FC2ブログ
伝えることが、愛

こんにちは、8期生のちあきです。
前回の記事では、伊勢召喚で深まった、人と関わり合うことの喜びについてお伝えしました。
今回は、伊勢召喚の後に私の身に起こった出来事と、そこで芽生えた私の意志について、お話しします。

私は、伊勢で、あれほどの感動を味わったにもかかわらず、宇宙からのギフトであるその大切な気づきを、いとも簡単にドブに捨ててしまうようなことをしてしまったのです。それは、自分の、人としての浅はかさを嫌というほど思い知らされた出来事でした。

伊勢召喚から帰って、2日後のことです。
長年働いていた職場で、突然、大幅な減給を提示されました。それを聞いて、様々な気持ちが駆け巡りました。「スクールを続けられなくなってしまうかもしれない」という恐れや、「この先の生活を、ちゃんと送っていけるのだろうか?」という不安。そしてなによりも大きかったのは、「自分は大幅に減給されてしまうほど、価値がないのだ」という、惨めな思いでした。

こうして打ちのめされて、私はすっかり自信を失ってしまっていました。さらに、スクールに通うことも継続出来なくなるかもしれない、という不安があったにも関わらず、私は先生に、すぐにご相談をしませんでした。

「このご時世、こんなことはいくらでもあることだし、勤務態度に問題のあった私自身が招いたことでもある。だから、減給なんかで、弱音を吐いている場合ではない。一人で受けて立たなければ」と強がり、2週間も先の先生とのセッションまで、自分一人で持ちこたえようとしていたのです。

しかし、「受けて立つ」と覚悟を決めたにも関わらず、その数日後、スクールに参加した私の心には、大きな不安が渦巻いていました。そのため授業中も、心ここにあらずという状態だったのですが、先生は、そんな私の様子にすぐに気づき、声をかけてくださいました。

私は、そこで初めて、自分の身に起きたことと、先々への不安な気持ちを話すことが出来ました。
そのとき、先生は、私をまっすぐに見て、こう仰ったのです。

「今のちあきの話を聞いて、『どうして真っ先に言ってくれないんだ』と思う。私や仲間のことが、後回しにされているように思うよ。ちあきの今後に関わる重大なことを、オンタイムで発信しない。それが、どれだけ人を寂しい気持ちにさせるか分かる? 伊勢で得た、チームとしての一体感をどれだけ壊しているか、想像出来る? あなたは『一人で受けて立つ』と言ったけれど、今こうして、心ここにあらずな状態でいるということは、全然、受けて立てていないということじゃない。人なんて、皆、不安な状況に陥ったときには、平常心を保てなかったり、頭が混乱してしまったりするもの。そんなときに、一人で何とかできる立派な人間なんて、そうそういない。だから、人に支えてもらうの。あなたには、自分の身に起きたことを、真剣に考えてくれる人がいる。そんな人の存在が、あなたの支えになる。人として生きていく上で、これほど、心強いことはないでしょう? これからは、こんな重大なことを相談しないなんて、絶対にやめて欲しい。その都度、全てを伝えて」 と。

先生のこのお話を聞きながら、私は、膝から崩れ落ちるような思いになりました。突然の出来事にすっかり動揺してしまい、伊勢で深く刻んだはずの、「人の支えなしには、生きていけない」という思いを、すっかりなかったことにしてしまっていたのです。

それは、「自分の弱さを、人に見せたくない」という、くだらないプライドによるものでした。そんなつまらない意地で、私の辛さや悲しさ全てを共有したいと思ってくれている、先生やみんなの思いを、踏みにじってしまったのです。それを感じ、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

そして、先生が、こんなにも深い愛情のこもった想いを伝えてくださることが、本当にありがたくて、涙が止まりませんでした。

私は、あまりにも長い間、虚勢を張って、人に弱さを見せないということを、当たり前のように繰り返してきました。しかし、自分が逆の立場だったらどう思うのかを想像してみると、やはり寂しい気持ちになります。それにもかかわらず、ありのままの私を受け入れ、今まで得たことのない安心感を与えてくださった、先生に、そんな思いをさせてしまっている。しかも、先生に、ここまではっきりと言って頂かないと、私は自分が何をしたか、分かりませんでした。
こうして私は、自分のことを大切に思ってくれている人を、全く大事に出来ていなかったのです。

このとき先生にかけて頂いた言葉を、私は毎日反芻して、心に刻んでいます。
それでも、まだ同じことを繰り返してしまう自分がいる。こんな自分は嫌だ。本当の意味で大切な人を大事に出来る自分になりたいと、今、やっと感じられています。


そして、伊勢召喚から1ヶ月ほど経った頃のことです。ひさえと、風日祈宮で共に過ごしたときのことを話していました。
ひさえは「風日祈宮でもらってきた石を、毎日見ているんだ」と教えてくれました。それを聞いて、「私も、石をもらってきたらよかったな」と思わず口にしました。するとひさえは、「また、一緒に行けばいいじゃん」と言ってくれたのです。
その一言で、私は高次の存在からのメッセージにもあった「挑戦する勇気と自信」をもらったことを感じ、共に支え合いながら頑張ろうと思いました。

こうした日常のやり取りの中でも、仲間とお互いに、心から溢れる思いを伝え合っていることを実感しています。
これは、一人では、決して出来ないこと。先生に見守られながら、仲間と、こうしたやり取りを重ねて、同じ思いを共有出来ることに、ただただ感謝の思いが溢れてきます。

前回の伊勢合宿記事「分かち合える人が隣にいる、幸せ(後編)」の中でも、ともこは「苦しいときにも、仲間が近くにいてくれるのだ」と、自身が得た安心感について伝えてくれているのですが、私も、仲間という存在は、こんなにもありがたく、心強いものなのだ、と改めて感じています。

「自分の思いを伝えたい。思いを聞かせて欲しい」。
この欲求を、いつも自分の心の真ん中に置いて、人と関わっていきたい。今、静かに、強く、そう決意している自分を感じています。
この決意を掴んで離さずに、この先も仲間一人ひとりと、そして、自分の周りの人たちと、かけがえのない絆を築いていこうと思います。


中山 千亜紀


【2013/02/07 23:31】 | 伊勢召喚(2012年)


ぶん
ちあきちゃん、

記事を読んで、副題にある「伝えることが、愛」、
この言葉が、ズドーンと入ってきます。

「自分の弱さを、人に見せたくない」という、くだらないプライドが、まだまだありまくりたけど、それも全部ひっくるめて伝えるということ、していこうと思います。




佐々木
ちあきちゃん
記事ありがとうございます。

人に弱さを見せないってことは、人をさびしい気持ちにさせる。
私も想像してみて本当にそうだなと感じました。

先生の言葉がじーんと来ます。
自分以上に自分のことを見ていてくれる人がいる。
そして支えてくれる。
これ以上の安心感はありません。
本当に私にも大切なこと教えてもらったなと思います。




ちあき。

おれも、「人に相談する」っていうこと、今までの人生でやってこなかった。

親にすら、しなかった。

リラでみんなと関わる中で、それがどんなに相手を寂しくさせてしまうのか、ようやく分かってきたんだ。

これだけ、自分のことを真剣に考えてくれる人達の中にいるのって、本当に幸せだと感じるよ。





本山
ちあきちゃん

記事をありがとうございます。

弱さを出せない、出したくない
そのプライド私もあります。
とにかくカッコつけたい自分。

でも、みんな弱さがあるし
みんな支えあって甘えあって生きていいんだ
この記事を読ませてもらって肩の力がぬけた感じです。

ちあきちゃんが書いている
「自分の思いを伝えたい。思いを聞かせて欲しい」。

私も、ここをど真ん中にして、表現していきたいです。

素晴らしいシェアに感謝します
いでちゃん
ちあきさん

いでちゃんです

示唆に富むシェアをありがとうございます。
色々と考えさせられました。

何かのきっかけで、おおおっつかんだ!!と感じる。
これはリアルな感覚であり、嘘でもないし間違ってもいない。

でも時間がたつと、あのインパクトは薄れてくる。

生活に戻ると、そこには何ひとつ変わっていない日常がある。

気づくと、元のパターンに戻っている。
もとのパターンだって、これはこれで、今まで大事にしてきたツール。
今まで必死に生き残ってきたときに、頼りにしてきた馴染みの深いツールだから。

そのうちに、あのインパクトすらリアリティを失ってゆく。

そんな経験を私も何度もしました。

そんな時は、やっぱり仲間が有効だった。
仲間にシェアし、仲間と支えあうとき、気づきがゆっくりと自分の深部に浸透してゆく。
想いが、行動に変わる。
行動が、習慣に変わったとき、はじめて成果がでる。

キーワードは、仲間であり、チームだ。

自分のためだけなら、どうでもいい。
だけど、先生のことを、仲間のことを考えると、一歩前にでる勇気を感じる。

ちあきさんに、ひさえさんというバディがいたことも重要なポイントのように思いました。
二人組、って意味が深い。
キリストが、弟子を展開させたときに、必ず二人組で送りだしたそうです。
3人でも、5人でもなく、2人。

深い学びを与えてくれて感謝します。

私も外野からではありますが、本当に応援しています。





たま
ちあき、記事ありがとう。

家族にさえ、弱音を吐いたり、悲しいとか寂しいと伝えることは心配をかけることだし、負担になることだと私自身も、ずっと思っていた。

そういう感情を含めて伝えることが愛なのだと、私もリラに来てやっと分り始めてきている。

弱さを晒して、みんなに受け入れてもらう。
こういうことをやっていけるチームのみんながいることを、とても嬉しく思う。


かわしま
ちあき

記事をありがとう。

私も、伊勢で大きな感動とともに掴んだはずの思いがあるのに、カルマの方に軍配をあげてしまったことがあった。

打ちのめされたし、涙が止まらなかった。

掴んだはずなのに、手放す。
そういうことを何度も繰り返してしまって分かったのは、相手の立場に立つことなしに、自分を改めることはできないってこと。

人と関わる中でしか、自分を改められないんだなって思ったよ。



よしみ
ちあき

一度、掴んだと思っても、いつの間にか離してしまっていて、
でもまた、そうじゃなって掴みなおして。
私も、日々、そういうことの繰り返しやよ。

何度でも、立ち返ればいいし、
立ち返る場所を、今、見つけていることじたい、
貴重ってことなんだな、と記事を読んで感じたよ。

私も伝え続けていく自分でありたい。



優実
ちあき

記事をありがとう。
弱音を吐くこと、私も苦手だ。
だから、ちあきの気持ち分かるな…と、当時も伝えさせてもらった。

だけど話してもらえないのは、やっぱり、寂しい。
弱音でも何でも、話してくれると、嬉しい。
先生のお話を聞いて、人と生きていくことの暖かさ、教えていただいたと思う。

先生のお話を聞いてるときの、ちあきの顔や、真剣な目、今も思い出す。
弱音を出せるのが、本当の強さ。
ちあきと、弱さを出し合える家族になりたい。
一緒にがんばろう



ミオ
ちあき

私もその場にいて、先生の言葉にとても衝撃を覚えた。

一人で何とかできる人間なんてそうそういない。仲間に支えてもらって、助けてもらえばいいんだっていうこと。

この先生のお話を聞いて、本当にそうだなって思った。なんだか、自分一人でやっている気にもなってしまう。私もプライドで、弱いところをみせないし、8期リーダーとして、皆にプライドで接してきてしまった。

本当に、痛いことをしてしまったなって思う。
大切な人をど真ん中において、本当に支え合える、繋がれる人間になっていきたいっていう思いを、私も持ち続けて、ハートのあるあり方を模索していきたいって思うよ。


井出ちゃん

勉強会でご一緒した、美緒です。
井出ちゃんのコメント、すごくハートに入ってきました。また、勉強会などお会いできるのを楽しみにしています。


よだ
ちあき、記事をありがとう。

自分のことを、こんなにも真剣に考えてくれる先生がいて、仲間がいること、私にとってどれほど支えになっているか、どれほどの勇気をもらっているかわからない。

その愛に応えていきたい。
伝えることで、愛をしめし続けていきたいって、
そう改めて思うよ。

これから、もっともっとちあきのこと知っていきたい。支えあっていきたいよ。


いでちゃん

私も、先日は勉強会でたくさんお話しできてうれしかったです。
またちびっこの様子聞かせてください!









いずみ
ちあき、後編をありがとう。

私は依存が強いから、弱音を吐いてすぐ人に甘えてしまう。

だから、たとえ虚勢を張ってでも自立して強く生きてきたちあきを、すごいと思ってる。

そして、伊勢の体験とその直後のこの出来事を経て、ちあきは次のステップに踏み出したんだね。
宇宙が与えてくれるものは、本当にパーフェクトだと思った。

あと、7期シェアタイムの時に先生がちあきに声を掛けられた事。
先生は、どんな時でも私達を見守っていて下さるのを改めて感じ、とても有難かった。

「自分の思いを伝えたい、聞かせて欲しい。」

私は自分の思いを伝えてばかりだった。
だから一方通行だったんだって痛いけど、大切な事を教えてもらったよ。

こないだおまめの気持ちを聞かせてもらえて、ちあきを近くに感じて嬉しかった。
これからもっと、ちあきの思いを聞かせてね。



いでちゃん
おおっ
ミオさん、よださん
ありがとうございます

なんか嬉しいっす!

はい、過日は本当にありがとうございました
お二人のお力のおかげで、一歩前に進んだように思います。

またご指導ください!

いでちゃん


ひさえ
ちあき
後編をありがとう。
石の話をここまで深く、思っていたんだね。
ちあきのことをもっと知りたいし、私も自分のことを伝えたい。思っているだけでは、伝わらないね。

いでちゃん。

初めまして。
ちあきと話せば話すほど、ハートがある人なんだなとじわっと感じます。
お会いする日を楽しみにしています。




りょう
ちあきちゃん

この記事読んで高校時代の事がまっしぐらに
甦ってきてなかなかコメントできなかった。

読むたびに痛いんだ。

あのころは、自分で何とかするんだ。
くらいついてやる、負けてたまるか
との思いでくいしばってきたから。

でもそれが周りの人たちを寂しい思いをさせてる
なんて思いしなかった。
自分の場合母親にそんな思いをさせてしまった。

先生の言葉がものすごく温かく感じる。

まだまだ人にオンタイムで相談したり弱みを見せるの苦手だけど少しずつやっていきます。


ともこ
ちあき 記事ありがとう。

あの時の先生の言葉、私の中にも、すごく残っている。

私は、この時、自分だけ先に聞いていたね。
自分の気持ちの整理がつくまで、先生、そしてみんなに言うのは、待って欲しいというちあきの気持ちを、自分もそういう時があるしなと、尊重しようとした。
けれど、それは、自分は、知っているからいいと、知らされていない先生、そしてみんなのことを考えられていないという事だった。
私も、気持ちの整理がついてからとか、一番辛い時の気持ちを、なかなか言えない。
それを伝えられないことが、相手をどんなに寂しい思いをさせるのか。
その気持ちを忘れずに、先生、そして、みんなと絆を作っていきたい。

ちあき、これからもよろしくね。





はじめまして
マシロ
こんにちは。はじめまして。交流会でお世話になっているマシロです。

わたしもちあきさんがお話しされたような「実生活になると気づきが消える」繰り返しを以前は今以上にしていました。
そこでわたしは「食事のときは、ひと口ごとに箸を置き、目を閉じて30回以上噛む」ことを習慣づけることにしました。色々試みた中でこれが一番その繰り返しの脱却に効果が出ているように感じています。

食べ物の本当の味はちょっと噛んだくらいでは分からない。“味の入口”は本当の味ではない。噛み続けるうちに味が深まったり変化したりする。
また、食べ物のくれるエネルギーは「3次元的カロリー的なもの」と「多次元的精神的なもの」とがあって、3次元的エネルギーは食べ物を呑めば摂れるけど、多次元的エネルギーは呑んだだけでは実は充分には摂れない。心を開いて丁寧に噛み続けるほどに食べ物からエネルギーが放出されるのを感じて、それを感じて初めて心に吸収されていく。

全てはつながっているから、現象に対しての自分のあり方・関係性もこれと同じなのだと思ったので、わたしは「食事のときは、ひと口ごとに箸を置き、目を閉じて30回以上噛む」ことを習慣づけることにしました。

すごく意識していないと、いつの間にか舌が動いて飲み込んでしまいます。昔から「30回噛みなさい」とはよく言いましたが、いざ改めて実践してみると、自分がいかに本当の味や本当のエネルギーではない「入口」を過大評価していたかを思い知っては唖然とするその繰り返しです。

突然お邪魔してすみません。ひょっとして何かの足しになれたらと思って、恐る恐る自分の経験を話してみました。よかったら試してみてください。
交流会、よろしくお願いします。


はるか
ちあき、ありがとう。
初めての記事、本当に頑張ったね!

伝えることが愛なんだってこと、改めて感じていた。
私も弱さを見せられない課題がある。
ちあきにも、もっとはるかが甘えてくれるには、どうしたらいいのかって考えるんだって、言ってもらったね。すごく嬉しかった。

先生の言葉を読んで、改めて、自分のことを伝えないことが、
先生やみんなにどれだけ淋しい思いをさせてしまうのかって、胸が痛くなった。

これからも、たくさん伝え合って、分かち合ってこうね。


まっし
交流会お疲れ様!
食事の話、もっと聞きたいなって思ってたんだ。
一口ずつ大切に味わうこと、私もやってみようと思う。
また交流会で話そうね。




けんけん
ちあき、記事ありがとう

ちあきから何も詳しいこと聞かされずに
チャネリングを頼まれたね。

依存をするなって応えたけど
依存じゃなく人に支えてもらうってこと
どんなことかなってあれから考えてる。

自分で責任を持って人を頼ることかな
ってそういう風に思った。

弱さをみせるって事
迷惑をかけるのはダメってよい子は言いがちだけど
裏には利用するって意識が根底にあるのかなって。

自立して助け合う関係。
ここを確立させていきたいです。



ちあき
いでさん

後編も、コメントありがとうございます。

いとも簡単にギフトを捨ててしまう、軽薄な自分が、
心底、嫌でたまらないです。

先生から、先日のスクールでも、
「カルマに呑まれるか、愛に向かうか」という事を言っていただき、
相手の立場に立った時に、はじめて、愛に向かう事が出来るのだという事を、
本当に少しずつですが実感しています。

本当に、何度も突きつけられないと分からない愚かな自分だけど、
それでも、先生は手を離さないでいてくれる。

本当に「行動が、習慣に変わったとき、はじめて成果がでる」のだなと感じます。

そして、人から支えてもらう事で勇気をもらい、
自分も人を支えたいという思いから、勇気が湧いてくるのだなと思います。

私も、いでさんの事を応援しています。




ちあき
マシロさん、コメントありがとうございます。

そして、交流会でも、話せてよかったです。

「心を開いて、丁寧に噛み続けることで、エネルギーを感じ、初めて心に吸収されていく」
という事、まさにそうだなと思いました。

私も、食事の大切さは、とても感じますが、
忙しい日々だと、味わう事さえせず済ませてしまいます。

最近の、先生とのセッションでも、
「もっと、1日1日を意識的に生きないと」という事を言って頂き、
人格の事も含めて、日常の一つ一つを、しっかり意識していると、
軸が戻ってくるのだという事が分かってきました。

マシロさん、PCが苦手なのに、本当にありがとう。
私にとって、とても必要なシェアでした。

日々の一つ一つの大切さを感じながら、
自分のものにしていけるよう、感謝をもって居たいと思います。


つづき・・・
マシロ
 もう1つコメントをつけたそうとして体と相談しながら準備をぐずぐずしていたら、タイミングが無くなってしまった感じ。。。
 ですが、そのまま投稿させてください。すみません。

 「3次元の世界は心の世界の投影である」という関係性において、「『気づきや学びに対する(内面的な)姿勢やあり方』は『食物の摂取や消化や排泄(という3次元)』のある側面に投影・反映されて連動している」とわたしは感じているんです。

 実際わたしは、
「『新しい状況や苦境』から『逃げ出したい』」と思う気持ちや「そこで『自分に与えられたもの・自分の中に湧いてきたもの』を『(充分に心で消化吸収するということを放棄して時期尚早に)消し去りたい・流し去りたい』」と思う気持ちを潜在意識に溜め込んでいるときには、決まって「下痢(=吸収不十分のまま時期尚早な排泄)」をしていました。
 また、「今の自分にはすでに必要なくなっているもの(所有物や考え方・あり方など)に無自覚に執着して所持し続けたりその立ち位置に留まり続けたりしている」ときには、決まって「(便が頑なに留まり続ける)便秘」をしています。
 排泄について現象と潜在意識との関係がこうも明確であるので、摂取についても同じことだ、とあるとき思ったんです。

 気づいて学んで実践して魂を成長させるためにこの地球という場が用意されているのですから、きっと地球での生活の中の行為は本来 ごく日常的なものまで含めて全て 気づきと学びと魂の成長の過程に連動させられるようになっているはずだ、と思います。
 実際、現象とその元にある心のありさまとの関係性を丁寧に感知してそのリンクの中で双方を連動させながら重層的に同時に取り組むことで、精神的取り組みの成果は猛烈に格段にスピーディーに現れてくれます。
 仮に100回同じ失敗を繰り返さないと真に気づけないような課題があったとして、それだけの回数を直接的な現象の中でだけで経験し尽くさなければならないとしたら、その世界はただただ意地悪な苦行ばかりの世界です。わたしたちのいるこの世界はそんな意地悪な世界ではありません。それなのに、多くの人がその(幻の)苦行に自ら溺れようとする。そしてその幻の中に更なるまやかし自らを作り出して、「思考の綾」だの「無自覚・超巧妙な依存」だのという無限ぐるぐるに嵌っていく。。。 「(直接的な取り組みのみに縛り付ける)狭い枠(硬直思考)」〔思考カルマ〕から抜け出ないといけないよ、とわたしは強く訴えます。
 気づきや学びへのあり方は食物にまつわる行為や身体機能と大変連動しやすいですから、それを利用しない手はないのです。

 食事のとき、「食物の摂取での自らの姿」に「気づき・学びでの自らの姿」をまずは意識してイメージして重ね合わせながら食事をしてみてほしいんです。食物と言うエネルギー体から 噛むほどにエネルギー(=学び)が飛び出して心に染み込んでいくのを丁寧に感じ、そして飲み込んだ食物(=気づき)が食道を通って消化の道のりへ旅立っていくのを心を開いてあたたかく見送ってあげてほしいんです。
 その意味と価値を感覚的に理解でき始めたら、「『生活のほかのいろいろな行為』と『ほかの精神的取り組み』との組み合わせ」に応用して“連動の輪”を広げていけるように、侃侃諤諤あれこれみんなで話ししてみれたらいいなぁ、と思ったりします。
 “思考の多次元化”は一人では難しいかもしれません。でも、心が開いて心の多次元化が進行しているリラでなら、みんなで思考(頭)を繋げれば“多次元的な思考”は実現しうるとわたしは感じています。

 世の中は無限に有機的に繋がりあって果てしない美しさをもって連動しあっています。「Aのことを出来るようになるためにはAのことを練習し続けるしかない」なんてことは全くありません。そんなつまらない世界なんてイヤだし、実際全くそうではありません。
 Aの練習があくまでも基本であり立ち返るべき軸であることは揺らぎませんが、その学びの道を 自由に満ちて飽きないものにするための刺激的なシステムがいつでも常に目の前・身の回りに散りばめられているのを見逃してほしくないんです。

 えらそうなことを言ってすみません。
 でも、心底正直な気持ちであり、交流会に4回参加した率直な感想です。
 わたしも実際、少し前まで人生で初めて相当な便秘でした。まだ完全な治癒までは至っておらず、取り組みの真っ最中です。
 みんなで力(頭)を合わせて、もっと広々とした開放的な思考で自由闊達に創造的に取り組みを展開して、深く愉しく美しく闇に遊び合えるようになったらいいなぁと思っています。

超長文、すみませんでした。



お詫び
マシロ
ちあきさん。

ちあきさんの文章に対するコメントの欄を使って、長々と湧いてきたことを書き連ねてしまい、すみませんでした。これではほとんど私物化です。本文に関連しているとはいえ、ちあきさん個人でなく皆さんに向けて、、、になってしまっています。。
なので、ちあきさんが返信で気を揉んでしまうかもしれないと想像して、いま、申し訳ない気持ちを抱いています。

ごめんなさい。

取り急ぎお詫びまで。。。



ミオ
マシロさん

交流会のリーディングでグループが一緒だった美緒です。
マシシ、パソコンがニガテなのに、長文のコメントを書いてくれるということは、よほど伝えたいことだったんではないかと想像してます。

日常のあり方、例えば、食べることだったり、生活の一端のほんの細かいことでも、自分のあり方が出るというお話だと受けとりました。

本当に、そうだなって思う。
マシシのコメントを読んで、もっと、日々のあり方、細かいところまで見ていきたいなって思いました。

また、交流会でお会いできたらなって思います。

尻ぬぐい係
マシロ
ミオさん みなさん         

          「1」

 返信下さり有り難うございます。
 わたしは、長文を投稿した人格を(直接フォローではなく)尻ぬぐい(事後フォロー)をし、わたしたちにとって大切な彼という存在の大切な尊厳を守る係です。
 きっとかなり長くなり明らかに社会的バランスを欠きますが、わたしの役割を果たすために場を使いますことをお許しください。どうかご勘弁ください。

 長文を投稿した人格は、言葉の選択がどうしても独特(だったり繊細すぎたり)で、それが原因で人間関係を失敗することが多い人格です。そうした独特さのために、相手に一単語の意味などの極所に心をロックオンさせてしまって、その結果 不本意な反動をもらうことが多く、昔はずいぶん傷ついた人格です。
 なので、こうして文全体を立体視してとらえてもらえて、彼は今とても喜んでいます。思ったままに表現しても痛い目に遭わず、とても喜んでいます。
 この経験は本当に在り難く、価値深いものです。我々としても勇気が要りましたが、彼の思うままに行動・表現させてあげてよかったと思います。
 リラってやっぱりステキだな、と思います。本当に有り難うございます。

              (「2」へつづく)

尻ぬぐい つづき
マシロ
           「2」

 彼の中では、『(食物の)多次元的精神的なもの』という言葉には、代表的なもので2つの意味がこめられています。
 表側は「恵み」的な意味です。心を開いてよく噛んでそれをしっかり吸収することで、カロリー的なエネルギーがより少なくても心身ともに充分維持できるようになる、という考えに基づいています。
 そしてその裏側に込めたもう1つの意味は、「食物が持つ(背負っている)感情や念による影響」です。食べ物にもそれぞれに感情や念があるのだということを、知識からだけではなく、体の内側からも本当の意味で理解してほしいと彼は強く願って、実はこちらを念頭に置いて書いていました。
(ホント、自身の属する体を棚に上げて「上から」ですね。ご不快ごもっともなのです。本当に申し訳ありません。)

 また、『(闇に)遊ぶ』といっているのは、「(闇の中でも)心が固まらずに、心が自由(自然)でありのままでいる」というニュアンスをやや強調して伝えようとしていたようです。
 「遊」とは、部首である「しんにょう」が「(山へ登っていく)道」の形を表していることからも繋がりますが、もともと「ゆっくり道を行く」という意味で、そのために表面的にも「旅をする」などの意味をもっています。(例:遊説、遊学、遊幸)
 さらに、「楽しく」ではなく『愉しく』と書いているのも彼らしい繊細な表現です。「愉」という漢字には、一般的な「楽しい」と異なる「イヤな気持ちを超えた先」「安楽」「おだやか」という方向性が強く含まれているのです。つまり、一般的な「楽しく遊ぶ」のニュアンスを込める気持ちは彼の中には無いのです。
 「愉しい」「(闇に)遊ぶ」という目を引く風変わりな表現の連動に、彼の「判断を待ってここで立ち止まってほしい」という意図や「文の奥行きへ目を移して立体的に読み返してほしい」という思いが浮き彫りになって見えてきます。

 とはいっても・・・、「理解を得られないんじゃ、ただの自己満足だ」と言われてしまえば返す言葉は無いわけです。。。
 彼的には「この表現でなきゃ意味が無い!」「伝わらないなら話して深め合えばいいじゃないか、逐一説明を挿入して書いたってこの限られたスペースじゃかえって伝わらなくなるどころか、心に引っかかりもしなくなるんだから」という思いなのです。まぁ、すでに充分そのレベルなのですが。。。どうかご勘弁ください。

          「3」へつづく
 

尻ぬぐい さいご
マシロ
        「3」

 ただ、これらのことは実際 交流会で何人かの人と一部を共有することができました。すごく在り難かったしうれしかったです。
 また直接お会いできるのを 彼共々 心からたのしみにしています。こちらの事情でこうして場を大々的に占拠して社会的バランスを欠いてしまい本当に申し訳ありませんでした。
 有り難うございました。心から感謝なのです。

p.s. ネット上では返信がものすごく遅くなってしまうと思いますが、率直な感想やストレートな感情を伝えてもらえることは全面的に大歓迎なのです。直接会えたときにでも 気兼ね無く 区別無く いろいろざっくばらんに聞かせて(ぶつけて)もらえるとうれしいです。



マシロさん

こんにちは。先日の交流会でお会いした、伊東です。

その後、「脱皮ワーク」続けてますか?
かなり気にいってもらえたようで、私も、嬉しかったです。

で、マシロさん。「長いな‥」が、私の正直な感想です。

「社会的なバランスを欠いている」とマシロさんはおっしゃっていますが、私は、コミュニケーションのバランスを欠いているかなと感じます。

お互いの、気持ちのやり取りという範囲から、マシロさんの思いが溢れすぎて、洪水を起こしているような、そんな印象です。

今度、交流会でお会いした時に、もう少し砕いた話をしたいなと思います。(嫌味じゃないですよ‥)


マシロ
  歩さん

ご返信 有り難うございます。

「長い」のも「バランス欠如」なのも「思いが溢れて」というのも、全くおっしゃる通りです。
生まれてこのかた こういう話を発することが許される場や人と出会えたことが無く、表現欲がMAXに達しようとしています。
へへへ、そしてこのありさまです。いやはやね。

ただ、今回「エイヤッ」と“そのまま”な一連の投稿を実行したおかげで、人格領域の一部でものすごくエネルギーが上昇していて、“わたしたち”の中で一旦「よかったね」感が広がっています。
まだ、人(外)とは連結してないとはいえ・・・。「ま、順番にね」と思っています。

 >今度、交流会でお会いした時に、もう少し砕いた話をしたいなと思います。

初参加のときからずっと歩さんと話したいと強く思っていました。なので次回がたのしみです。
ご返信 有り難うございました。

コメントを閉じる▲