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人がいてくれる、ありがたさ 

「みんな、いなくなる。みんな、自分のことしか考えていない。だれも助けてくれない」。

これは、今月行われた8期中級予備校が修了した翌日に、私の中から噴き出してきた思いです。
7期のメンバーで学ぶのも、今回のスクールが最後。そして、私自身は、来期はカルマ清算コースで、リーダーとしての土台作りに入るので、スクール生としての学びは、一区切り。

そう思って、これまでの3年間のことを振り返っていると、悲しみや虚しさ、憤りや喪失感など、様々な気持ちが私の胸に迫ってきたのです。

リラでカルマ清算の取り組みを始めて、3年。それはまるで、何十年も経ったかのような錯覚に陥るくらい、密度の濃い時間でした。今まで、誰にも言わずに、硬く蓋をしてきた思いを伝えたり、ことなかれ主義だった自分が、勇気を出して本気でぶつかったり、仲間の深い闇に触れて涙したり。

そんな、とてつもなく濃密な時間を共に過ごした、かけがえのない仲間。辛いときや、行き詰っているとき、「大丈夫、いつでも助けるよ」と言ってくれた仲間。

リラに集まっている仲間は、カルマ清算所という、ごまかしのきかない場所に自ら足を踏み入れた仲間たち。そこで、カルマ清算を通じて、真の霊的成長を果たすためには、時期が来れば、人として醜い自分を直視することは避けられません。

それが、至らない自分の実態を突きつけられたとたんに、「人のことなど、どうでもいい」と逃げていく。「一緒にチームをつくろう」と積み重ねてきた思いなど、まるで無かったかのように、去っていく。
そこで私は、人というのは、これほどまでに、自分の至らなさを直視できず、簡単に手のひらを返すのだと実感したのです。

この3年の間で、人間の本性というものを知るにつれ、私の中には、冒頭で述べた「所詮、人間なんて、簡単に人を捨ててしまえるものなんだ」というような思いが溜まっていたのです。その溜まっていたものが溢れて、「人なんて、そんなもの。だれも俺のことを、助けようなんて思っていない」という、諦めとも悲しみともつかない感情に呑みこまれ、身動きが取れない状態に陥ってしまいました。
そして、「3年間、ずっと助けてくれ続けたのは、先生だけ。いつも先生は、いてくれる。けれど、他のみんなは、結局、自分のことしか考えていない」という、人に対する不信感も渦巻いていました。

こうして、自分の心がどんどん閉じていくのを感じました。

そんな中で、なんとかこの状態から抜け出たいと思った時に、先日のスクールで、先生が「感謝」について話してくれたことを思い出したのです。
「人は、人によって支えられて生きている。それを、みんな気がつかないから、今、こうして生きていることに感謝ができない。感謝ができる人間になりたいのなら、まず、周りの人たちから支えられているという事実に、気づこうとすることが必要だ」と。

私は、7期の仲間ひとり一人の顔を思い浮かべながら、助けてもらってきたことを思い出しました。

私以上に、私のことで怒ってくれたこと。
体当たりで、喧嘩相手になってくれたこと。
私の悲しみに寄り添って、一緒に泣いてくれたこと。
私の成長を、心から喜んで、称えてくれたこと。
問題から目を逸らそうとする私に、「それでいいのか」と叱咤してくれたこと。
キツイなかで踏ん張っている仲間の姿を見て、「俺も頑張る」と奮起させてもらったこと。
家族と真正面から取り組んでいる仲間から、勇気をもらったこと。
自分では気がつかない、自分の魅力を認めてもらったこと。
‥‥‥。

まだまだ書き出せば、きりがないのですが、仲間と過ごした3年間を思い返しているうちに、恥ずかしさが込みあげてきたのです。

「何を拗ねているんだ、俺は。目の前に、人がいる。支えてくれようとしている仲間がいる。それを、去っていった仲間のことばかりに気をとられ、『人なんてどうせ‥』と嘆いている自分。目の前にいくらでも、おれを支えようとしてくれてる人がいるのに、いつまで悲劇の主人公でいるつもりなのか」と。

そして、真剣に育ててきた生徒が去るたび、私が感じている何十倍、何百倍も胸を痛め続けてきた先生を前に、いつまで「だれも助けてくれない」と嘆いているのか。

そう思うと、次第に自分の軸が戻り、再び人と向き合おうという気持ちが湧き上がってきたのです。

先生は、感謝について、こうも話してくれました。
「たとえ、何かを手伝ってもらわなくても、そこに人がいるだけで、自然と支えられているもの。いるだけで安心できたり、話を聞いてもらえたり、いろいろな気持ちを分かちあえたり。何か特別なことをしてもらうより、そこに人がいてくれることのほうが、私はありがたいと感じるよ」

そうです。私には、先生がいて、仲間がいる。でも、それは永遠に続くものではない。だからこそ、今この瞬間、「いてくれて、ありがたい」と心から感謝したい。

そのためには、周りの人たちから支えられて生きているという事実を、見失わないこと。そうすることで、私は、生きていることに感謝できる人間になれるのだと、確信しています。


伊東 歩

【2013/03/22 23:42】 | スクール7期生


けんけん
歩たん

6期のころからずいぶん人が減って
もう数人になってしまったね。
気持ちがわかるよ。

僕の統合失調症のころの人格のももも
人が去っていくことにすごい恐れを持っている。

病気になって大勢の人が僕から去っていった。
どうせ去っていってしまうのなら
と引きこもりになってしまった。

先生に感謝の話を聞いたとき
去っていった人のことを思い出して
今普通に僕に話しかけてくれることさえも
すごくありがたいって思った。

けんけんって呼ばれるだけで
すごいうれしいって感覚が出たんだ。

いてくれるだけでうれしいって先生の言葉
去っていった人を思い浮かべたとき
すごくわかる気がした。

ある意味去っていった人のおかげ。

6期の途中でがんばっても次々とやめていく人を見て
僕はがんばるのをやめた。

それってやめた人の影響のほうが大きいって事。
今いる人を大事にすべきなんじゃないかって
僕に対しては珍しく厳しめに先生に怒られた。

それくらい僕がひどいことをしたってこと。

よしみの記事でも書いたけど
今いる人を大事にして
同じことを繰り返したくない。

今いる歩たんもかけがえない人。
失わないためにもやることを淡々とやっていきたい。

この記事を読んでそう強く思ったよ。
かいてくれてありがとう。



ぶん
あゆたん、

まず、目の前の人を感じる、だね。
ハッとする。すごく大切なことた。

ここを離さないでいくよ。
ありがとう。


よだ
あゆたん

私もあゆたんと同じ時に、
同じ本物のチームを目刺しながらも、去って行った人たちを思って、喪失感や虚無感に覆われていて。
そしてその思いを誰とも共有できない気持ちにもなっていたよ。

でも、そんな私に気づいて心配して寄り添ってくれた仲間の存在が、心からあたたかくて、ありがたいって感じていた。

私はこんなにもあたたかい人たちに囲まれている。



あゆたんが、7期の仲間一人一人への感謝を書いてくれた個人ブログ、とても大切に読んだよ。
いつも支えてくれて、いてくれてありがとう。

これからも、仲間と共に、先生のもとで信頼関係を築いていきたい。

先生、2年の間、日々揺るがぬ愛情を注いでいただいていること、ありがとうございます。先生の存在が、示される愛が、いつも私の原動力です。

「いてくれるだけでありがたい」
人に対していつも自然と、そんな感謝の気持ちを真ん中で感じている自分に、向かっていきます。




本山
あゆたん

記事をありがとう。

6年もの間に人が去っていく姿をたくさん見てきた。その度ごとに動揺しながらも、人ってこんなもんだろう、という妙に覚めている自分もいます。

ただ、私がこうやって今も学んでいるのは、一重に先生の愛情のお蔭である。

直接的な愛情はもちろんの事、厳しさの根底に流れている愛情を感じられるかどうか。

そして仲間がいたから。仲間にいつも支えられてきた。

先生がお話されたこと
「そこに人がいるだけで、自然と支えられているもの」この言葉が、ジーンときます。


よしみ
歩たん

私は今年初めて、リタイア者を目の当たりにした。

立て続けで、正直、気持ちがついていけないところもあったけど、
今月のスクールで、リタイア者の抱えるパターンを一つ一つ洗い出して、
私たちの血肉に変えていくことを先生から教えてもらって、気持ちが整理されつつあるよ。

スクール中、先生の、
「家族の中で、誰かが死んだ時、家族がバラバラになるのではなくて、
本来なら、同じ痛みを共有して、支えあっていくものでしょう」
という言葉が、印象的だった。

私も、残ったメンバーのことを大切にしていく。
記事を読んで、改めてそう思う。

同じ痛みを共有しているんだということ、忘れずにいたい。



ちあき
あゆたん、記事をありがとう。

私も過去に、自分がやればやるほど、目の前にいてくれる人への感謝ではなく、離れていく人にフォーカスしてしまい、「人なんてそんなもんだ」と思ってしまった事があった。

でも、目の前にいてくれる人の事のありがたさを感じながら、共に支えあっていく事の方が、よっぽど大切な事なんだなと思った。


優実
あゆむ

記事ありがとう。何度も読んでる。
私の場合は、去っていく虚無感を感じる対象は、親だった。
親を感じるほど、先生が私にくれているものがもっと大事に思えたり、仲間が支えであったり。
それがあるから、前に進めるんだよな、って、あゆむの記事を読んで思った。


私も、あゆむに支えられてるよ。
いつも、ありがとう。




佐々木
歩さん
記事ありがとうございます。

これを読ませてもらって、人は人によって支えられて生きている。

ここを感じてみようと思いました。




たま
歩さん、記事をありがとう。

「所詮、人間なんて、簡単に人を捨ててしまえるものなんだ」

私も、そう思っているよ。
同時に、先生が仰っているように、
「人は、人によって支えられて生きている」と思う。

これって誰もが頭では分っているのに、それでも簡単に多くの支えを受け続けていることを忘れてしまう。
目の前のちょっとした嫌なことで、今までの恩さえ見えなくなってしまう。

記事を読んで、手放さないように、意識的に生きなければと改めて思ったよ。


いずみ
あゆたん、記事をありがとう。

8期ベーシックの授業を終えて、私は今期でリタイアするので、最後に先生と皆と写真を撮らせてもらったんだ。
今日その写真を見返していたら、一人一人にかけてもらった言葉、最後に見た表情が浮かんで来て、この一年、どんなに温かく見守られ支えられていたのかを感じ、心が震えた。
この気持ち、絶対に忘れたくないって思う。

人は人によって支えられていること、人がいてくれるだけで支えられているということ。
すべて、永遠じゃないってこと。
心に深く刻んで、これからも取り組みを続けていきます。


はるか
あゆむ、記事をありがとう。

私はどうしても馬鹿で、すぐに一人でやってる気になるし、自分が偉いと勘違いするし、当たり前にしてしまう。
感謝だって、してるつもりだった。

この一年で、先生に教えて頂いて、愛情掛けて頂いて、どれだけ自分が与えられていて、恵まれていて、たくさんの人や物に支えられているのか、ようやく少しずつ分かってきた。

あゆむにもいつも支えてもらってる。
ありがとう。

私もあゆむを支えてるんだって教えてもらったことも、忘れない。


ともこ
あゆたん 記事ありがとう。

8期のスクールが終わって、この記事に書かれていることが、沁みてくる感じだよ。

私も、人なんて所詮と感じてしまうことが多々あるけれど、
1年を通して、支えてもらったと感じること、たくさんあった。

みんなに支えてもらったこと、周りの人に支えてもらって生きているということを忘れずに、
みんながいてくれることのありがたさ、自分が生きていることのありがたさを、心から感謝出来る人になっていきたいと思ったよ。

あゆたん、ありがとう。



miki
あゆたん

記事ありがとう。

「人はみな、私の前から去って行く」って思って生きてきた。

だけど、リラにきて、そうじゃないってことも、感じてきてる。
それは、先生にこれだけの愛情をかけていただいているからだって、思う。

まだまだ、支えられているとか、感謝するってこと
頭でしかわかってない段階の自分だけど

心から感謝できる人になりたいって思う。


いでちゃん
歩さん ありがとうございます

私の場合は、最初から距離があるのかもしれないと思いました。

交わらないという前提。

だからこそ、人を強く求めるのか。

真っ直ぐ自分の向き合う歩さんの姿勢に強さを感じて尊敬します。






かわしま
あゆたん

記事をありがとう。

あゆたんには、いつも支えられている。
今現在も。

先生、そしてあゆたんや皆への感謝を、いつも真ん中において、
軸を保っていけるよう、意識していく。

そうすることで、支え、支えられる関係というのが
保たれるはずなのだから。



ミオ
歩たん、記事よみました。

6期ベーシックからのことを振り返って、スクール最初の自己紹介のときのあゆたんを思い出す。

この記事にかかれている思い、拗ねたような気持ちを表現していることじたい、物凄いことだなって思うよ。

人が去って、その苦しみも、最初のうちは、それさえも感じることが出来なかった。
人は裏切る、だけど、先生は、自分達が手を離さなければ、絶対に先生から手を離すことがない。

私は失態をして、先生に酷いことをしてしまったけれど、まだ、リラで勉強させてもらえること。
そして、あゆたんや、まゆのように着実に成長し、あり方で示して、私に教えてくれる。

そのこと、仲間がいてくれることに腹の底から感謝できるようになりたいって思ったよ。

記事、ありがとう。


舞子
あゆたん

記事ありがとう。
私が今まで、人に感謝した時というのは、「何かを与えてくれたから」とか、そういった条件付きのものばかりだった。
そうだったんだなと気づけたのは、リラで学んできたからだ。

先生の、「いてくれるだけで有難い」という言葉、とても沁みる。
ついつい、いてくれるのを当たり前にしてしまう私。そうならないためには、自分の中にある孤独感やネガティブな想いから逃げずに、向き合うことだなと思った。闇を受け入れることで、今あるものがどれほどかけがえのないものなのか、感じられるようにしていく。

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