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弱者からの脱却

こんにちは、カルマ清算コース二期生の小西美樹です。

私がかつて、重度の精神疾患に苦しんでいたことは、以前、このりらぶろぐでもお伝えしましたが、今では、伊藤先生から「霊的探求者として目覚ましいスピードで成長をしている」と、仰って頂けるまでになりました。今回は、そんな私の大きな成長の鍵となった、先生の教えについてお話したいと思います。

皆さんは、こんな風に感じたことはありませんか?
「皆すごいな。自分だけ、どうしてこんなに駄目なんだろう」と。

この思い癖は、つい最近まで、私をずっと苦しめてきたもので、人生のあらゆる場面において私を支配していました。

幼少の頃から、周囲に対して強い劣等感を抱いて生きてきた私は、いつも自分に全く自信を持つことができずにいました。そんな自分を変えたくて、若い頃から大量の成功書を読み漁ってきましたが、それらの本は、かえって私の劣等感を増長させるばかりでした。

「信じれば叶わない夢はない」と言うけれども、「いや、まず信じること自体が無理だし」「私にはできない」と、諦めや開き直りの思いが増していく一方だったのです。

でも、先生は講義の中で、そんな私の頑固な思い込みを、見事に崩して下さったのです。

「そうやって、『皆はすごい、自分は駄目』というパターンに嵌まり込んでいるが、それは、非常に雑な感性の現れである。『皆はすごい』と、『皆』という枠の中に、周囲の人たちを十把一絡げにまとめること自体、一人ひとりの状況や個性をまったく見ていないということであり、それがどれほど人に対して無礼な在り方であるか、自分の身に置き換えて、よく考えてみるといい」。

「また、あなたのその一見か弱そうに見える言動のひとつひとつの裏側には、『私は弱いのだから、強い人たちが私にもっと優しくして気を使ってくれなくては、私は傷ついてしまうの』と、弱者という立場を分捕ることで人を支配する、非常にいやらしい感性が潜んでいる」
と。

それは、どれ程自分の劣等感や不出来さが周囲に迷惑をかけ、自分をも苦しめていたとしても、「駄目な自分なのだから、できなくても仕方ない」と、努力しないでいることを自分に許し続けてきたということ。
更には、「皆はすごいのだから、できて当たり前」と、他人が努力の末に得た成果に対して、まるで敬意がない在り方。
そうやって、弱者であることに逃げるだけでなく、弱者を装いながら図々しく生きるという、とんでもなく怠惰で卑怯で暴力的なパターンが私の中に蔓延っていたのだということを、先生から突き付けられたのです。

また、長年慢性の鬱症状を抱え、しょっちゅう得体の知れない不安感に襲われていたことに対しても、弱者のパターンが生み出した症状であると、指摘されたのです。

私は、それまでまったく自覚のなかった、自分の醜悪な実態を前に、ひたすらに打ちのめされました。
そして、あまりのショックに「もうだめ」と、また弱気になりそうになっていた私に、先生は仰いました。

人にはそれぞれの個性があり、長所も短所もある。誰しもコンプレックスを抱えているし、誰にだって、苦手な分野というものがある。カルマ清算コースで共に学んでいる皆だって、あなたと同じようにカルマまみれ。それぞれが、それぞれのカルマと向き合っている。

そんななかで、自分の苦手分野と他人の得意分野を比較するのであれば、逆に自分の得意分野と他人の苦手分野も、比較してこそフェアってもの。確かにあなたは、びっくりするくらいドンクサイところがあるけれど、逆に文章での表現力や、霊的探求能力は非常に優れている。

狭い視野で物事を捉えるのではなく、全体をニュートラルに見渡す感性を養うことで、今まで見えなかった景色が見えてくるはずだし、可能性も無限に広がっていく。まずは、今いる場所から抜け出さないと、新しい景色も見えてこない。


そして、最後に先生は、「今までの何もかもが上手くいかなかった人生において、繰り返してきた自分自身への刷り込みよりも、精神世界のエキスパートである私が言うことを信じて欲しい」と、仰いました。

その先生の言葉をお聞きして、「自分のことは信じられなくても、先生のことだったら信じられる」と、思った途端に、全身に力強いエネルギーが走っていくのを感じました。

私は先生が示してくださった、新しい景色を見に行きたい気持ちでいっぱいになり、自己卑下と自己否定にまみれた自分から、抜け出す決意をしたのです。

早速私は、自分の中の全人格と話し合い、先生からのご指摘を受けたうえで、どうしていきたいと思っているのかを、問いただしていきました。
私の中のアダルト人格たちは全員、人としてあまりにも醜い自分の実態を前に打ちのめされ、絶対に自分を変え、成長したいという意志を示しました。

それ以降、私の自己卑下や自己否定のカルマパターンは、みるみる改善されていったのです。

その結果、コースの中でもいつも引け腰でいた私が、今では積極的に自分の感じていることを表現できるようになりました。
そして何よりも、通院が必要だった程の鬱症状が、嘘のように治ってしまったのも、このパターンから抜け出たことによるものだと確信しています。

先生のご指導は、かなり痛いものが多いのですが、こうやって着実に幸せに向かって、望んだ通りの結果を出す度に、先生の厳しさの中に大きな愛を感じるのです。

これからも、どんなに痛くても逃げないで、カルマ清算をすることによる喜びを追及し続けたいと思っています。


小西 美樹


子供に対して誠実であること

こんにちは。高橋恵子です。

前回は、喧嘩をしたことによって、主人との距離がぐっと縮まった貴重な経験について、お伝えしました。
今回は、その喧嘩のきっかけとなった長女とのやりとりから、私の中で見えてきたことと、その後について、お伝えします。

感情をぶつけ合った後、主人と心を通わせることができたことに、満たされた気持ちになった一方で、長女に対して酷い言葉を向け、幼い彼女の心を傷つけてしまったかと思うと、居たたまれない気持ちになっていきました。

パパにドライヤーで髪を乾かしてほしいから、ママじゃ嫌だと、ただ素直に言っただけで、母親から心を閉ざされ、撥ねつけられてしまった長女の気持ちを思うと、胸が痛み、あまりにも理不尽な自分の在り方が、はっきりと浮き彫りになっていきました。

伊藤先生は、常々仰います。
「親が、子どもに対して理不尽な怒りをぶつけてしまうことは、度々あるはず。そんな時は、自分を責めて終わるのではなく、自分を正当化するのでもなく、子どもにちゃんと自分の気持ちを伝えたうえで、素直に謝ること。そうして、自分が間違ったときには、それを潔く認める誠実さを、身をもって子供に教えることこそが、本来の教育である」 と。

私は、自分の醜態と向き合うために、自分が長女に対して向けた理不尽な感情が、一体どこから来ているのか、過去に遡って探ってみました。

ケンカの時に、長女と主人に向けた、「私なんて嫌われているんだ」「私の気持ちなんて誰も分かってくれない」という気持ちを振り返って感じると、かつて、私に無関心だった母に対して、拗ねて心を閉ざしていた、子どもの頃の記憶が蘇ってきました。

いつも子育てと仕事に追われていた母は、幼い私に対して、面倒くさそうに疲れた表情で接することが多く、話しかけても上の空で、生返事をしてくることがよくありました。

そんな母の態度を見るたびに、「自分は可愛くないから愛されない」「関心を持ってもらえない」という、あまりにも受け入れがたい事実を、突き付けられるかのように感じて、私はどんどん心を閉ざしていきました。
まだ子どもだった私は、悲しみや寂しさをどう表現すればいいのか分からず、ただ拗ねることしかできませんでした。

その一方で、私の内側には、愛されたい欲求と、関心を向けてもらえないことへの強いフラストレーションが鬱積していきました。

そうして過去の自分の気持ちを感じているうちに、主人とのケンカをきっかけに噴き出した、「向き合ってほしい、気持ちを分かってほしい」という痛切な思いは、長い間私が抱え込んできた、母に対する思いの投影であったことが、はっきりとしてきました。

そして、改めて、ケンカの後に主人から伝えられた、私への不満を思い返しました。
私が取り組みに夢中になりすぎて、子育てを蔑ろにしてしまったこと。
それはまさしく、かつての母親が、私に対してやっていたことと同じだということに、気付いたのです。

それによって、長女をどれほど寂しい気持ちにさせてきたかが、子どもの頃の自分の苦しみと重なり、自分のことのように感じられ、胸が締め付けられるような思いになりました。
私は長女に、かつての自分と同じ思いをさせてしまったことを、反省していると伝え、心から謝りました。

さらに、なんでも言いたいことを言い合える関係になりたいと思っていることや、子ども達を、ありのままにのびのびと育てていきたいと思っていること、そのためにリラで勉強していることなどを、長女を抱きしめながら、一つ一つ話していきました。

私の腕の中にいる長女が、目に涙をにじませて頷いているのを、肩で感じながら、愛おしいという気持ちが、とめどなく溢れ出しました。

これまでも、先生から教えていただいたことを実践していくなかで、自分の親としての至らなさを目の当たりにしながらも、そのたびに、子ども達への愛情が深まっていくことを実感します。

これからも家族と共に成長していく姿を、こうして皆さんに、お伝えしていける自分でありたいと思います。


高橋 恵子

ぶつけ合うことで見えてきたもの

こんにちは。高橋恵子です。

今回は、私が家族と感情のままにケンカをしたことによって、夫と心を通わせることができた、忘れがたい出来事について、お伝えしたいと思います。

先日、こんなことがありました。
主人に「髪をドライヤーで乾かしてほしい」と言ってきた長女に、主人が「ママにやってもらって」と、返事をした時のことです。
長女は、きっぱりと「ママじゃ嫌だ」と言いました。

それは、「今はパパにやってもらいたい!」という、子どもらしい、素直な思いからの言葉でしたが、その時の私は、娘の言葉を聞いた瞬間から、「どうせ嫌われているんだ」という思いに、どんどん囚われていきました。そして、凍りついて固まった表情のまま、その場を離れたのです。

私の異様な様子を見た長女は、「ママを怒らせてしまった」と、ショックを受けた様子でした。その後、長女が「ママ、ごめんね」と言ってきた時にも、私は完全に心を閉ざしていました。
そして、長女と目も合わせないままに、「いいよ、どうせママは嫌われているんだから」「いつだってパパがいいんだよね」と、冷たく言い放ってしまったのです。

長女は、その場でシクシクと泣き始めました。別の部屋でやり取りを聞いていた主人は、私のあまりに酷い態度に怒りました。そこからお互いの感情のぶつけ合いが始まり、大喧嘩に発展していったのです。

「どうせ、私は嫌われているんだ!」「私の気持ちなんか、誰も分かろうとしてくれないんだ!」「全部私が悪いんでしょ!」「私のことなんて興味がないんでしょ!」

それまで押さえつけていた蓋が吹き飛んだかのように、溢れてくる涙と感情が止まらなくなった私は、気付けば癇癪を起した子どものような言葉を、主人に向けて次々と吐き出していました。
長女の気持ちを代弁しながら怒る主人の言葉を、私はまるで聞き入れることなく、撥ねつけ続け、ひたすら泣き喚きました。そうするうちに、ただただ「寂しい」「分かってほしい」という言葉が、私の心の深いところからわき上がってきました。

それは、リラに通うことには協力的でも、私がリラで何を学んでいるかを伝えようとしても、徹底して耳を傾けてくれない主人に対する思いでもありました。

そうして、お互いに思っていることをぶつけ合った後、私は泣きはらして、しばらくの間、ぼう然としていました。そんな私の隣に座った主人は、私の頭を自分の膝の上に乗せ、優しく頭をなでながら、「一つのことを頑張れるのは、お前のいいところだと思ってる」と、リラの取り組みを頑張っている私に向けて、言ってくれたのです。

その言葉を聞いて、今度は、主人の優しさに涙が止まらなくなってしまいました。頑なになっていた心が緩むとともに、「本当は、主人のことも長女のことも大好きなんだ。寂しかったんだ。もっと話を聞いて欲しかったんだ」という、素直な思いが溢れだしました。

主人は同時に、取り組みに夢中になりすぎて、家事や子どもとの関わりを疎かにしている私の在り方や、自分の子どもとも向き合えなくなっている私が、セラピストとして、人を導いていこうとしていることへの違和感も伝えてくれました。
それらは、私にとっては耳の痛い言葉でもありましたが、普段、ほとんど私への不満を口にすることのない主人が、感じていたことを率直に伝えてくれたことへの嬉しさの方が、大きく感じられました。

さらに、リラでの学びには、全く理解がないと思っていた主人が、「最近は、子育てについて納得できることばかり言うようになって、悪くないと思っていた」と、言ってくれたのです。

それを聞いて、私のハートは揺さぶられました。これまでも先生に教えていただいてきた、ネガティブな感情を伝えあうことの大切さを、ひしひしと感じ、温かく満たされる思いでした。

先生は、普段から私たちコース生に、どんどん言いたいことを言い合って喧嘩をしろと仰います。
喧嘩をすればするほど、相手との距離が縮まり、相手のことが理解できるようになり、互いを大切に思えるようになる、そんな関係を築いていってほしいと。
私は今回、主人との喧嘩によって、先生が仰っていたことの真意を、身をもって知ることができました。

これからも、自分をまっすぐに表現しながら、家族とも、リラの皆とも、先生とも、深い信頼関係を築いていきたいと思います。

そして、長女とのその後のやり取りに関しては、また、次回のりらぶろぐでお伝えしたいと思います。


高橋 恵子

精神疾患者の希望の星に

こんにちは、小西美樹です。

前回は、かつて重度の精神疾患を抱えたところから、伊藤先生との出会いまでを、お話させて頂きました。
今回は、当時の私の病名もつかない程の精神疾患が、一体何であり、どう乗り越えていくべきものであったのか、先生から教えて頂いたことから、お伝えします。

先生は、このように仰いました。
「あなたは、サイキック能力を相当鍛えた過去生を持っている。その当時、自由自在に時間軸を移動しながら、あらゆる領域から情報を得ていた。その頃の感覚を今生にこうして持ち越し、それらの能力を妄想や願望によって歪ませてしまっている」

そして、「例えば、統合失調症の人でも、極度の虚言癖を持つ人でも、現実と妄想の境目というものが薄いながらも必ず存在する。でも、あなたの場合は、その境界線がきれいに消えてしまっている。そんなあなたは、自分の見聞きしたことを信じてはいけない」と言われました。

当時の私は、「先生、そんなことを言われたら、私は今ここに存在していることさえも、幻に思えてしまいます」と、絶望的な気持ちになり、しくしくと泣いたことを覚えています。

それでも先生は、「現実と妄想の境目というものは必ず存在するし、それを認識できるようになるまでトレーニングを重ねることだ」と、仰いました。

先生は、統合失調症のクライアントさんを、投薬が一切不要になるところまで完治させたご功績もあり、当時の私は、「この先生にお任せすれば大丈夫だ」と安堵した反面、私のなかには葛藤がありました。

それは、私が自分の症状を、「自分はサイキック能力や霊感が優れているのだ。この能力を人様のお役に立てることが自分の使命なのだ」と、救世主妄想とも言える、強引な解釈をしていたのです。そう思い込むことで、自分を正当化したかったのだと思います。
また同時に、精神病に対する偏見を強く持っていた私には、自分が病気であることを認めるのに、激しい反発と抵抗がありました。それらのことが、私が自分の症状と向き合うことを阻む大きな壁として、目の前に聳え立っていました。

しかし、先生は私の自尊心を傷つけないように、何度も、何度も、丁寧に私の状態をご説明下さり、向かう方向を示して下さいました。
幼少期に、親からどのような扱いを受けたか、思春期には、どのような心の傷を負ったか等、私が過去に味わった、あらゆる感情を引き出しながら、それらの心の傷が、どのように作用して重度の精神疾患を引き起こしたか、紐解いてくださいました。

そして、私の症状を着実に改善に向かわせた、先生からのご指導のひとつに、「他人との会話の録音をとること」というものがありました。
私は、先生から言われた通り、ご近所の人たちや、娘の学校の先生と話す時には、できるだけ録音をとって、後から聞き直すことを繰り返しました。その結果、録音されていることが現実にあったことで、それ以外の記憶が妄想であることが、徐々に認識されていったのです。

それでも妄想に囚われ、布団から出られないほど苦しい時には、先生のセッションの録音を、布団のなかで何時間も聞くような日もありました。レコーダーから流れてくる先生の声を聴いているうちに、不思議と心が落ち着きを取り戻すのでした。

そしてなんと、たった一年程で、私のこの奇病とも言える精神疾患が、奇跡の完治を果たしたのです。先生には、どんなに感謝しても、感謝しきれません。

その間、先生は、順調に症状を改善に向かわせていく私を、いつも称えて下さいました。今でも度々、「あそこまで酷い状態から、こんなスピードで正常化を果たした人間は初めて見たし、奇跡だ」と言ってくださいます。

そして、二年前の私には不可能でしかなかった、カルマ清算コースで学ぶということにまで、手が届くようにもなったのです。

コースに入った当初は、何かと他のコース生と自分を比べて、不安に駆られてばかりいました。精神疾患者として、社会から大きく脱落していた自分に、集団の中で学ぶことなど、やはり無理だったのではないかと、自信を失いかけた時期もありました。

それでも、その都度、先生から温かく励まして頂き、時には、厳しいご指導とご指摘を頂きながら、それらを噛み締めていくうちに、「こんな自分だからこそ、出来ることがあるのではないか」と、思うようになりました。
そう思えたことによって、幼少の頃からずっと私のなかに根深くあった自己卑下が、和らぎ始めました。一つ一つ課題をクリアする度に、先生に褒めて頂き、徐々に自信もついていきました。
そして何よりも、人格統合によって、私のなかの分裂人格たちが互いに支え合うことができるようになったことが、私を大きく成長へと向かわせてくれました。

そうして、自然と私のなかに、「自分の成長を持ってして、精神疾患に苦しむ方々の支えになりたい」という、確かな欲求が芽生えてきたのです。

先生から示された道を進み、正常化を果たしたことで、家族の間でも、再び幸福な時が流れ始めました。

一時期は、深刻なほどに心を病んだ娘が、最近では、「ママはリラに通うようになって元気になった」と言って、嬉しそうな笑顔を見せてくれるようになりました。みーちゃんは、しっぽをふって、私に甘えてくれるようになりました。

そんな私自身と娘の奇跡的な変化を目の当たりにして、主人は非常に驚き、喜び、最初は半信半疑だったリラでの取り組みに対しても、深く理解を示し、暖かく応援し、心強い協力をしてくれるようになりました。

先生に導いて頂いた場所に立ち、初めて見る景色は、とても味わい深く、カラフルに、色鮮やかに輝いています。まるで、見たこともないような美しい花が、たくさん咲いているようでもあります。
私は今、奇跡に触れられたことへの、感謝と幸福感に満ち溢れています。

今後も、私自身が成長し続けることで、精神疾患に苦しむ方々の希望の星で在れるよう、努力をしていきたいと思います。


小西 美樹




重度の精神疾患を抱えて

初めまして。現在、カルマ清算コースで学ばせて頂いている、小西美樹です。

私は、二年程前から、一般クライアントとして、伊藤先生にセッションを担当して頂いてきました。
通常、先生が担当されるクライアントの多くは、経営者であったり、また芸術家、作家であったりと、社会的影響力の大きな方々です。けれども、私は経営者でもなければ、芸術家でも作家でもなく、社会的影響力などとは殆ど無縁な、ごく普通の専業主婦です。
それどころか、ほんの二年前までは、有能な精神科医からも、匙を投げられた程の重度の精神疾患者でした。
伊藤先生からは、「病名もつかないような、とんでもない症状の精神病」と言われました。そして、「認定ティーチャーではとても扱えないだろう」という理由から、先生にセッションを担当して頂くことになったのです。

しかし、私はその重度の精神疾患を、伊藤先生との出会いによって、たった一年程で完治するところまで導いて頂いたのです。
今回から二回にわたって、その精神疾患が治癒するまでの道のりを、お伝えしたいと思います。

私が、初めてご相談させて頂いたセッションで、先生は私の症状を、「記憶の認識異常」と表現されました。

その時々のリアルタイムでの記憶の認識が、時間の経過とともに、とめどなく変質し、時間や空間の感覚、現実感が完全に失われていくという症状が、最も大きく現れ始めたのは、今から九年前のことでした。

例えば、このようなことがありました。
ある日、近所の奥さんと、他愛のない会話を二時間程して別れました。その時の彼女は、始終とても明るく、気さくで、おおらかに話をしていました。

しかし、その日から三か月くらい経ったある朝、目が覚めたのと同時に、突然、まるでテープレコーダーを聞くかのように、はっきりとその女性の悲痛な泣き声が聞こえてきたのです。最初は、それが現実なのか、夢なのか分かりませんでした。
ですが、激しく動揺する私をよそに、彼女の声は止まらず、私に、ご主人から受けてきた、信じがたい暴力の数々を打ち明けてきました。

そして、その声が語る話は、確かに一度聞いた記憶がある話なのに、三か月もの間、まったく忘れていたかのような感覚として、私の中に蘇ってくるのでした。

それまでの人生で聞いたこともないほど過激なDVに関する話を、三か月間も忘れているなどということは、普通に考えてもあり得ないことで、私は自分に一体何が起こっているのか全く理解ができず、ひどく混乱しました。
また、その告白の内容の余りの凄まじさに、がくがくと震えが止まらず、私はその場に崩れ落ちる程の恐怖を覚えました。そうかと思うと、彼女の苦しみを思って泣き喚いたり、彼女に対するご主人の暴力に、怒りが噴き出し、ひとり家の中で暴れ回ったりもしました。
私は完全に錯乱状態に陥り、揚句の果てには、声を出すことすらも出来ないような日々が何日も続き、すっかり廃人と化していったのです。

私の中に記憶のように蘇ってくるそれらの情報は、現実に話した時間が仮に一時間だとしても、後から後からとめどなく、丸一日かけても話しきれないような膨大な記憶として蘇ってくるのでした。そのようなことが、様々な人との関わりの中で、日常的に繰り返し起こっていたのです。

その生々しい異常な感覚は、私をどこまでも苦しめました。混乱を極め、精神的に極限の中で、私はじわじわと確実に狂っていきました。
そして人生全般が、周囲を巻き込みながら転落していったのです。

しまいには、全く身動きがとれなくなり、布団から出ることさえもままならなくなっていきました。トイレにさえも這っていくような生活が続き、私は完全に社会から脱落していきました。

私がそのようになってしまったことで、多感な年頃だった娘は、極度の不安の中で、心を病んでいきました。飼い犬のみーちゃんは、私から発される異様な空気に怯え、見るからに不安定になり、私に全く寄り付かなくなってしまいました。

現実感を完全に失った私の言動は、周囲から見れば異常でしかなく、対人トラブルも絶えませんでした。他人からの信用も悉く失っていく中で、主人にも多大な負担をかけ、主人までもが精神的に追い込まれていきました。

そんな地獄のような日常から抜け出したくて、私は、何人もの精神科医や、霊媒師、占い師などに助けを求めました。ですが、私はどの専門家からも相手にされることなく、中には私の話を聞いて、馬鹿にしたかのように鼻で笑うような医師もいました。

そして、ようやく辿り着いた、心ある医師から、伊藤先生を紹介して頂いたのです。
私の訴えを真剣に聞いてくれた、その唯一の医師は、自分ではキャパオーバーであることを私に伝え、そこで伊藤先生の存在を教えてくれたのでした。

そんな地獄の苦しみの中で、初めて愛そのものである先生に、お会いできた時の感動を、私は一生忘れることができません。
初回のセッションを受けた時から、先生が私を受け入れてくださっていることが伝わってきました。そして、先生から溢れて出てくる頼もしさや力強さに、大きな安心感を得たことを思い出します。

それは、真っ暗闇の中に一筋の眩しい光が差し込み、凍りついた心が、みるみる溶け出し始めた瞬間でした。

その後、先生はセッションを通して、私の中で一体何が起きているのかを鋭く見極め、地獄から抜け出るために取り組むべき課題というものを、私の目線に立って、一つ一つ分かりやすく示していって下さいました。

次回は、病気が完治に至るまでの奇跡の道のりと、病気を克服してからの、霊的探求者としての私の成長について、お話させて頂きたいと思います。


小西 美樹



子どもが与えてくれるもの

こんにちは。高橋恵子です。

子育ての基本は奉仕
これは以前、私が子どもにお片付けを強いてしまうことについて、伊藤先生にご相談したときに、教えていただいた言葉です。

この言葉を本当の意味で理解して、体現していくには、まだまだ程遠い今の自分ですが、子どもを育てていくうえで、とても重要な指針だと確信しています。
今日は、こうしてこれを皆さんにお伝えすることで、自分自身にも深く刻みたいと思い、ここにシェアさせていただきます。

以前の私は、片付けても片付けても、子ども達がまたすぐに散らかすことにフラストレーションを感じて、苛立ちをぶつけてしまうことがよくありました。
そんなとき私の中にあるのは、「出した人がしまうべき」という思い込みや、「なんで私がやらなきゃいけないの」「面倒くさいことさせないで」「自分でやってよ」という被害者意識です。
そして、強制的に片付けさせようとすると、そのたびに、子ども達は萎縮した様子や、うんざりした表情を見せていました。

親である私が、まるで子どもの世話をやらされているかのような気持ちになることは、片付けだけにとどまらず、子ども達が「あれやってこれやって」と、なにかと頼んでくるときや、自分が疲れているときなど、一日のうちに何度もありました。

そんな自分の親としての在り方を何とかしたくて、セッションでご相談したときに、先生は私にこう仰いました。

親の多くが子どもに対して「育ててやってる」「与えてやってる」という傲慢な感性を持つが、第一に、子どもという存在が、自分が望んだことで与えられたギフトだという原点を忘れてはいけない。
子どもが欲しいと思ったからこそ天から授かり、産むことを望んだからこそ自分のもとに来てくれた存在。自分の願いを叶えてくれた存在に対して、尽くすことは当たり前。子どもから、どれほど多くのものを与えられているのか。子どもによって、どれだけ幸せな気持ちを味わわせてもらってきたのか。子どもがどれだけ多くのことを、その在り方をもって教えてくれているのか。そういう視点を持ったとき、「なんで私が」などと思えるはずがない。

ときには、子育てに疲れ、育児ノイローゼになることもあるだろうし、子どもが何らかの障害や問題を抱えていて、苦しむこともあるかもしれない。
だが、それらは子どもから与えられたレッスン。「どうしてあなたにとって、子育ては苦しいものでしかないの?」「どうしてそんなにイライラするの?」「どうしてあなたは、我が子の在りのままを愛することができないの?」と、子どもは親の成長を促すために、様々な課題を突きつけてくるもの。


それを聞いた私は、いかに自分が傲慢だったか、いかに子ども達に対して敬意や感謝のない在り方だったかということを知り、自分のどうしようもなさに、打ちのめされるような気持ちでした。

そして、先生が教えて下さった通りに、「子どもにどれだけ与えてもらっているのか」という目線に立って、子ども達を見たとき、それまでとは、まるで違った景色が見えてくるようになりました。

2歳の息子を抱っこしたときに感じる、温かさやズシっとくる重み。6歳の娘が、小さな体で大きなランドセルを背負う姿。8歳の娘が、鏡を見ながら服を選んでいるときの、真剣な眼差し。
日常のなかに、子ども達を愛おしいと感じる瞬間がたくさんあることに気付きます。それは子ども達が私に与えてくれている、幸せな時間です。

そして、そもそも自分が望んで来てもらったという事実。無事に生まれてきてくれたときの、感動や感謝。簡単に手放していたその原点を掴み直してみると、子ども達がただそこにいてくれることが、ありがたいと思えてくるのです。

癇癪を起されたり、わがままを言われたりして、どうしようもなく怒りがわくときも、子どもの心を尊重できない自分の至らなさを思い知ります。一緒に過ごすなかで、日々親のカルマを引き出し、突きつけてくれる子ども達は、間違いなく私にとって、自分を成長させてくれる存在です。

そんなふうに子ども達を見たときに、親である私が奉仕することは、あまりにも当然だということが、理解されてきます。
そして、子どもの世話をすることに、「なんで私が‥」と、言っていることのおかしさが、より一層浮き彫りになってきます。

カルマまみれの私が、奉仕をして当然という意識をもって子育てができるようになるまでには、まだまだ長い道のりだと思います。ですが、日々、「原点」を掴み直しながら、子どもから与えられているものに常に気付いていられるような親になれるよう、自分を磨き続けていこうと思っています。

こうして伊藤先生の教えをシェアすることで、少しでも多くの親が、子どもに対する感謝と敬意を真ん中に持った子育てができるようになっていくことを、願っています。


高橋 恵子

【2014/10/22 23:30】 | カルマ清算コース生


きみ
けいちゃん、記事ありがとう。

けいちゃんがお子さん達に感じる思い、かつての自分の子育てと重なります。

今でも、子供は私のカルマを引き出してくるし、私はそれに翻弄されながら日々を過ごしているように思います。

それと同時に、大人になった子供たちの感情が水面下に潜ってしまって、感じられなくなる感じがすることがあります。

でも、なんであっても、根本は先生のおっしゃっている原点なんだとも感じます。

「子供にどれだけ与えられているか」

こんな大切で当たり前のことを、簡単に手放してしまう、そういう日常って、本当に虚しい。
けいちゃんのように視点が変わることで、こうも満ち足りるのだと教えてもらいました。

どういう視点で、どういう気持ちで、それが違うだけで、自分の人生そのものも変わると感じました。



かず
けいこさん、記事をありがとう。

年の離れた弟のことを思い浮かべながら読みました。

そもそも、リラに出会ったことが、弟にカルマを次々引き出され、そんな自分をなんとかしたくて、ネットを調べたことがきっかけだった。

今は、実家から離れて、前のように毎日顔を合わせているわけではないけれど、母と一緒に記事を読んで、反抗期まっただなかの弟とどう向き合っていくのか、改めて話していきたいと思ったよ。


はるか
けいこさん、ありがとう。

私はちょうど自分のチャイルド人格に「望まれて生まれてきたんだよ」と伝えているところで、この記事も、人格たちに先生の言葉やけいこさんの感じた気持ちが響いていくのを感じてるよ。

大人の視点になったときに、親から大切にしてもらったことを感じ直して、ありがたい気持ちも湧くし、自分のチャイルドに与えていくのは当然だなという気持ちも湧いてきます。
そこから、周りの人にも繋がっていくんだよなという感覚がしてる。

実際に子どもがいる人にも、私のように子どもがいない人にも、とても大切なことをシェアしてくれてる。
私も、自分に浸透させていきたいです。


よだ
恵子さん、シェアをありがとう。

恵子さんとの関わりや、これまでりらぶろぐにアップされた記事も含めて、恵子さんがこれまで、どれだけ葛藤しながら、真剣に子育てに向かい、霊的探求を深めてきたのかということを感じています。
そのことが、こうやってシェアされていくことは、本当に素晴らしいことなんだって思う。


先生が子供(チャイルド人格)を育てられない人間は、真の霊的探求者にはなれないと仰っていたことが、思い浮かんでいて。

そして私自身は、自分のチャイルド人格もそうですが、目の前の人が、自分の子供だったら、家族だったらどうするか?ということを常に意識して関わるということを、先生の傍で認定として働くなかで教わってきました。

そして、いつも目の前の人との関わりによって、自分は育てられてきたのだと、改めてしみじみ感じています。

全ては自分が望んで与えられていることを、いつも忘れたくないと、恵子さんの記事を読んで思いました。




俊哉
けいこへ

記事、先生のお言葉のシェアありがとう。

「子どもという存在が、自分が望んだことで与えられたギフトだという原点を忘れてはいけない。」
「自分の願いを叶えてくれた存在に対して、尽くすことは当たり前。」

という先生のお言葉に、はっとする思いだったよ。

おれは、息子が生まれたとき、本当に嬉しかった。
今まで生きてきた中で、一番嬉しかった。
その後も、幸せな時間を彼はくれた。

そんなことを、改めて思ったよ。
そして何より彼に起こったことがきっかけで、先生のご本に出会い、りらを知ることが出来たんだなとも思った。

多くのことを与えてくれている息子に対して、りらで学んだことを、今度は彼に返す番のように感じたよ。

けいこの記事を読んで、そんなことを思ったんだ。





麻衣
けいこさん、記事をありがとうございます。

世の中の大半の親が、「育ててやっている」という傲慢な意識を持つ段階に居て、私も「育ててもらっているんだ」とそれに屈し、自分自身も、その被害者意識と同等のものを持って生きてきたことを感じます。

それでもそのことに問題意識を持つけいこさんのような親も居て、それが世の中に広まっていったら、どうなるだろうか…と今は想像を巡らせています。

先生のお言葉のシェアに、視界がクリアになって広がっていくのを感じます。そしてそれを体現していくことは、けいこさんもはじめに書いているように簡単にできることではなく、向き合い続けていくことなんだとも思います。


よしみ
けいこさん

私自身も、記事にあるように、毎日の子育ての中で、被害者意識が出てくることを感じてきました。

子供に対して、八つ当たりするような気持ちが出て、それをぶつけてしまった後で、後悔したりと。
日常、子供と関わる中で、親としての私の未熟さを、まさに、見せられているのだと感じます。

先生の言葉にあるように、そもそも子供は、親が望んで産んだ存在だということを思えば、
自分の中にある、「なんで私が」という被害者意識のおかしさが、よく分かります。

今は、子供に対して、奉仕することは当然という気持ちで、向かえてない自分を感じるけど、
子供の存在こそが、私を親に向かわせるんだ、ということを感じてもいて、
私も、子供に対して、感謝をもって子育てできる親に向かっていきたいと思いました。





ゆみえ
けいちゃん

子育て真っ最中の友人が、片付けがエンドレスであることを嘆いていたことがあって、本当に大変そうだなという印象があった。

そんな友人も、子供の誕生日などの節目には、生まれてきてくれたことへの感謝の気持ちを新たにすると言っていて、子供からすごく大切なものを与えてもらっているんだなと、端で見ていて感じたことがあった。

でも先生のご指導を読んで、日常の中で、その原点を真ん中に持って子育てができたら、どんなに素晴らしく、世界が広がるだろうか。

実際、独身で子供のいない私にとって、けいちゃんの日々の葛藤は、精一杯想像するしかないところもある。
でも、日々の中から与えられていることに気づき、感謝することは、自分にとっても重要な指針だと感じながら読ませてもらっていました。

ありがとう。


ぶん
けいこさん、記事をありがとう。

子供が、自分が望んで与えられたギフトだということ。

このシェアを読んで、未熟児で生まれ保育器の中にいる長男と初めて対面して、ただただ嬉しくて有難くて涙を流したことを思い出しました。
なのに、ともするとすぐに被害者意識に呑まれて、「育ててやってる」になってしまう。

最初に感じた感動と感謝の気持ちをもう一度感じ直して、子供と向き合っていきたいと思います。


美雪
けいこさん

記事を読ませてもらいながら、母親のことを考えていました。色んな気持ちがあるものの、奉仕的だった母。私にはとても真似できないと感じていて、感謝の気持ちが出てきました。

子供はいませんが、子育てだけではなく、自分で望んだものに対する感謝や敬意を真ん中に持つという事、色んな場面に繋がっていくんだと思います。

自分が望んで得たパートナー、家族、仕事。感謝でしかないということ、本当にそうだと思います。被害者意識に振り回されそうになることが多いけど、忘れないようにしたいと思います。記事ありがとう。


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娘から贈られた言葉

こんにちは。高橋恵子です。

今回は、私が人格統合の取り組みの中で、チャイルド人格を集中的にケアしたことによって、娘との関係に表れた成果についてお伝えしたいと思います。

現在私は、8歳と6歳と2歳の3人の子ども達の子育てをしているのですが、以前の私は、子どもが泣くことにいちいち苛立ち、理不尽に怒りをぶつけてしまうことが、頻繁にありました。

子どもが泣き声を上げると、早くなんとかしなくてはと焦り、どうしたらいいのか分からず、怒鳴りつけてしまう。
そして、そんなふうに怒ってしまう自分、子どもの気持ちに寄り添えない自分は、ダメな親なのだと自分を責めては苦しくなり、泣き疲れて眠る子どもの顔を見ながら、「なんてことをしたんだ」と、罪悪感と後悔の念に駆られる…。

どうしたらヒステリックに怒らないようになれるのか、どうしたら子どもの気持ちに寄り添えるのかと、わらをも掴む思いで、育児書を何冊も読みあさった時期もありました。そして、そこに示された様々なことを実践してみるなかで、一時的に子どもに優しく接することができるようになっても、またすぐに元に戻る。
そんなことを繰り返す日々のなかで、なかなか変わることのできない自分に絶望的な気持ちにもなりました。

ですが、リラに出会い、人格統合に取り組んだことで、ずっと何ともならなかったこの大きな問題が、解消に向かっているのです。
私の中には8歳と3歳の、二人のチャイルド人格がいるのですが、このチャイルド人格たちをケアしたことで、私自身の親としての在り方が、根底から変わり始めたのです。

人格統合の取り組みを進め、チャイルド人格達と密接に関わっていくと、これまで無自覚に押し込めてきた、自分の子どもの頃の様々な記憶や感情が呼び起こされました。

例えば、両親から「泣いてはいけない」という刷り込みをされてきたことで、泣かないように我慢していたときの気持ち。

泣くと叱られ、我慢すると褒められる。そんなふうに育てられてきた私は、小さな頃から、泣き声を上げるのを我慢し、自分でも知らず知らずのうちに、感情にブレーキをかけてきました。
それが子どもにとって、どれほど辛く、苦しいことなのか。チャイルド人格たちの気持ちを一緒に感じたとき、そのあまりの苦しさに、胸がつぶれるような思いでした。

その他にも、わがままや自己主張をろくに受け入れられず、尊重してもらえなかったことで抱えてきた、両親に対する怒りやフラストレーションだったり、親に気持ちを受け止めてもらえないことで生じる、暴れ出したくなるような悔しさなど。

時には胸を痛めたり、打ちひしがれたりしながら、長年放置し続けてきたチャイルド人格達の、切実な欲求や感情を一緒になって感じていくうちに、自分の気持ちを言葉でうまく表現できない子どもが、どれほど内側で激しい感情をわき上がらせているのか、ありありと感じられるようになりました。
さらに、そんな子育てに疑問を持たない親の在り方が、いかに子供の心を歪ませ、子どもを苦しめるのかを実感しました。

そうして、チャイルド人格達の気持ちに共感し、寄り添い、声に耳を傾けていくことで、かつて自分が何を求めていたのか、本当はどうしてほしかったのかが分かるようになっていったのです。それらを満たしていったことで、徐々に私の中のチャイルド人格達は元気になっていきました。

すると、現実でも、だんだんと自分の子ども達に対して、理不尽な苛立ちをぶつけることが減っていったのです。

さらに、自然と自分の子ども達に対しても、子ども達の一つ一つの言動に立ち止まり、気持ちに寄り添うことができるようにもなっていきました。自分のチャイルド人格にしてきたことが、日常でも、子ども達にできるようになったのです。

人格統合に出会うことができなければ、きっと今でも、同じことを繰り返し、それによって、子ども達の感情を歪ませ、自分自身をも苦しくしていたのではないかと思います。

特に次女に対しては、どれほど理不尽な接し方をしてきたか分かりません。
奔放な振る舞いや、泣き声の激しさに加えて、空気の読めないセリフをポロッと言ってみたりと、私に限らず周りの大人をイラつかせる傾向がある次女には、私自身、一番怒りや苛立ちを露わにしてきました。

しかし、そんな次女がある日、私のことを「家族の中で一番優しい」と言ってくれたのです。「ママが優しいと、優しさの勉強になる」と。

それを聞いたとき、娘から向けられた予期せぬ言葉に、思わずこちらの方が受け止めきれず、動揺してしまいました。
それでも、私が人格統合に地道に取り組み、少しずつ積み上げてきたことは、こんなにも娘にとって大きなことだったのかと思うと、静かに喜びを噛み締めずにはいられないのです。

今でも、子どもを理不尽に叱りつけてしまうこともありますし、まだまだ私は親として未熟です。ですが、これからさらに努力して取り組みを続け、自分の中のチャイルド人格にも子ども達にも、愛に基づいた子育てができるようになっていきたいと思っています。
私がそうしていくことで、きっと子ども達は、人の気持ちを自分のことのように感じられる、愛情深い大人になっていくのだと、確信しています。


高橋 恵子







【2014/09/25 23:30】 | カルマ清算コース生


荒川美由紀
こんにちは。

一般クライアントの荒川です。

私も8歳の娘がいるので、恵子さんの思いやご経験が、自分の子育てと重なる部分が大きくて、すごく共感しました。

うん、うん、そうだよねって、うなずきながら記事を読ませていただきました。

私も子育ての中で、娘に対して自分のありたい母親像とはほど遠く、娘を突き放してしまうようなことをしてしまい、自己嫌悪や罪悪感に押しつぶされたことは数えきれません。

今でも、そうなんですが、、、

私も人格統合に取り組み始めて、チャイルドの感情を出していくうちに変ってきているのを感じています。

私も恵子さんのようにチャイルドの欲求をかなえてあげて、娘といい関係が築けるように頑張っていきたいと、改めて思いました。

子供って大変だけど、ありがたいですね。

また次の記事も楽しみにしております。

ありがとうございました。




きみ
けいちゃん、記事をありがとう。

次女ちゃんの言葉、痛いと感じるのもそうだけど、その自由に表現できる様子に嬉しい気持ちになる。

それとともに、けいちゃんの感じて来た、泣かないことが褒められるという環境に、私の中のチャイルドのゆりが反応して、苦しくなる。

子育ての中でも大切な、今のこの時にに先生と出会えて、学べること羨ましいくらいだ。
私は子供たちも大きくなり、もう親離れ、子離れの時期。
それでも、少しでも先生からの学びを生かしていきたいと感じている。

今後、次女ちゃんを含めお子さん達がどのように変わって、けいちゃん自身がどのように変化していくのかが楽しみです。


ふじ
けいちゃん

記事ありがとう。読ませてもらったよ。

家庭を持ってない自分だけど、子育てって大変そうだけどすごくいいな、と思った。

まだ幼い柔らかな魂に、こういう事を学んでいるお母さんの存在が、どれほど大きいか。けいちゃんが変わったことで、次女のお子さんが言った言葉に、はっとする。

家族って本来、こうも良い影響を与え合える関係なんだね。本当の意味で気持ちを汲んで寄り添ってもらったら、優しさだけじゃなく、保身なく人に必要なことを伝えられる強さにもつながる気がする。

取り組みをきちんと積み上げて、周りによい影響を与えてるところ、見習いたい。そして、けいちゃんとお子さんたちの変化を、折に触れてもっと聞いてみたいよ。






やか
けいこさん

記事をありがとうございます。

母親に理不尽に怒られ続けていた子ども時代を送っていたわたしにも響くものがありました。お母さんも怒ってしまってつらいんだな、と。

ちょうどつい最近、怒られ続けていた年齢のチャイルド人格が特定され、ケアをしていくことが課題となっている今、けいこさんの記事を読めたことが取り組みへの大きなあと押しになっているのを感じます。




たかこ
けいこさん

チャイルドの取り組みのシェアありがとう。
私自身も親からのしつけに、かなり傷ついて色々と歪ませてるのを最近更に実感していますし、まだまだ足らない状態です。

でも、私自身子供はいませんが、一番小さいチャイルドをケアしたことによって、公共の場に居る子供たちの喚き声や泣き声等、今まで腹が立って仕方がなかったのが、逆に気になって何とかしてあげたくなる、という変化が起きています。

なので本当に今回の記事をよんで、チャイルドケアって本当に大事だよな、としみじみと再度実感をしました。

けいこさんの子供たちならなおさらその感覚は敏感に感じ取っていると感じますし特に次女さんは、その変化をすごく感じていると感じます。

それはやはりけいこさんの頑張りの結果なんだと感じますし、すごいことだと思います。
きっと子供たちの周りにも、少しづつ広がっていくことだとも思います。

本当にそれってすごいな、と改めて実感しました。






よしみ
けいこさん

自分自身のチャイルドケアをして、積み上げてきたことで、お子さん達との関係が変わっていったこと。
母親として、すごく大きな喜びなのだろうと感じます。

親から、泣くことを許されなかったこととか、子供が泣くことに、すごく苛立つ気持ちだったりとか、私にも身に覚えがあることで。
泣いている子供に対して、その苛立ちをぶつけてしまって、罪悪感を感じることもありました。

でも今は、チャイルドケアをしてきた中で、子供に対する心持ちが、少しずつ変わってきたことを実感しています。
私も、これからも、取り組んでいきたいです。



麻衣
けいこさん

娘さんとのエピソードを読ませていただき、チャイルドのケアが、実際の子育てだったり、人間関係を変えていくのだということを改めて感じました。

そして、私自身、チャイルドの本当の声を聞けているだろうか?本当に求めているものを、満たしてあげられているだろうか?という気持ちになっています。
チャイルドの思いが満たされていないことで、周りの人にぶつけてしまうもの。
チャイルドケアの大切さは何度も教えられてきたことですが、更に自分の中に深く落ちてくるような感覚になっています。



はるか
けいこさん、記事ありがとう。

けいこさん自身のチャイルド人格の気持ちに、私の中のチャイルド人格も共鳴しながら読んでいました。
自分の気持ちをうまく表現できなくて、それでも分かって欲しくて、葛藤してすごく苦しかったし悲しかったんだと。

けいこさんが、そうやって気持ちを想像して寄り添ってくれることが、お子さんたちにとってどれほど嬉しいことかと思います。
お子さんから向けられた言葉は、大きな贈り物ですね。

自分に向き合ったことがお子さんに影響を与えて、お子さんがまた周りの子たちにも影響を与えて、そうやって繋がっていくんだと、人格統合がもたらすものの大きさも改めて感じました。

私も、もっとチャイルド人格の気持ちや欲求を聞いて満たしていき、内側も外側も愛に基づいた人間関係を作るために努力していきます。


ゆみえ
けいちゃん


人格統合って、改めて素晴らしいなと思いました。
先生が示して下さっていることを、地道に取り組み続けてきて、目に見える結果を表わすことができた、けいちゃんも。
毎日毎日、目の前の子供たちと向き合って、努力をしてきたんだね。

けいちゃんは、子育てするすべての親の希望の星だと感じるよ。

実は、この記事を読んで、以前私の母が、けいちゃんとまったく同じことを言っていたのを思い出したんだ。
「ヒステリックに叱ったあと、私たち(私と妹)の寝顔を見ながら、よく後悔してた」という話し。

けいちゃんの親としての葛藤や、チャイルドたちの切実な感情が伝わってきて、私の母もこんなふうだったのかと感じてる。
そして湧いてくるのは、感謝の気持ち。

今は私にずいぶんと理解を示してくれている親に対して、恨みつらみをぶつけてしまうだけの幼稚な私にとって、大事なことに気づかせてもらった。
親にぶつけるだけじゃなく、自分で自分のチャイルドに愛情を注いで、自立していこうと思う。

けいちゃん、ありがとう。


美雪
けいこさん

次女さんの言葉、予想のつかない言葉に、けいこさんも本当に驚いたのだろうなと想像しています。やっぱり、怒りや苛立ちを露わにしていたけど、そこにはけいこさんの深い愛情があって、子供にちゃんと伝わっているんだなと。地道に積み上げてきたからこそなんですよね。

チャイルドは全ての人格の根底で、先生はケアの重要性をいつも仰られている。私のチャイルドは寡黙で大人しいので、違う意味で手を焼いているのですが、何を求めてるのか、同じ目線にたって、ひたすら分かろうとしていくことだと改めて感じました。

記事をありがとう。



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