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あたたかい人たちと、共に

こんにちは。7期生のまゆです。

前回は、完全に自己喪失だった「ゆり」が、先生や仲間の存在によって、一昨年の伊勢合宿から、たった一年の間に大きな変容をとげたことについて、お伝えしました。
今回は、変化があったとはいえ、まだまだ人を求める気持ちとは程遠かった「ゆり」に、昨年12月の伊勢合宿で、「人といっしょにいたい」という気持ちが芽生えはじめたことについて、お伝えします。

伊勢前に、「ゆり」がたびたび浮上していた私は、合宿に入ってからも、「ゆり」でいることを自分に許して過ごしていました。今までは、「人と接するのが苦手な『ゆり』では、人と一緒にいられない」と思い、他の人格を前面に出して人と関わってきたのです。

しかし私は、合宿の前に、「先生にだけは、自分を知っていて欲しい」「自分の存在を知ってもらうことが、苦しくも、あたたかい」と感じられるようになった「ゆり」と、この合宿を一緒に過ごしてあげたいと思うようになったのです。
それは、いつも先生が言ってくださる、「ありのままでいいのだ」という言葉が胸にあったので、いま浮上している「ゆり」を、無理に引っ込めたくなかったからです。

実際に伊勢合宿に入って、一日目を「ゆり」の存在を意識しながら過ごしていると、いつもとは全く違う私で、自分でも不思議な感覚でした。人と一緒にいることに戸惑いながらも、でも、「もう一人でいるのはいやだ‥」という気持ちがありました。みんなと一緒に時を過ごしていて感じる、不安とあたたかさ。その両方が入り混じった思いとして、「ゆり」は、「本当にここにいてもいいのかな‥」と感じていたのです。普段人前には出ない人格で過ごすと、こんなに見える世界や感覚が変わるのだと思いました。

合宿二日目、「ゆり」は、前日より人の中にいることの不安が薄れていました。そして私は、仲間といっしょに、金剛證寺(こんごうしょうじ)という、大師ゆかりのお寺へ向かったのです。
金剛證寺には、奥の院という、墓石や仏塔が連なる場所があるのですが、そこにあった1つの石板を前にしたとき、何かを感じた私の目から、涙が勝手に溢れ出してしまったのです。そのとき、行動を共にしていた同じ7期生のくみちゃんに、「何を感じていたの?」と問いかけられ、私は「なんとなく、石板から『もっと生きたかった』という声を感じる」と答えました。

そして私たちは、さらに仏塔の連なりの間を歩きながら、多くの魂の歴史を肌で感じていました。それは、重く重く、深いもので、まるで、輪廻の壮大さを思わせるものだったのです。
歩いているあいだに、身体が冷え切ってしまった私とくみちゃんは、暖をとるために、奥の院の突き当たりにあった茶屋に入りました。

その茶屋には、ご高齢であろう背中の丸く曲がった、おばあちゃんがいました。私たちを迎えてくれたおばあちゃんの、親しみのこもった笑顔は、私をほっとさせました。
そして、はじめて会った私たちに、おばあちゃんはお茶やおせんべいを出してくれたり、いろいろな話をしてくれたりしたのです。

私は、こうやって人のあたたかさに触れられることを、過去にないほどに、とてもうれしいと思いました。そして、おばあちゃんのやさしい心遣いが、切ないほど胸にひろがっていったのです。それは、先ほどの石板から感じた、「もっと生きたかった」という思いが、私の中にあったからなのだと思います。
そのときの私は、このやさしい時間を、とてもとても大切に感じていました。

その大切な時間を、こうやって、くみちゃんと共に過ごせていること。そして、おばあちゃんの、包み込むようなあたたかな空気や、やさしい気持ちに触れたことで、涙が次々とあふれてきて、止まりませんでした。このとき、「ゆり」も、私の中で人のぬくもりを感じていたのです。

この日は12月8日。71年前に、太平洋戦争が始まった日でした。
おばあちゃんは話の中で、先ほどの石板が、戦争に関わる人の思いを綴ったものだと教えてくれました。これらのことを知った私は、今日という日に、ここに導かれたことや、おばあちゃんと出会ったことが、高次の存在による計らいだと確信しました。私が、石盤の前で感じた「もっと生きたかった」という思いは、戦争へ向かった人の思いだったのです。

おばあちゃんの話を聞きながら、私の中には、当時の人々の思いが押し寄せてきました。

本当は、戦争になんて行きたくない。
もっともっとやりたいことがあった。
もっと生きたい。

志半ばで、強制的に戦争に向かわなければいけなかった無念さ。
残していかなければならなかった、大切な人たちを思う心。
黙って送り出すことしか出来ない人たちの、悲しみ。

そんな当時の人の思いを感じて、私は、「今、こうしてここで、誰かと一緒にいられることは、奇跡なのだ」ということを、知りました。全てが当たり前ではないということを、知ったのです。それこそが、いつも先生が教えてくださる、「死が生を輝かせる」ということでした。

そして、奥の院から帰ってくるのを待っていてくれた仲間たちが、感情が溢れ続ける私とくみちゃんに、寄り添い、話を聞いてくれました。隣で私の手を繋いでいてくれた、7期生のあゆたん。そばにいて、見守ってくれているみんな。とてもゆっくりと、やさしい時間が流れていました。

私はこのとき、一日目にアマテラスから受け取ったメッセージを思い出しました。アマテラスは私に言いました。「あなたが強く求めたから、この地に生きているのだ」と。
そして私の中から、「この手を離したくない。こうやって、大切な仲間と共に、時を過ごせることは、本当にかけがえのないことなんだ」という気持ちが、湧き出てきました。これは、今回の合宿に参加したみんなが、感じていたことだと思います。

「心を重ね合わせ、時を共有していること。それは、なんて安心出来る、幸せなことなのだろう。いつまでもこうしていたい」と、このとき、「ゆり」も一緒に感じていました。
それと同時に、過去に生きていた人々が抱えていた喪失感や虚無感が、時間軸を越えて、私の中にも同時に存在するような感じがしました。それは、今まで味わったことのない感覚でした。

伊勢合宿での経験を経て、「ゆり」に、「こうやって、あたたかい人たちと共にいたい」という、小さな思いが生まれているのを、私は感じました。
それは「ゆり」の中に、人と一緒にいたいという、気持ちがはじめて芽生えた瞬間でした。

この、「ゆり」に起こった変化は、私自身に、大きな影響を及ぼしました。
人がそばにいてくれることを心から「ありがたい」と感じられるようになり、人を大切に思う気持ちが、私の中で大きくなっていたのです。

それは、先日の、先生のお誕生会&新年会のときに、自分の中ではっきりと感じられました。
その日、関東地方は大雪で、参加予定のみんなは、私も含めてリラに辿りつけるかさえ、分からないような状況だったのです。
動かなくなった電車の中にいた、私の内側に、伊勢合宿のときと似たような感覚が蘇っていました。みんなが元気であること、こうして生きていること、そして大好きな人たちに会えるということは、決して当たり前じゃない。先生やみんなが、大切で、かけがえのない存在なのだということ。
以前の私は、「大切」という意味さえ分かっていませんでした。単純に、みんなと会えて楽しい、うれしいというだけで、みんながそこにいることを、当たり前だと思っていました。

しかし今年は、みんなでお祝いできるその時を、心から愛おしく思えたのです。特に先生に対しては、昨年は「師」という感覚が強かったのですが、今年は、「魂の家族」なのだとはっきり感じていました。
先生は、愛情を惜しみなく私に与えてくれて、しっかりと私を守ってくれるお母さんであり、同じ目線に立って語りかけてくれる、親しみのあるお姉ちゃんでもあるのです。


このように、先生や仲間を、本当にかけがえのない存在だと感じる気持ちが育っている今、「大切なものを、本当に大切にしたい」という思いが、私の中でどんどん大きくなっています。
そして、私は、私自身のことも大切に愛していきたいのです。
それが、先生からかけてもらっている愛情に応えることだ、と思えるようになったからです。

私はこれからも、まっすぐに愛に向かって生きていこうと、そう心に決めています。


依田 真由美

【2013/02/19 23:44】 | 伊勢召喚(2012年)


本山
よだちゃん

記事をありがとうございます。
後編も、読ませてもらって、ますます心があったかくなりました。

こうやって、どんどんハートを開いてきたんですね。先生のお誕生日会の時の、よだちゃんの笑顔がとても印象に残っています。それは先生を、そして仲間を「魂の家族」を感じていたからなんだろうな感じます。

「大切なものを、本当に大切にしたい」心に響きます。
私もよだちゃんのように愛に向かっていきたいです。




ひさえ
よだちゃん。

後編記事をありがとう。

ゆりを感じ丁寧に声を聞いている姿勢が、そのまま誠実なよだちゃんを感じます。

完全な自己喪失のゆりが、生きていたい、人と一緒にいたいと思えるまでになったんですね。

先生と仲間の存在を、大切にしていきたい。


まゆ

あの時は、奥の院から、くみちゃんと二人、大泣きしながら帰ってきたのを見て、びっくりしたよ。

そして、ただただ、一緒にいてあげたいと思った。

それしか、できなかった。

記事を添削していて、その時のことがよみがえってきて、少し、照れくさかったけれど、かけがえのない、大切な思い出だっていうこと、改めて感じた。


けんけん
まゆ

「大切なものを、本当に大切にしたい」

この思い、何で僕は薄らいでしまうんだろうって
今考えている。

失ったり失いかけてやっと慌てる。

そして何でもっと大切にしなかったんだって嘆く。

その度に今度こそ、今度こそって思うのに。

リラに来て当たり前じゃないって事何度も気付く。

それをなかったことにしない。

伊勢が成功したからこそ
もっと自覚を持って生きることを宣言したということ。
そういうことだったんだって感じる。

今からだって出来る。
ちゃんと点と点を繋いで筋を通して生きていきたいと思った。

伊勢で得たもの大切にしていこうね。



はるか
マユ、ありがとう。

どんなことも当たり前じゃないんだ、かけがえないんだって思いとともに、伊勢のこと、お誕生会のこと、スクールのこと、みんなで過ごした時間のこと、やり取りのこと、頭を駆け巡ってた。

大切なものを大切に出来る自分になっていきたい。
そうやって、先生やみんなにかけてもらった愛情に応えていきたいって思ったよ。

そのためにも、自分を大切にすることだって、この前もマユに言ってもらったね。いつもありがとね。


ぶん
まゆちん、

記事をありがとう。
金剛證寺で、泣きながら戻って来たまゆちんとくみちゃんを思い出す。
僕も、一緒にいるということしか出来なかったし、
でもそうしていたかった。


「魂の家族」に目が吸いつけられる。

でも、自分もそうなりたいとかでなくて、
既にそうなのを、あとは自分で感じるだけだとか、
自分がそう在りたいのかどうか、と問われている気がする。



かのう
ゆりが、人の中に一緒にいたいと
思えるようになったってすごいな…。

自分の中で、自分もそうなりたいと
言う声が聞こえてくる。

まゆちゃん、ゆり
心の奥底にじんわりくる記事、本当にありがとう。
力と希望もらった。


よしみ
まゆ

しみじみと、じんわり心に届いてきたよ。

かけがえのなさって、対局の無とか、死とか、
そういうところからしか、本当に、実感できないんやなと、感じた。

「ゆり」の変化は、まゆにとって、本当に大切な一歩なんだな、と感じたよ。



佐々木
よだちゃん
「ゆり」の心の変化が、温かくそして力強さを感じました。
今のよだちゃんの力強さそのものですね。
過去を感じ、今生きているこの時大切だと思った。
よだちゃんからはいつもみんなへの愛情を感じるよ。

勝手によだちゃんと呼ばせてもらうね。





たま
まゆ、ありがとう。

自己喪失だったゆりが一年をかけて、先生や仲間に支えられて、愛に向かって、恐る恐るだけど、ゆっくりと着実に開花していく様子が見てとれる。

本当に死は生を輝かせる。
当たり前のことを、しっかりと胸に刻み込んでいきたいと思ったよ。


かわしま
まゆ

記事を、ありがとう。
あの日のこと。
私も、今も強く、鮮明に刻まれている。

金剛證寺では、光と闇、両方を味わった、本当に、かけがえのない体験だった。

言葉じゃなくって、体感でわかった、今、ここにあることの奇跡と、かけがえのなさ。

ゆりと一緒に感じられて、本当によかったって思ってる。

「魂の家族」、すごく響いてくる。
本当に、そう思う。





ミオ
まゆ

記事読んだよ。

「ゆり」で金剛證寺にいき、その日が太平洋戦争の開始された日だということ。
そして、「誰かといれることが、奇跡なのだ」とおもったこと。ゆりの変化。

胸がうたれる。

だれかといること、こうやって学べること、先生と出会えたこと、皆とであえたこと、奇跡なんだよな。

先生から、奇跡はどこにでもあって、それに私たちが気付けているかどうかだって教えて頂いている。

自分も、腹の底から、大切な人を大切にしたいって思えるような人間になりたいって思う。

記事、ありがとう。



いずみ
マユ

後編をありがとう。
まさに、題名のように、とても温かい気持ちになって、涙がにじんだよ。

伊勢の前にゆりが浮上してきたことは、こうして全てに意味があったんだね。
12月8日に石坂から聞こえた、「もっと生きたかった」という、先人たちの声。
ゆりと共にいたマユにこそ、魂達が伝えたかったんだって感じたよ。
そして、その思いが届き、こうしてメッセージとしてたくさんの人に向けて表現されていること。
全てが宇宙のはからいで、奇跡的なことなんだね。

「死が生を輝かせる」という先生のお言葉、改めてすごく響いてくる。
自分自分の未熟な段階にいる私だけど、「いつまでそこにいるんだ」って気持ちを感じれたんだ。
等身大で自分を大切にしながら、私も一歩一歩、愛に向かいたい。

「大切なものを、本当に大切にしたい」
「これからも、まっすぐに愛に向かって生きていこう」

マユの気持ちが届いて、ジーンとしている。
この記事を読ませてもらって、マユって呼ばせてもらいたくなったよ。

「ゆり」、素敵な前後編を、本当にありがとうね。


舞子
まゆ

読ませてもらった。ありがとう。
すごい。本当にすごい。ささやかなようで、とても大きな変化。
一人の中の、一人の人格が、こうして愛が芽生えることで、まゆ自身が、そして、まゆの周りにいる私、仲間、たくさんの人が、こんなにも突き動かされる。

まゆ、ありがとう。





ともこ
まゆ 記事ありがとう。

まゆのハートが伝わってきて、あたたかくなったよ。
ゆりの変化が、まゆにとって、とても大きな変化に結びついたんだね。
ゆりに小さな思いが生まれたこと、自分のことのようにすごく嬉しい。

先生が教えて下さった「死が生を輝かせる」ということ。
たくさんの人の思いがあって、私達が今、存在しているんだね。
今、先生とみんなと過ごせている、そのかけがえのなさ。
忘れずに、その瞬間、瞬間を過ごしていきたい。

まゆ、ありがとう。


ちあき
まゆ、後編もありがとう。

まゆの、あたたかい思いが伝わってきた。
そして、「魂の家族」を強く求めている、まゆがいつも眩しく感じている。

こうやって、「ゆり」が変化してきたからなのだなと改めて感じました。


いでちゃん
よださん

私は伊藤先生に尋ねました。
カルマ清算Aコースが1年たった時点で私達はどのような状態でいればよいのか?と。

『伊勢召喚のときのような状態を保っているということ』といった趣旨で伊藤先生は応えました。

伊勢召喚と言われても、私には想像もつかない。
きっと何か意識が開けて、つながりが強く感じられているような状態なのだろう。
でも伊勢召喚を経験するまで、その状態の想像もつかない、っていうことはゴール設定としては、きついなぁと思いました。

よださん、あなたの今回の記事は、伊勢召喚の一面を表現しているのでしょう。
高次の存在と共に、つながりと、時空すら超える意識。
あぁ、そこまでいけるんですね。
厳粛さと、畏敬の念。
かいま見えた、宇宙の拡がり。

もしも、その世界にとどまり続けられるのであれば、生も死も、意味が変わる。

これで、想像がついた?

いんや、やはり三次元の呪縛を離れきれない。
ふう。難しいな、体験するしかないか。

それにしても、よださん、ありがとうございます。
俺にも、そういう体験をする可能性があるっていうことですよね。
そのためなら、さらに頑張りたくなります。
そんなパワーをいただいたことに感謝します。




優実
まゆ

記事をありがとう。
これからも、ゆりと一緒にいたいと思う。
ゆりの抱えているもの、共有したいよ。

私も、先生の作ってくださったリラで、先生とみんなと、家族になったんだ。
じんわりしています。
まゆとは、双子の兄弟だって話したことあるね。
これからも、よろしくね。



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