても、いつの間にか離してしまっていて、
でもまた、そうじゃなって掴みなおして。
私も、日々、そういうことの繰り返しやよ。

何度でも、立ち返ればいいし、
立ち返る場所を、今、見つけていることじたい、
貴重ってことなんだな、と記事を読んで感じたよ。

私も伝え続けていく自分でありたい。



優実
ちあき

記事をありがとう。
弱音を吐くこと、私も苦手だ。
だから、ちあきの気持ち分かるな…と、当時も伝えさせてもらった。

だけど話してもらえないのは、やっぱり、寂しい。
弱音でも何でも、話してくれると、嬉しい。
先生のお話を聞いて、人と生きていくことの暖かさ、教えていただいたと思う。

先生のお話を聞いてるときの、ちあきの顔や、真剣な目、今も思い出す。
弱音を出せるのが、本当の強さ。
ちあきと、弱さを出し合える家族になりたい。
一緒にがんばろう



ミオ
ちあき

私もその場にいて、先生の言葉にとても衝撃を覚えた。

一人で何とかできる人間なんてそうそういない。仲間に支えてもらって、助けてもらえばいいんだっていうこと。

この先生のお話を聞いて、本当にそうだなって思った。なんだか、自分一人でやっている気にもなってしまう。私もプライドで、弱いところをみせないし、8期リーダーとして、皆にプライドで接してきてしまった。

本当に、痛いことをしてしまったなって思う。
大切な人をど真ん中において、本当に支え合える、繋がれる人間になっていきたいっていう思いを、私も持ち続けて、ハートのあるあり方を模索していきたいって思うよ。


井出ちゃん

勉強会でご一緒した、美緒です。
井出ちゃんのコメント、すごくハートに入ってきました。また、勉強会などお会いできるのを楽しみにしています。

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分かり合える喜び

こんにちは、8期生のちあきです。
前回の、8期生のともこの伊勢報告記事に続き、私にとっての伊勢召喚をお伝えします。

私は、8期生としてスクールに入ってからの8ヶ月間、毎月のように仲間と諍(いさか)いや騒動を起こしてきました。先生からは、「あなたはトラブルメーカーだね」と笑われるほどでした。

リラでは、「人との関わりの中で、本音を表現し合うことが何よりも大切だ」と学ぶのですが、スクールが始まった当初、私は、思ったことを言葉足らずな表現のまま、相手の気持ちを考えずに、ぶつけてしまうことが多かったのです。そしてそれは、たびたびケンカに発展してしまいました。

その中でも、同じ8期生のひさえとは、お互いが言葉足らずだったり、人を突っぱねたりするが故に、やり取りがかみ合わないことが多かったのです。時には、スクール生同士がやり取りをするコミュニティブログ上で、1週間以上も言い争いをしたこともありました。それだけでは収まらず、ついには、直接顔を合わせたときに、お互いを「バーカ!」だの「お前が悪い」だのと、大声でののしり合うまでに発展していきました。

そんな私に、先生は微笑みながら、「もう、好きにしていいよ」と、とても愛情のこもった声で、言ってくださったのです。

そしてさらに、このように話してくださいました。
「あなたは、『後先を考えたらやらないだろう』と思うような、人へのかかわり方を何度も繰り返している。だけど、そのたびに『こんな自分でも、先生や仲間に受け入れてもらっている』と、理屈抜きに体感していると思うよ。保身なく自分の気持ちを表現するのが、あなたのいいところでもあるからね」と。

この先生の言葉で、私は、「どんな自分でも、受け止めてもらえるのだ」という、これまで味わったことのない、大きな安心感を得たのです。
そして、先生がおっしゃったように、ケンカをして、お互いの気持ちをとことん伝え合い、仲直りをするたびに、仲間のことがどんどん好きになっていきました。

ひさえとも、ケンカもたくさんしましたが、オンタイムでお互いに思ったことを伝え合っていくたびに、少しずつ、裏表のない関係が積み上がっていきました。
また、ひさえは、落ち込んでいる私に、誰よりも早く気づいて声をかけてくれたり、私が今やるべきことを見失っているときに、叱咤してくれたりと、次第にお互いの距離が縮まっていくのを感じていました。そうして、ひさえと私は、リラの取り組みを通じて、お互いに素のまま、裸のままでぶつかり合うことで仲良くなり、かけがえのない存在になっていったのです。

そして、今回の伊勢合宿の準備も、ひさえと私は中心メンバーとして、一緒に携わってきました。準備の間も、意見をぶつけ合うことはありましたが、それは、「合宿をいいものにしたい」という、お互いの強い思いがあったからです。
こうして、互いの足りない部分を補い合い、助け合って準備をしていく中で、私は、共に作り上げていく仲間がいることのありがたさ、かけがえのなさを感じるようになりました。

私はこれまで、「一人でもやっていける」という自分自身の傲慢さから、なかなか抜けられませんでした。しかし、このように、先生に見守られながら、仲間との関係を築いていく中で、私は、「人の支えなしでは、生きていけないのだ」ということを強く実感していきました。

そして迎えた伊勢召喚では、「人に支えられて生きている」という私の気づきが、より深く心に刻まれる出来事がありました。

伊勢に到着し、自由行動に移る前、先生は8期生に向かって、このようにお話ししてくださいました。
「ごちゃごちゃ考えずに、のびのびと天真爛漫に行動してごらん。それこそ、ブラジャーを取って、パンツも脱いで、靴下もポイっと投げ捨て、丸裸になってしまうくらい無防備に、高次の存在たちに、思いっきり自分たちをアピールしておいで」と。
そう言ってくださったことで、「私は、ありのままの自分でもいいんだ」と、まるで魔法がかかったかのように、自分への信頼がわき上がってきました。

そして、その日に参拝した風日祈宮(かざひのみのみや)では、私は高次の存在から、「挑戦する勇気と自信を持て」というメッセージを受け取りました。そのメッセージからも、私は「ありのままの自分を貫くことが、大切なんだ。ありのままの自分でいていいんだ」と感じ、自分の中に軸が通ったような、強い気持ちになりました。

その感覚をもっと感じたかった私は、2日目、ひさえと、同じ8期生のいくと一緒に、再び風日祈宮に向かいました。

そこで、私たち三人が、風日祈宮の研ぎ澄まされたエネルギーを感じながら、瞑想をしていたときのこと。ひさえが突然、号泣し始めたのです。
ひさえは泣きながら、こう言いました。「私はスクールに入ってから、普段の生活でも、先生とみんなを思い浮かべて過ごしていた。だけど、先生やみんなのことを、こんなにも自分の体の一部のように感じたのは初めて。私には、先生もみんなもいる。私は、一人じゃないんだ」と。

ひさえは、意地っ張りで強がりな一面があります。そんなひさえの、人を突っぱねてしまう部分を見ると、私にも似ている部分があるため、腹が立つこともあるし、切なくなることもありました。それが原因で、ぶつかり合ってしまったこともあったのです。

しかし、そんなひさえが、「一人じゃないんだ」と言いながら泣いているのです。
私はそれを見て、ひさえをとても近くに感じ、嬉しくてたまらずに、人目もはばからず、一緒になって泣きました。
嬉しくて泣いている私を見て、ひさえは言いました。「自分の思いを伝えたことで、ちあきがこんなにも喜んでくれるなんて、たまらなく嬉しい」と。それを聞いて、私の嬉しさは、更に大きくなりました。

この喜びは、一人では決して得られないこと。ここまで、ぶつかり合いながら、一緒にやってきた仲間がいてこそ得られた感覚なのだと思うと、改めて、「私は人に支えられているのだ」と感じるのです。

こうして、ひさえと仲間としてさらに繋がれたことは、「どんなに衝突を繰り返しても、思いをとことん伝え合えば、分かり合える」ということへの、大きな自信となりました。

そして私は、「自分の思いを、とことん伝えながら、人と繋がっていきたい。たとえ相手とぶつかっても、分かり合えたときの喜びを、もっと感じていきたい」と思うようになったのです。

このように、私に大きな変化をもたらしてくれた伊勢召喚のあと、普段の生活の戻った私には、自分の在り方を試されるような試練が待っていました。
次回は、その出来事と、そこから得ることの出来た気づきについて、お伝えします。


中山 千亜紀

【2013/02/04 23:11】 | 伊勢召喚(2012年)


ひさえ
ちあき、記事をありがとう。

何度も私の名前が連呼されていて 恥ずかしいやら嬉しいやら。
私の話題を記事にしてくれて心から 感謝している。
刻んでくれてありがとう。

こんな関係を築くことができるなんて、リラに来て、先生に出会うまで思ってもみなかった。

本音で話すちあきがいたから、私があると思う。
これからもよろしくね。


本山
ちあきちゃん

記事をありがとうございます。

裏表なく本音を出し合って、ぶつかり合って、分かりあって、繋がっていく。愛に向かっていく。

こうやって安心して自分を出せる場所、そういう機会と場所を先生が提供して下さっている。ありがたいなあと感じます。

ちあきちゃんとひさえさんの関係、私も目指したいです。





ちあき

記事読ませてもらったよ。

一番、心にぐっと響いたのは、「裏表のない関係を積み上げてきた」っていうこと。

ちあきが、あちこちでケンカをしているのを見ると、正直、うらやましい。

表現がつたなくても、思いを表現してぶつかり合うことで、どんどん、仲間と近づいているのが、伝わってくるから。

そんな仲間に囲まれて学べること、改めて、ありがたいと思えるよ。

自分一人じゃ、できないよね。


佐々木
ちあきさん
記事ありがとうございます。

今まで本音を出し合って、ぶつかり合うのを怖いと感じてできていませんでした。

>「どんなに衝突を繰り返しても、思いをとことん伝え合えば、分かり合える」

ちあきさんとひさえさんの関係すごくいいなと思いました。

私もそういう関係目指していきたいです。




かのう
ちあきちゃん 記事ありがとう。

ちあきちゃんとひーちゃん
そして8期同士のみんなの結束が
日々深まって積み重なって折り重なっていって
先生がずっと見守っていてくれていて、
伊勢が成功したんだ…と
あらためてやっぱり8期すごいな…って。

ちあきちゃんとひーちゃんの関係が
本当にうらやましいです。
自分も、みんなとそういう関係を目指していきたいです

続編、楽しみにしてます。


よしみ
ちあき

ひさえとちあきの、ぶつかり合いは、
もっとお互いのことを知りたいんだっていう気持ちが、伝わってくるよ。

無防備なくらい、ぶつかり合えるのは、
やっぱり、先生が見守ってくれてて、
それでいいんじゃない?と受け入れてくれているから。
私も、いつもそう感じているよ。

一人で生きてるわけじゃない、という、本当に大切なことを
経験として実感できるというのは、貴重なことやな…と思ったよ。




かわしま
ちあきちゃん

記事、ありがとう。

とことんぶつかり合うからこそ、築ける、深い絆。
先生が、見守って下さる、リラだからこそだよね。

先生の教えを、まっすぐに受けて止めて、実践している二人の姿、本当に清々しいよ。

ちあきちゃんの、合宿の時のシェア、
まっすぐに、先生と仲間たちに対する感謝の思いを話していた時、すごく、心の真ん中に響いてきたんだ。

ひーちゃんと、こうして分かり合えたエピソードがあったからこそなのだと、しみじみ思ったよ。

後編も、楽しみにしているね。




はるか
ちあき、ありがとう。

中山姉妹のケンカ、思い出すなー。
二人の子供のようなののしり合いに立ちあって、仲裁のようなことをさせてもらったのが、つい昨日のことみたい。

騒動を起こすたびに(ちあき自身はトラブルメーカーじゃないっていつも言うけど)、一人じゃないんだって身をもって感じてるちあきを、いつも近くで見てたよ。

ぶつかり合って、分かり合う喜び、ちあきともたくさん感じてきたよね。
これからも、もっとたくさん感じて、近付きたい。

後編も楽しみにしてるね。


優実
ちあき

記事、ありがとう。
ぶつかってぶつかって、わかり合えた瞬間。
本当に、嬉しいよね。
ひさえと泣き合ったという話…ジンとした。
そういう瞬間の為に生きてるって、私思う。

私はまだまだ保身があるんだけど、先生がおっしゃるように、保身なく表現するちあき。
いいなーって、思ってたよ。

私もちあきと、何回かぶつかったことあったね。
これからも、よろしくね。





たま
ちあき、記事ありがとう。

つたない者同士が本音を言い合っていたら、普通空中分解して、絆を深めることはとても難しいことだと思う。

先生の存在があってのこと。
だから、できる。
また、許しあえる理解し合おうとする仲間の存在。
スゴイことだよね。

記事を読んで、私も少しずつでも二人に倣っていきたいと思ったよ。

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かけがえのないもの

こんにちは。8期生のともこです。

前回の記事では、自分から心を閉ざしていた私が、スクールで学ぶ中で、次第に心を開けるようになってきたことや、伊勢合宿の中で先生やみんなと偶然出会ったことが、かけがえのないものだと感じたことを、お伝えしました。

私がなぜ、先生たちとの出会いを、かけがえのないものだと感じることが出来たのか。
そもそもは、伊勢合宿の前に、私が先生とのセッションで、彼氏への不満を先生に相談していたことが、きっかけでした。その相談とは、「彼氏が、私の行きたい場所に一緒に行ってくれない」というものでした。

私には、他人の言葉や価値観を鵜呑みにしてしまうパターンがあります。そのために、友達から「彼氏と一緒に、あそこに行って、楽しかった」と聞くと、そこに行くことに価値があると思い込んでしまうので、一緒に行ってくれない彼氏に対して、不満を抱いていたのです。

先生は、私の気持ちを聞いて、「どこに行くのかが重要なのではなくて、その人と一緒に共有した時間が、大切で楽しいのだと思うよ。そして、楽しいと感じる時間を共有できるということが、どれほど得難いもので、かけがえのないものなのか」と、教えてくださいました。
そう話してくれたあと、先生は、「私にとって、あなた達と過ごす時間は、とても重いもの。それは、大切という意味だよ」とおっしゃいました。
私は、この言葉を聞き、先生の愛情を感じて、嬉しい気持ちでいっぱいになりました。

そして、今回の合宿で、「大切なのは、行く場所じゃないんだ」ということを、内宮で先生たちに偶然出会えたことや、仲間と共に過ごす中で、実際に体感することが出来たのです。

みんなと‥。
移動中、撮った写真を見ながら、大笑いしたこと。
宿で、色々な話をしたこと。
広大な内宮で、先生やみんなと、偶然会えたこと。
他愛もないことかも知れませんが、私の人生の中で、あんなに人といることを嬉しいと感じたことはありません。
人の目を気にすることなく、あんなに笑ったことも、初めてです。
すごく、すごく、楽しい時間だったのです。

どうして、そんなに楽しい時間だと感じたのか。
それは、先生に教えていただいた通り、とにかく欲求のままに行動していたら、不思議と、だんだん人の目が気にならなくなっていったからだと思います。すると、みんなと一緒にいる時間を楽しみたい、分かち合いたい、そんな気持ちが、次第に大きくなっていきました。

そして、かけがえのない時間を、分かち合える人が隣にいてくれる嬉しさが湧きあがり、「先生と、みんなといられることが、嬉しい」と強く感じて、日を追うごとにハートが満たされていった、今回の伊勢合宿だったのです。

しかし、合宿で、このようにハートが満たされた経験をしたにも関わらず、伊勢から帰った後、無意識のうちに、心を頑なに閉ざしてしまう分裂人格にのまれ、かつてのように、また心が閉じてしまったことがありました。
あんなにみんなと笑い合えて、楽しいと感じることが出来たのに、また同じことを繰り返してしまうのかと、ショックが大きかった私は、自分を責めました。

そして、「もう嫌だ。誰とも話したくない。繋がりを切りたい」という気持ちは大きくなっていき、とても苦しく、どうしたらいいのか分からなくなっていきました。

そんなとき、7期生のまゆが、気持ちを聞いてくれました。どうしても心が閉じてしまう私に、「みんなのことが大切だと思うようになったから、閉じたのが苦しかったんじゃないの? 閉じてしまうのは、ともこの、いつものパターンじゃないか。閉じてもいいよ。また開けばいいんだから」と言ってくれました。

こうして、人に対して気持ちが開いたり、閉じたりするのは、自然なことなのだと、先生はご自身の「美海ぶろぐ」の「呼吸」という記事を通じて、私達に教えてくれています。

それを伝えてくれた、あのときのまゆの言葉に、私はどれだけ救われたかわかりません。
人に対して心が閉じて苦しくなってしまうのは、私のパターンではあるけれど、伊勢合宿を経た後では、いつも以上に苦しかったのです。

その苦しさは、8ヶ月間、本音で関わっていく中で、先生やみんなを大切だと思う気持ちが大きくなった分、「今までのように閉じる自分では、嫌だ」という気持ちも大きくなっていたからなのだと、気づかせてもらいました。

そして、「苦しいときにも、仲間が近くにいてくれるのだ」と感じて、気持ちが落ち着き、私は、再びハートを開くことが出来たのです。

私は、今まで、「人と分かり合えない」と勝手に決めつけ、自分の殻にこもり、人と関わることをあきらめてきましたが、心の奥底では、分かり合える人をずっと求めていました。

先日の伊勢合宿についての記事「石の上にも3年」で、8期生のけんけんが、最後に「辛いなら、心を閉ざしてもいい。でも、ずっとそのままは嫌だよね。休み休みでいいから、勇気を出して諦めず、手を伸ばしてみようよ」と言ってくれているのですが、これは、今の自分にとって、とても大事な言葉だと感じています。

そして、今、伊勢で受け取ったアマテラスからのメッセージの続きを改めて感じてみると、「あなたの欲しいものは、すぐ近くにあるじゃないか。しっかり自分から掴みにいきなさい」と、私の背中を、力強く押してくれているのが、はっきりと分かります。

伊勢合宿を経験した、今の私の中には、「私の求めていたものを、自分自身の手で掴むのだ」という気持ちと共に、先生とみんなと関わりながら、これからも成長していくという、静かではあるけれど、強い気持ちがあるのを感じています。


大嶋 智子

【2013/01/28 01:56】 | 伊勢召喚(2012年)


よしみ
ともこ

移動する車の中で、皆と大笑いしてたこと、今でも感覚として私のハートに刻まれてるよ。
伊勢後、反動で閉じていた時に、まゆがともこに言った言葉も、
ともこの心に、しっかりと刻まれてるんやなって感じたよ。
そういう経験を、これからも、先生と皆の中で積み重ねていきたいね。
前後編読んでて思ったんやけど、
ともこの文章は、心にしんみりと染みてくる感じよな。




よだ
ともこ

読んでいて、かけがえのない気持ちでじーんとしていたよ。

みんなで、中学生みたいに腹がよじれるほど大笑いしたこと、胸にあって。よしみが言うハートに刻まれるってほんとにそうだ。

閉ざす苦しさを知っているから、また開いて繋がれた時の喜び、大きい。ともこの心に触れたと感じた時の喜びも。
そういう、心の触れ合いを積み重ねていきたい。

誰かを大切に思う気持ちが、愛に向かっていく原動力になるんだって、改めて感じた。
ともこ、記事をありがとう。






はるか
ともこ、ありがとう。

マユと三人でいたらゆみにバッタリ会って、嬉しくて大騒ぎしながら写真を撮って、それをよしみに見せて大笑いして。
その前二人で迷子になったから、余計に再会が嬉しかったよね。

あのキラキラした時間のこと、私の胸にもしっかりと刻まれてるよ。
かけがえないって、こういうことなんだなって。

閉じたときに過ごした時間も、かけがえない。

分かち合える人たちが隣にいるって、本当にかけがえない。

これからもたくさん分かち合っていきたいよ。


たま
ともちゃん、記事ありがとう。

こうやって、皆と分かち合う時間が永遠ではないことや、分かち合ってきた数々のことが、心に残っていて温かい気持ちにしてくれる。

スクールで、伊勢で、皆と積み上げてきた多くのことを忘れないようにしたい。

ともちゃんの顔を思い浮かべれば、胸が温かくなる思い出がいくつもある。
これからも、いっぱい共に重ねていきたいと思う。

よろしくね、ともちゃん。


けんけん
ともこ 記事ありがとう

閉ざすんだけど
そのたびに開こうとする姿に
心打たれているよ。

すごいけなげだなって。

僕の文章の引用もあったけど
つなごうとしていたら
やっぱりいつかは成功する。
それが何度目になるかは分からないけど

あきらめないことかなって思ったよ。

ともこともあきらめないよ。





ともこ

かけがえのない時間だって、感じられること。それって、すごく幸せなことなんだなって、思うんだ。

ほんとは普段の生活の、一瞬一瞬が、かけがえのないもの。

だけど、つい、その価値を忘れてしまう。

こうやって振り返りながら、今、この時の大切さを感じられるようになりたいね。

閉じたり、開いたりしながら、少しずつ。


ひさえ
ともこ、記事をありがとう。

読んだあと、ともこが嬉しそうに伊勢で写真をとっていた顔が浮かんだよ。

しっかり刻んでいるんだね。

文章が優しくて、ともこの声がそのまま聞こえてきそうな感じがしました。




本山
ともちゃん

記事をありがとうございます。

「欲求のままに行動していたら、不思議と、だんだん人の目が気にならなくなって・・・すると、みんなと一緒にいる時間を楽しみたい、分かち合いたい、そんな気持ちが、次第に大きくなって」

ここが心にスーっとしみこんできました。

伊勢でのシェアタイムで、人と一緒にいることの嬉しさを、本当に嬉しそうにお話しされていたともちゃんの笑顔が思い出されました。


ちあき
ともこ、記事ありがとう。

ともことは、スクールにはいってから、怒られらり、感動しあったり、励ましあったり、かけがえのない時間を過ごしてきた。

伊勢でも、そうだった。

どこにいても、閉じさえしなければ、がえのない時をつくれるんだなって思った。

一時一時が、大切な時間だね。


いくこ
ともこ。

一緒に共有した時間。大切な時間。
先生やみんなと、共有した時間。
共有するって、今までの人生では、気にもとめなかった。でも、根底では求めてることなんだって、改めて思ったよ。
ともこのように、素直になりたい。


伊勢では、素直になれた自分を、ともこ抱きしめてくれて、嬉しかった。
共有してくれた。わかってくれた。
忘れないよ。

閉じてもいいんだね。本音でぶつかってきたから、閉じることにも、苦しくなる。
どちらの気持ちも、強く感じれる。
また開けばいい。
開くことにも、閉じることにも、素直に自分の気持ち、認めて寄り添っていきたいと思ったよ。

2つの記事から、ともこの素直さが伝わってきた。求める気持ちに、素直なともこ。
自分に本当に足りないと感じる。

分かち合える人がいること。
いるんだ。

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