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私を動かした60秒

こんにちは、鈴木睦子です。

今回の記事を書くにあたり、私は、思いばかりが先走ってしまい、なかなかまとめ上げることができませんでした。更新に通常以上のお時間を頂きましたこと、大変申し訳ございませんでした。皆さまには、温かく見守って頂き、本当にありがとうございました。

改めて、伊藤先生が今回通られた浄化が、どれほど凄まじいものだったのか、そして、更にこの間、先生に追いうちをかけるような苦痛を与えたものが何だったのか、私が先生の傍らで見たものを、今回から三回の予定で、皆さまにお伝えいたします。

先生が最もひどく体調を崩された、9月最後の十日程の間に、私の内面では、数転生以上に匹敵すると言っても過言ではない程の動きがありました。しかし、この間に見て聞いて感じたことを、気付きや学びなどという言葉で、表現することはできないと思っております。

苦痛に打ちのめされている先生の傍らで、私は、自分を含めた人間という存在の醜悪さに、殺意が芽生えるほどの怒りを、何度も感じました。「人間とは何なのか」と、自問自答を繰り返しました。

前々回も申し上げたことなのですが、先生がこの壮絶な浄化を通らざるを得なかったのは、私たちの集合意識によって生じた、歪みや進化の遅れを、一身に受けられてのことです。

反対に、私たち集合意識が、霊的計画に基づいた成長を遂げてさえいれば、先生は、ここまでの体調不良に陥る必要はなかったと言えるのです。

先生ご自身は、2011年のリマスター完了と同時に、個人レベルでのカルマ清算を一通り終了されております。個人レベルでのカルマ清算が終了しているということは、感性も感覚も、全てが正常化しており、その全てが愛と叡智に基づいているということです。

カルマ清算をして正常化への道を歩むということは、腐って悪臭を放ったドブを、清流のような状態に、近づけようとする試みにも似ていると、いつも伊藤先生は仰っています。
カルマにまみれた私たちの状態が、ドブのようなものだとすれば、伊藤先生という存在は、全くの濁りがない清流なのだと表現したら伝わるでしょうか。

清流で泳ぐ魚を、ドブに入れたらどのようになるのか、想像してみて下さい。先生が、霊的指導者として、私たちのカルマ清算にとことん関わるということは、そういうことです。
そんな風に、先生は、私たちのあらゆるカルマパターンが生じさせる歪みを、一身に受け続けてきました。

それなのに、先生は、「そんな、腐って光も差さないようなドブの中にこそ、清流に近付くための道が示される必要がある」と、仰るのです。

しかし、そのため、医学的見地からすると原因不明の体調不良を、先生はこれまでも常に抱えてこられました。

実際、この春から、それまでにないほどの体調不良に見舞われるようになった先生は、血液検査を受けているのですが、その結果はすこぶる良好で、稀に見るほどの健康体であることが示されていました。
それは、今回の浄化が始まるほんの一月ほど前のことです。なのに、先生の体調は今回のような状態に陥ってしまいました。

いずれにしても、先生の身体に現れる症状は、一般的には、説明がつかないことが多いのです。血液検査に限らず、これまで、先生を担当してきた、あらゆるボディワークのスペシャリストたちは、通常では考えられないような先生の身体の症状や経過に、一同皆驚くのでした。

今回、浄化の直接的なきっかけとなった精油も同様で、先生に起こったような激しい症状を引き起こすことは、非常に稀なのだそうです。

精油により、8月の中旬から始まった浄化は、想像を絶するような展開を見せました。
8月の下旬以降から痛みや痒みといった症状により、先生は、まともに睡眠さえとれない状態にあり、心身ともに疲れ果て、朝方気絶するかのように1、2時間眠るという日々を、一月ほど過ごされておりました。
もちろん、日中は、予定通りにセッションや、カルマ清算コースの講義を遂行されてのことです。

そして、9月も後半に差し掛かったある夜、先生の容体は、重篤な状態に陥りました。

ある精油を首筋に塗り、その上から何気なくご自身のエネルギーを流した数十分後、先生の首のリンパ節が真っ赤になって、ひどく腫れ上がり始めたのです。

私が見ている前で、先生の細い首は、みるみるうちに倍以上に腫れ上がっていきました。そして、首の後ろの左右に穴が空き、リンパ液が噴き出し始めたのです。
その様子に驚いた私は、その晩、先生に付き添うことにしました。

この時既に、先生の背中には大小様々な傷があり、皮膚が裂けて、リンパ液が染み出していました。それに加えて、手の指の間、掌、足の裏にまで湿疹が出て、激しい痒みが先生を苦しめていました。

一箇所が治りかけると、次の箇所から症状が始まるということを繰り返し、もうある程度の山は越えただろうと思っていたところで、首にまで症状が及んだことに、先生は打ちひしがれていました。
「お願いだから、せめて一箇所ずつにしてくれ」、「頼むから、いつ終わるのか教えてくれ。半年なのか、一年なのか。半年なら半年で、受けて立つ。お願いだから、いつまで続くのか、教えてくれ」と、悲痛な声で仰るのでした。

とうとう、先生からは、「精神が崩壊しそうだ」、「生きる望みを失いそうだ」という言葉まで、漏れるようになりました。

私は、先生のそれらの言葉を聞きながら、何も言えずにいました。
もう、このまま、夜さえ明けないのではないかと思いながら、私が萎えている場合じゃない、先生の苦痛を和らげるためには、何ができるのか、そこに意識を向け続けることだと自分に言い聞かせていました。

そして、私は、先生の背中の痒みがおさまるまで、肌に傷を付けないよう爪を立てずに掻き続け、精油を塗り、保護用のオイルを塗り、傷口の手当をしました。

先生は、背中の痒みが落ち着いても、首の腫れと痛みで横たわることもできず、ベッドの上でうずくまるようにされていました。少しでも動かすと、先生の首には激痛が走りました。

そんな中でさえ、うずくまった先生は弱々しい声で、「ダンゴ虫スタイル」、「幼虫スタイル」等とふざけてみたり、「まっすぐに眠ることができるのも、当たり前じゃない」と仰って、普段と同様のユーモアで、空気をなごませて下さるのでした。

先生と私は、笑いながら、涙を流しました。本当に長い、長い夜でした。

そんな状態なのに、先生は、私の体調を気遣って、眠ることを勧めて下さるのでした。
先生のお身体の状態が落ち着かれるのを待って、私は別室に移り、仮眠をとるために横になりました。とにかく、私自身も、先生を支えるために、リラを支えるために、持ちこたえなくてはと思いました。

そして、横になって、前日の夕方、先生のセッションを受けるためにリラを訪れていた、医師の井出さんが話してくれたことを、思い起こしました。

井出さんはセッション後に、先生の症状を診て、想像以上の深刻さに驚き、傷の手当の仕方や、感染症の危険性について、私たちに教えてくれました。
そして、井出さんは、この状態で、居ずまいを整え、渾身の指導をされる先生に、改めて畏怖の念を表していました。

私は、強靭な先生の精神に圧倒されるばかりで、先生の背中がどんなに深刻な状態かということに思いが至っていないことに、はっとしました。

首が倍の太さになるほどにリンパ節が腫れ上がり、抵抗力が弱った先生の今の身体に、井出さんが言うような感染症が起こったら・・と、考えただけで身体に緊張感が走り、私の中で、アラームが鳴り響くような感覚になりました。

そして、私は、先生にせめて明日はセッションをキャンセルして、静養することに専念していただきたいと思いながら、浅い眠りにつきました。
そして、朝が来て、私は、先生の寝室に向かいました。

この頃の先生は、傷の痛みから、下着も服も着ることができず、寝室では上半身裸で過ごされていました。傷口をガーゼで保護し、やっとのことで、セッションに臨まれていました。髪の毛を結い上げる際も、背中の傷がよじれることで生じる痛みに、先生は、悲痛な声を上げることもありました。

この朝も、先生は、痛々しい背中を露わにして、みどりさんから手当を受け、セッションに向かえるよう、準備を整えられていました。先生にとっては、そんなお身体であっても、いつも通りにセッションをすることは、全く自然なことでした。

しかし、普通に服を着ることさえできず、背中にいくつも穴が空いた先生の姿を、冷静に見れば見るほど、私には、人が仕事に向かうような状態には、到底思えず、意を決して先生に伝えました。

「先生、今日のセッションを、キャンセルしましょう。命にだって係わるかもしれません。先生、お願いですから、休んで下さい」と、言いました。そう言いながら、私の中から色々な思いがこみ上げ、涙が出てきました。

そして、先生の返答を待たずに、私は「セッションのキャンセルの連絡をさせて下さい」と、お伝えしました。

その時、一緒にその場にいた準認定ティーチャーの依田ちゃんは、週末に控えたカルマ清算コースの授業で、先生の代行として講義を行う準備に、今からすぐに取り掛かると、申し出ました。

先生は、しばらくの間、黙っていらっしゃいました。

そして、こう仰ったのです。
「今日のセッションをキャンセルするにしても、どうしても聞いておきたいことがないか、クライアントに確認してからにして。必要なら、電話で答えることならできるから」。

このような状況下でも、先生は、ひとり一人とのセッションを最重視されていました。私には、先生が、どうしてここまでされるかが分かりませんでした。

この時の先生のご様子は一貫してフラットで、先生が発する言葉からは、誰かのためにご自身を犠牲にするというような感性や、正義感、使命感といった力の入った様子は、微塵も感じられませんでした。先生は、終始とても静かな目で、天を仰がれながら、思いを巡らされていました。

私からの申し出に対し、先生が言葉を発するまでの沈黙は、時間にしたらほんの一分程だったと思います。ですが、その一分というわずかな時間が、私にとっては、奇跡のような経験となりました。

私が見たのは、奇跡とは言っても、一般的に人を仰天させるようなミラクルとは、異なるものです。
それはまるで、腐り切ったドブの中に一筋の光が差し込むような、そんな出来事でした。

この時の先生の穏やかな表情と、傷だらけの背中の状態は、私には、とても不釣り合いに思えました。その不釣り合いさのせいか、先生の姿は、この世に、存在するはずのないもののように思え、私は一瞬、時が止まるような感覚に陥りました。

この時に、私が感じとったものを表現するための言葉を探すのですが、私の知っているどの言葉も当てはまらず、その価値を下げてしまうような気がするのです。崇高とか、神々しいという言葉では、綺麗にまとまり過ぎる気がします。

私には、理解も表現も到底及ばないものの、私は、統合を果たした愛の体現者の姿を、そこに見たのだろうと思います。

この時先生は、先生の方からセッションをキャンセルすることで、その人の霊的計画が軌道を逸れるかもしれない可能性について、考えていたのだそうです。

背中の傷も、私たちの問題も、どこまでも自分のこととして受け止められている先生の姿、この時のベッドの上の先生の後ろ姿は、今でも私の脳裏に焼き付いています。そして、私は、この先生の姿を、何があっても絶対に忘れてはいけないと思っています。

そして、私はこんな先生の姿を前に、一体自分は、今まで何をしてきてしまったのだろうかと思いました。

私は、アシスタントになって4年目を迎えますが、その間自分が繰り返してきた、先生に対する不誠実極まりない在り方が、蘇ってきました。同時に、醜態を晒すだけ晒して去って行った、数えきれない人々のことが、思い浮かびました。

自分が困った時だけ、いいように先生の助けを求め、先生を崇め、でも、自分の痛いところが露呈した次の瞬間に、手のひらを返し、後足で砂をかけるようにして去っていく人たち。

私は、そんな人間を、これまで数えきれないほど見てきました。

しかし、私自身もその中の一人です。私も、先生を裏切り続けてきました。
去って行った人たちと、私が唯一異なったのは、カルマに主導権を預けたまま生きていていいわけがないという思いが、本当にわずかに、勝っていた。ただ、それだけです。

私たち人間どもがおぞましい在り方を露呈し続けてきた一方で、伊藤先生は、一貫して、仰ってきました。
「私からあなたたちの手を放すことは、絶対にない。手を放すとしたら、あなたたちの方からだ」と。

実際に、どんなに酷いカルマパターンを晒すことになったとしても、先生から誰かの手を放すような場面を、私は、一度たりとも見たことがありません。

そんな全ての結果が、この先生の背中なのか、私たち人間は、先生に対してこんなことをしてきてしまったのかと、その酷さに茫然としました。そして、私自身のこれまでの在り方を悔みました。

私は、霊的探求をするのに、これ以上ないほどの恵まれた環境にいながら、自分の至らなさに向き合うことから逃げ続け、この何年もの間、カルマ清算への取組みも殆どせずにきてしまいました。
そのため、何度も同じ過ちを重ね、先生を裏切り、先生に与えてもらった愛情も教育も、何もかもを無下にすることを繰り返してきました。

この時私は、自分を恥じ、いてもたってもいられない気持ちになりました。

陰陽法則を熟知しているからこそ、裏切りの実態の全てを目の当たりにする先生が受ける痛みが、どれほどのものか。

リマスターを果たした真理体現者であるが故に、感情麻痺も逃避もない先生が感じる怒りや悲しみや憤りが、どれほどのものか。

先生のむごたらしい背中の状態が、その全てを物語っていました。

このような背中の状態でも、まだ、一人ひとりの人生を、自分のもののように、大切に思われる先生を見て、何百、何千という人間の裏切りを受けてもなお、心を開き続ける先生の姿を目の当たりにして、私の身体は震えました。それは、私の奥底で魂が揺さぶられたことによるものでした。

先生が、偉大であればこそ感じる痛みに、思いを馳せても、私には到底及ばぬものであり、只々気が遠のくような感覚になりました。只々先生の在り方に、ひれ伏す以外にできることはありませんでした。

ですが、この瞬間から、私の中で確かに何かが動き始めたのです。
このような先生の在り方を、何年も間近で見続けている自分に、何も役割がないはずがないと思うようになったのです。自身の魂の計画というものが、意識の中に垣間見え、目が覚めるかのような瞬間でした。

伊藤先生に、これ以上、このような痛みを与えてはいけない。
私は、そのためだったら、なんだってできると、思うようになったのです。

この続きは、次回また、お伝えしたいと思います。


鈴木 睦子

【2013/10/16 23:55】 | By 鈴木


谷田
むっちゃん

何度も何度も読ませていただきました。

先生の壮絶な姿、そばで支える、むっちゃんを始めスタッフのみなさんのことを、未熟なりに感じようとしています。

だから自分に何ができるのか、どう在りたいのかを、日々考え続けています。

今は、先生に教えていただいたこと、与えてもらったもの、先生と過ごした日々を無駄にしないと思いながら、毎日を送ることしかできていませんが、これからも考え続けていきます。



ぶん
むっちゃん、

身が震えます。

>自分が困った時だけ、いいように先生の助けを求め、先生を崇め、でも、自分の痛いところが露呈した次の瞬間に、手のひらを返し、後足で砂をかけるようにして去っていく

自分で自分に歯止めをかけなければ、まさにこの通りになってしまう。

それでいいわけがない。絶対に。
改めます。

何度も、繰り返して読ませてもらいます。





いでちゃん
むつこさん

何度も何度も読ませていただきます。

自分が何をしたのか、とことんわかりたいです。

改めるために生きたいです。


むっちゃん

何度も、読み返させてもらっています。

読んでいる間じゅう、ずっと涙が出て、これまでの事が湧き出したり、先生の姿が浮かんだり、自分に対する怒りが出たり、いろんなものが溢れてきてしまっています。

また、コメントさせてもらいます。


ミオ
むっちゃん、読みました。

私は、なにをしてきてしまったのか。
いま、その思いが強くある。
この記事が、本当に、自分の中に強い衝撃となっている。

そして、今まで先生にしてしまったことがいかに、酷いことなのか。
今、感じているこの思いは、離さない。そして、行動におこす。そう、思っている。



荒川
記事を読ませていただきました。

今はあまりの出来事に、言葉にならない思いをどう表現したら良いのかわかりません。

ただ、自分が先生にお会いできたという事を、もう一度自分自身に問いかけてみたいと思います。

そして、これから自分がどうあるべきかを問いかけ続けたいと思います。


よしみ
むつこさん

終始、息がつまりながら、読んでいます。
自分自身の、在り方を振り返りながら、
何度も読んで、自分の内側に刻んでゆきます。



かのう
睦子さん 何度も読ませてもらっています

先生が、立ち向かわれた壮絶な浄化…
言葉にならないです…

自分のカルマは自分で受けて立たたなくて
どうするんだと強く思っています

先生からたくさん教えていただいたこと
無駄にせずお返していけるようにと思っています

睦子さん 記事ありがとうございました…


ゆみえ
むつこさん

この間の、先生の壮絶なお姿、それをずっとそばで支えられ、感じ続けてこられたこと。
そして、むつこさんが経験されたこと。
こうして伝えて下さること、ありがごうとございます。
未熟すぎる自分であっても、むつこさんが伝えて下さることの、何万分の一でもいいから、わかりたいです。
感じ取りたいです。


ともこ
睦子さん

読みました。

先生が、この浄化の時期をどんな気持ちで過ごされてきたのか、という気持ちと共に、自分が何をしてきてしまったのか‥

と思うと、今は、とても言葉になりません。

何度も読んで、感じていきます。






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