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確信

こんにちは、鈴木睦子です。

これまで、三回にわたって、伊藤先生が通られた壮絶な浄化と、その間、私が見たものについてお伝えしてきました。

 壮絶な浄化(1)→http://lyrasantih.blog54.fc2.com/blog-entry-1089.html
        (2)→http://lyrasantih.blog54.fc2.com/blog-entry-1090.html
        (3)→http://lyrasantih.blog54.fc2.com/blog-entry-1091.html

その後、先生の体調は、背中の傷の保湿がうまくいったことをきっかけに、劇的に回復に向かいました。最悪の状態から、まだ一月ほどしか経っていないのですが、現在では傷痕さえ殆ど目立たない状態になっています。この一か月の先生の回復振りには、本当に驚くばかりでした。

しかし、先生は仰っていました。
これだけの酷い痛みと痒みに耐えてきたところで、身体や心が軽くなったり、何かが正常になったりしていく感覚がまるでない。これだけの思いをしても、私個人が得るものは何もない」と。

ですが、それは当然のことでした。先生がどれほど苛酷な浄化を経たところで、そのような状況を作り出すに至った根本的な問題は、まったく解決していないのですから。

これまでもお伝えしてきた通り、先生が今回の浄化を通らなくてはならなかったのは、私たち集合意識の歪みや進化の遅れを、一身に引き受けてのことです。既に、個人レベルでのカルマ清算を一通り終え、リマスターを果たされた伊藤先生ご自身には、改めるべき点は一切なく、先生の体調は、全て私たちの在り方にかかっているのです。

先生はこうも、仰っていました。
私はこれまで、全身全霊を以て、全ての答えをあなたたちに示し続けてきた。これ以上私にできることがあるとすれば、あなたたちの在り方が、私を死の淵に追い込むのだということを、身を以て示すことくらいだ。キリストがかつて、そうしたように。そうすることで、それが人類の未来に、どのような影響を及ぼすことになるかを、突きつけるしかない」。

実際、今回の浄化が始まる以前から、先生の身体は、私たち集合意識の影響を受け続けており、先生は医学的には原因不明の体調不良を、常に抱えてこられました。
今回のことは、私たち人類が、霊的計画に基づき、順調な進化を遂げていないことに対する、宇宙からの警告なのだと、先生は仰っています。

この間、全ての出来事を目の当たりにしてきた私は、今、自分自身のこれまでの在り方に対する、深い後悔の念に苛まれています。

なぜなら、私は、三年半もの間、先生から教えて頂いてきたものを無駄にし続け、本来のアシスタントとしての役割を、まるで果たしてこなかったからです。

多分、キリストにとっての十二使徒たちがそうであったように、私は先生から、最も身近な弟子として、家族同然に受け入れられてきたにも関わらず、その価値を、全く分かろうとしないような在り方を続けてきたのでした。

伊藤先生のアシスタントという、とても重要な立場にありながら、霊的探求者としてやるべきこともやらずに、ただその座に居座り続けてきた私のこれまでの在り方は、人類の進化を促すことを目的に転生を果たされた伊藤先生の側近として、あるまじきものでした。そんな私の在り方こそが、集合意識に多大な負の影響を与えてしまったのだということを、私は今、痛烈に感じています。

この三年半、私が先生から教えて頂いてきたのは、正真正銘の愛や真理でした。それは理屈ではなく、私自身が日々、先生と接する中で、肌で感じてきたことです。先生から教えて頂くことの貴重さを、私はどこか深いところで感じ取っていました。

それなのに、私は自分のカルマを直視することから逃げたいばかりに、先生から教えて頂いたことを自分のために活かすことも、後に続く人たちに伝えることも、家族や知人にシェアすることも、殆どせずにきてしまいました。

本来なら、私は先生のもとで、着々と霊的探求者として成長し、先生に教えて頂いたことを、周囲や後に続く人たちに伝えているはずでした。

もしも、私がそうしていたら、前回の記事でお伝えしたような、受講生たちがこの状況下において先生を踏みにじるような事態を、事前に食い止めるための働きができたかもしれません。
そして、それが出来ていたら、先生の浄化は、ここまで苛酷なものにならずに済んでいたかもしれません。

この三年半という年月と、先生から日々教えていただいてきたことを、無下にしたのだと思うと、本当にいたたまれない気持ちになるのです。

しかも、奇しくもキリストが、十二使徒たちと過ごした時間も、三年半です。これまで先生を裏切り続けてきた私は、最後にキリストを見殺しにした十二使徒たちと、何も変わらないのだと思います。

私にとって、リラで過ごしてきたこの時間は、それまで社会で普通に過ごしてきた時間とは、明らかに質の異なるものでした。私にとって、この三年半という時間は、数十転生分にも相当するものだったと言っても、大袈裟ではないほどです。

それは、時間軸を超越した存在である伊藤先生のそばにいるからこそ生じる感覚であり、その独特な時間の流れは、いつからか「リラ・タイム」と呼ばれるようになりました。
伊藤先生から本格的な指導を受ける、リラの生徒たちは皆、この「リラ・タイム」のなかにいるのです。

それが、どれほど貴重で、どれほど特別なものなのか。
先生から与えていただいた、これだけ膨大なものを、まるで成長に繋げられなかったことを、私は改めて、重く受け止めています。


これまでずっと、先生は私に対して、常に的確な指導をして下さっていました。それなのに私は、先生から厳しく指摘を受ける度に、被害者意識を持ち、先生の指摘を撥ね付けるばかりでした。

先生に対しても人類に対しても、私が犯した罪の重さは、他の人たちとは比べものにならない程のものなのだという事実が、この間、先生の姿を傍らで見続けてきたことで、私はようやく、身に染みて感じられるようになりました。

その事実が、徐々に染みわたってくるのと同時に、私の中に蘇ってきたのは、先生が度々私に仰ってきた、この言葉でした。
あなたは、残念な人だ」。
私は、これまでその言葉を前に、いつもその場に立ちすくむばかりでした。

しかし、そんな私に先生は、それ以上何かを突き付けたり、責めたりすることは、一切ありませんでした。どこまでも、私たちの自由意志を尊重される先生は、いつ誰に対しても、「逃げたいうちは、好きなだけ逃げたらいい」と、仰るのです。


私は、かつてスクール生として6期に在籍し、総リーダーを務めていました。
当初は、先生の手足となり、みんなを支え、リラの礎になって働くことへの使命感に、突き動かされていました。
しかし、私は、プライドカルマを放置し、6期というチームを崩壊に導いたのです。そして、その事実に背を向け、逃避に呑まれ、私はどんどん初心を見失っていきました。

当然、そんな私が、人を教えたり、リードしたりすることなどできるはずもなく、当時担っていた認定ティーチャー、サブ講師という重要な役目からも、退かざるを得なくなりました。

それでも尚、私はプライドカルマと向き合わず、自分にとって都合の悪い現実から、どこまでも目を逸らしていった私は、最終的に、完全に自己喪失の状態に陥り、まるで廃人のようになりました。

そして、私は先生の側近でありながら、その状態を一年もの間続けたのです。当時の私の状態は、普通の会社なら、解雇されてもおかしくない程だったと思います。それなのに、先生は、そんな私を黙って受け入れて下さっていました。

その後、私は、予期せぬ妊娠をしました。悩み抜いた末、シングルマザーとして子供を育てる決意を固めた矢先に、流産してしまったのです。それは、私にとって、これまでの人生の中でも、最も苦しく、受け入れ難いことでした。(この件の詳細は、以前りらぶろぐでもお伝えしました→「復帰までの道のり」)

そんな時に、私に手を差し伸べ、寄り添って下さったのも伊藤先生でした。この時に、先生が近くに居て下さらなかったら、私は今頃、どうなっていたか分かりません。
先生に対して、ひどい在り方を続けてきたこの私に、先生は、私が苦しみに向き合えるよう、文字通り、手取り足取りの指導をしてくださったのです。

そして、その結果、私は、自己喪失という暗闇から這い出ることができたのです。この最も苦しかった時期を、先生に支えて頂いたことで、私の中には、先生への深い感謝や、確かな愛情が根付いたのでした。

しかし、そんな気持ちを持ちながらも、私は相変わらず、過去の醜態に向き合うことができずにいました。カルマ清算に向かいたいという思いがあっても、どうしても、醜い自分の実態を見ることへの恐れや抵抗を乗り越えることができず、その後も、この一年程の間、ずっと自分をごまかし続けてきたのです。

カルマ清算をしなければ、プライドカルマや被害者意識が改善される訳もなく、事あるごとに私は、先生を裏切ることを繰り返してきました。

そんなことを繰り返す割には、「諦めたくない」「このままでいいわけがない」と言う私に、先生は、ただひたすら、「あなたは自分の見たくないものから、目を背けているだけだ」と、この間も何度も、教えて下さいました。

そして私は、ここに来てようやく、先生の言葉の意味が分かるようになりました。

この一年程の間、私は、「自分のペースで、少しずつやっていきたい」と言い続けてきました。そう言うことで、私は、取り組んでいるつもりになっていたのです。
実際には、その言葉を、問題の核心に触れないための言い逃れにして、逃避していただけでした。
一旦逃避カルマに呑まれてしまうと、自分が逃避していることにさえ、気付くことができなくなります。私を逃避させていたのは、プライドカルマに属する、「どうしても自分の至らなさを見たくない」という意識でした。

ですが、今回の先生の浄化と、一連の出来事を経て、私は気付いたのです。
自分の至らなさに打ちのめされること以上に、恐れるべきものがあることに。

生々しい傷に苦しみ悶え続ける先生の姿を、間近でずっと見てきた私に、ある時、意識を覆っていた殻が、弾け飛ぶような瞬間が訪れました。
その時、「先生の身に、二度とこんなことが起こっていいわけがない」という思いが、爆発するように、私の中から溢れ出してきたのです。

私の魂のど真ん中から、「先生を失う以上に、恐れることなんてない」という強烈な思いが噴き出し、それが、今まで経験したことがない程に、私の心を動かしたのです。すると急に、それまで自分が恐れていたものが、色あせて見えてきました。

そして、先生のあれだけの苦しみを目の前で見ることがなくては、そこに思い至ることができなかった自分が、心底情けなくなりました。


その後、先生の背中の傷がすっかり癒えたある日、私は、およそ二か月振りに、先生の肩を揉ませて頂きました。傷があった頃は、そっとしか触れられなかった先生の肩を、思う存分揉むことができた時、私は、嬉しさのあまり泣いてしまいました。
「先生の肩が揉めるのも、当たり前じゃない」。
私は、そう言いながら、先生の肩を揉ませて頂きました。

先生の肩を揉みながら、「こうして手を伸ばせば触れられるところに、三年後も五年後も、先生がいてくださる保証はないんだ」と思うと、私のなかには、成長に向かうことへの確固たる思いが湧き上がってくるのでした。

しかし、先生の背中の傷が回復してきたその矢先に、私の元には、私が今までしてきたことを更に思い知らせるかのように、一通のメールが届いたのです。父から届いたそのメールには、弟が緊急入院して、手術することになったと書かれていました。

驚いた私は、実家に電話をかけ、母から詳細を聞きました。
弟は深刻なガンでした。私が電話をしたその日に検査の結果が出て、病院で医師から説明を受けたのだということでした。
母は、その日が誕生日でした。息子がガンに冒されたことを、自分の誕生日に知ることになった母の気持ちを思うと、私は、胸が痛みました。

電話を切って、しばらくの間、私は茫然としてしまいました。

この三年半の間、私は、カルマ清算の基本中の基本である家族との取組みも、ずっと怠ってきました。

私が、カルマ清算に取り組む中で、もっと家族に、リラでの学びをシェア出来ていたら・・・。
弟と向き合い、話をするなかで、弟の思いや感情を引き出せていたら・・・。
せめて、私が一年前の流産をきっかけに、真剣に取り組むことを決意していたら・・・。

私がやるべきことをやっていたら、弟の状態がここまでになる前に、食い止めることができたのかもしれないという思いが、私の中には湧き上がってくるのでした。

そう思うと、私の心は、どんどん重くなっていきました。

その場で黙り込む私に、傍らにいた依田ちゃんは言ってくれたのです。「弟さんのこと大事なんだね」と。

その言葉を聞いて、私は、やっと涙を流すことできました。そして次々と家族との思い出がよみがえり、幼かった頃の弟の笑顔が浮かんでくるのでした。

私は、先生に一連の話を聞いていただきました。
先生は、「医者がサジを投げたようなガンから生還した人は、たくさんいる」ということを、お話しして下さいました。

私は、今回の経験を経て至った決意を、一日も忘れずに過ごそうと思っていることや、家族の取組みを含めて、これまで教えて頂いたことをやるだけだと思っていること、そして、このタイミングで、このような知らせが届いたことの意味を、重く受け止めていることなどを、先生にお伝えしました。

先生は、私の話を全身で受け止めて下さり、「後悔のないように」と、とても静かに仰って下さいました。私は、先生の温かくて、力強いエネルギーに触れたことで、フラフラしていた足元が、しっかりと地面に付いたような感覚になり、自分の感情や、目の前で起こっていることを受け止めようと思えたのです。

私がやるべきことをやってきていれば、これほどまでに先生は苦しまずに済んだかもしれないという後悔。そして、弟の病気を食い止めることができたかもしれないという後悔。
これまでのカルマに呑まれた私の在り方が、大切な人たちを巻き込み、こうして取り返しのつかないような事態を招くのだということに、私は打ちひしがれました。
ですが同時に、私はこれから遅ればせながらでも、リラに最大限貢献し、弟に対しても、できる限りのことをしていこうと誓ったのです。


私は、今、宇宙から問われているのだと感じています。
本気なのかと。本当に覚悟を決めたのかと。

今の私は、迷わずに答えることができます。
私には、愛を選ぶ以外の選択肢はありません。

伊藤先生が浄化に向かう姿を見続け、弟の病気についての知らせを受け、ようやく私は、人の命にも、地球の命にも、全てにおいてタイムリミットがあるのだということが、本当の意味で分かってきました。
それも全て、先生が幾度となく、教えて下さってきたことです。

今の私は、タイムリミットを感じることで、どうしても焦りに翻弄されてしまうこともあるのですが、ハートに意識を戻せば、焦る必要などまるでないんだということに、立ち戻ることができます。

なぜなら、私の前には、伊藤先生によって示された道が既にあるからです。
何をすればいいのか、先生からは、全ての答えを教えて頂いているのです。

やるべきことを、やるべき時にやる

この言葉は、三年半前、6期のスクールがスタートした最初の授業で、先生が私たちに霊的探求者としての心得として指導して下さった言葉です。その時、私はこの言葉を胸に、霊的探求の道を歩むと誓ったことを、よく覚えています。

なのに、これまでの私は、願望を口にするだけで、行動が伴わず、何ひとつ結果を出すことができませんでした。
今の私がやるべきことは、先生に教えて頂いたことを見直し、一つひとつ行動に移していく。ただ、ひたすら。それだけだと思います。

私は、今やっと確信しているのです。
私は、先生のもとで、自分を成長させるために生まれてきたのだということを。


そして、最後に改めて、お伝えします。
私たち人類は、伊藤先生を通じて、宇宙からの警告を受けています。私たち人類は、進化に向かうか、それとも破綻に向かうかを問われているのです。そして、そこにはタイムリミットもあります。

これまでも私たちは、キリストの時代から何度も、何度も、同じ過ちを繰り返してきました。そして、今回、伊藤先生に対しても、同じことを繰り返してしまいました。

私たち人類は、この事実を前にどう在るべきなのか。

その手掛かりは、全て「人格統合Vol.2」のエピローグに書かれています。


どうか、あなたの力を貸して欲しい。
陰陽法則を理解し、愛を体現し、カルマ清算を促し、統合へと向けて全体を率いる力を、発揮してくれないだろうか。そのために、可能なことから努力をしてもらえないだろうか?
人間が思うほど、この物質界において、神やマスターは万能ではない。あなたの力が必要なのだ。この物質界において、人類が統合へ向けて真の成長を遂げるためには、あなたの助けが必要なのだ。
そして、あなたに知っておいてほしいことがある。それは、「タイムリミット」という存在だ。ある瞬間までに、一定の条件が満たされなかった時点で、何もかもが手遅れになるデッドラインというものが存在することを、どうか知っておいてほしい。
そのデッドラインをオーバーすることで、集合意識は破綻へ向けて一挙に傾く。転落というものは、一瞬で起こる。一度、破綻へ向けて加速が進み始めると、それはもう取り返しがつかない。どんなに後悔しても、どんなに悪あがきしても、もう遅いのだ。
そうして私たちは、かけがえのないものを失う。それが多くの者にとって、どれほどの喪失感を伴うものか、どれほどの絶望感と自責の念に苛まれることか、言葉などでは表しきれない。

やるべき時に、やるべきことをやる。これを怠った結果、待ち受けているのが破綻である。
これは、アセンションに限ったことではない。国家や企業、家庭においても同じことだ。本来なら多くの者を導くべきリーダーが、目の前の問題から目を逸らし、やるべきことを先延ばしにし、綺麗事ばかりを並べていたとしたら、その団体はどうなるだろう?
国家であれば政治が腐敗し、経済破綻を招くだろう。企業であれば倒産するだろう。家庭であれば、離婚になるだろうか? 家族揃って精神を病むだろうか?
あなたに出来る努力とは、目の前の問題に気付くことから始まる。そして、その問題を直視し、皆で成長へと向かえるよう、未熟なりにも働きかけることだ。今、この瞬間に、最も必要なことを、しっかりと見極め行動することだ。

あなたのハートは何を求めているだろう? あなたのハートが求めるがままに、行動を起こしてほしい。思考に惑わされず、過去の失敗に囚われず、あなたのハートが赴くままに突き進んでほしい。
あなたは、潜在的には知っている。今、何をどうすることが、あなたのスピリットの望みであるかを、知っているはずだ。ただ、耳を澄まして、自分のハートの声を聞くだけでいい。
あなたのハートを信じてほしい。あなたのハートは、すべての答えを知っているのだ

(※「人格統合Vol.2」p453~455より抜粋)


伊藤先生は、私たちに全てを示して下さっています。


鈴木 睦子

【2013/11/12 02:55】 | By 鈴木


むっちゃん

これまで3年半、先生に教えて頂いてきた者として、自分のことであるという思いで読ませてもらいました。

これまで、問題と向き合うことから逃げ続けた結果、先生から示してもらってきたものを、無かったことにし続けてしまった。

そうやって、無下にして、逃げ続けたことが、ここまで先生を苦しめるのだと、目の前で見ていても、見て見ぬふりをして逃げ続けている、これが自分の実態だということ。 

記事を読ませてもらって、改めて、本当に失わなければ分からないのか、違うだろ、そうしたくないなら、やるべきことを、やるだけだろという思いが湧いてくる。

まず、今、これが自分の実態なんだということ、ここから逃げない、後回しにしない、そういう思いです。


ゆみえ
むつこさん、読ませて頂きました。

読ませていただいた直後、今感じていることは、このむつこさんの経験したことを、無駄にしてはならないということです。

今は、ここまでしかでてきません。
ただ、もっと深く、理解する必要があるということを感じています。
理解しなければいけないと、感じています。


平田
鈴木さん、先生の浄化のお話、教えて下さってありがとうございました。

一連の先生の浄化の様子を拝見していて、
私も本当に怖かったです。
先生が居なくなってしまうこと。
私を救ってくれた先生が居なくなってしまうかもしれない。
それが、ずっと怖かったです。

焦ってもいましたし、後悔もしました。
随分、模索もしました。

大切な人が居てくれることが、当たり前じゃないこと。
なぜ、失うことが現実味を帯びてからじゃないと、
大切だという気持ちすら忘れてしまうんでしょうか…

私にとっても、愛情や命のことは、取り返しがつかなく、
それを失う以上に怖いこともありません。

大切なものを大切なように大切に出来る人間になりたいです。


たかこ
むつこさん

読ませていただきました。

自分も愛に向かうんだ、って思う反面それでも直ぐに今まで同じような状態に飲まれてしまう自分の情けなさを感じます。

それでも教えてもらうことを無駄にせず、やるべきことをやっていきたいと、思います。

今出てくるのはこれだけです。




いで
むつこさん

ありがとうございます。

むつこさんの渾身のメッセージによって、何度も読んだはずの先生のお言葉が、新たに届きました。

これほど明確に先生は指し示してくださっている。
「どうして良いかわからない」などと、逃げる余地はありません。

一瞬一瞬の選択の前に私は立ち続けていると感じます。



よしみ
むつこさん

むつこさんの先生への思い、弟さんへの思い、記事を読んで感じていました。
むつこさんの中に生まれた決意や覚悟の重みが、伝わってきました。

エピローグを今、何度も読みかえします。


はるか
むつこさん

読ませて頂きました。
むつこさんの思い、気持ち、胸にずんと伝わってきます。

先生の言葉を何度も読んで感じています。
今までのこともこれからも私たちの在り方なんだということ。
自分に何度も刻んで、行動していくんだという思いです。


美雪
睦子さん

元スクール生の美雪です。

これまでの記事も何度も読んでいます。
色々感じたことがあったのに、コメント出来ずにいました。

睦子さんの想いや覚悟、先生への想いが胸に迫ってきました。弟さんのことも、言葉になりません。先生の存在、示していただいた事、どれだけかけがえのないものであったかということを感じています。急げ、という声も聞こえてきます。

私も、先生の足を引っ張るだけの存在でした。情けないですがこの場に及んでまだ肝心なところから逃げ続けていて、やったつもりになっていました。けれど、このままでいいわけない。覚悟を決めたばかりです。


ふじしま
むつこさん

読ませて頂きました。ありがとうございます。

まだ揺れていますが「覚悟」という言葉が頭に浮かびます。

うちの家族に色々と起こっていることも、当然自分に関係のあることなのですね。向き合っていきます。




佐藤俊哉
鈴木さんへ

一般の佐藤です。
ブログ読ませていただいております。
今回、先生を傷つけたことに、自分は加担した一人であることをしつかりと自覚し、重く受け止め、鈴木さんの言われていることを腹の底にずっしりと落としました。
ブログありがとうございます。
私も、自分が進むべき道を真ん中に置くことが出来ました。
そして、毎日、瞬間瞬間、自分がやるべきこと、あるべき姿を意識して、努力していきたいと思います。
まだまだできていないことが多い日々ですが、一歩一歩前に進んでいきたいと思っています。

私は、鈴木さんに、リーダーの姿を感じます。

佐藤俊哉



ぶん
むっちゃん、読ませていただきました。

自分の見たくないものから、目を背けているだけだという言葉を、今、自分のこととして感じています。
先生に示された道を進みます。自分の見たくないもの、自分の実態に逃げずに向き合い続けます。



ちよ
むつこさん、読ませていただきました。

先生がいてくださるのは当たり前じゃない。
自分たちがどうあるかにかかっている。

自分たちが与えられているものがどれほど価値があるものなのか、感じながら、ひとつひとつ行動していくぞ、と改めて思っています。


かず
むつこさん、記事をありがとうございます。

読ませていただいて、カルマまみれの至らない自分を見ていくのだと、強く感じています。

これからも、何度も読んでいきます。


おおむら
睦子さん

読ませていただきました。

先生の傍らでずっと事実を見てきた睦子さんの思いが覚悟と共に伝わってきます。

自分も覚悟をより強固に固めていきたい気持ちです。

日々の一人ひとりの在り方次第。
もっと感じて腹に落としていきたい。






まゆ
むっちゃん

繰り返し、読みました。
あまりにも、色々な思いが湧いてきます。

むっちゃんが、これまで先生のそばでどれほどの経験をしてきたのか、そして今回の先生のお姿から何を感じ、何を決意したのかを、改めて感じています。
これまでの在り方に対する後悔の思いと、成長へ向かうのだという確固たる意志が伝わってきます。

むっちゃんに、弟さんのことの知らせがきたとき、隣でむっちゃんの思いを感じながら、私自身もその意味を、むっちゃんの弟さんの命の重みを、静かに感じていました。
「後悔のないように」という先生がむっちゃんにかけられた言葉を感じながら、自分自身も、日々後悔のないように生きなければいけないと思います。

そして、ハートを最大限に感じて、これからも行動し続けていくのだと、今回先生のそばで私自身が経験したことを思い、先生の痛みを想い、そう強く感じています。

むっちゃんのこの四本の記事を読み、そして、いつも目の前で手を差しのべてきてくださる先生の大きさを感じながら、私が今ここにいることの意味を、考えない日はありません。


木村忍
睦子さん
読ませて頂きました。

頭で考えてしまって、
「まとまったしっかりしたこと、受け止めて書かなきゃ」とか、
この場でも歪んだ自意識が出る自分を感じました…。

「ただ、耳を澄まして、自分のハートの声を聞くだけでいい。
あなたのハートを信じてほしい。
あなたのハートは、すべての答えを知っているのだ」
との先生のお言葉。

胸に手を当てて、感じてみたら、
「ついてきて」
と、きこえてきました。

私はハートに従って行動していきます。
可能なことから努力していきます。


たかこ
佐藤俊哉さん、一つお伝えしたい事があります。

佐藤さんがコメントで「先生を傷つけたこと」と表現されてますが、多分お身体に傷を負ったことに対しての表現だとは思いますが、
本来先生はマスターであり、私達よって傷つけられる弱者ではありません。
ですから、「先生を痛めつけたこと」というのが本来の表現の仕方かと思います。

私も同じような意識が在り、気になったためにお伝えしたいと思いました。

もしこの事で分かり難いようでしたら、勉強会やセッションに来られた時に、聞いていただければと思います。



麻衣
むつこさん、読ませていただきました。

私たちの魂の成長のためにその命でさえも差し出されている先生のお姿、壮絶な愛をを目の当たりにし、それでもなおダメージを与え、直視したくないと撥ね付ける私たちの実態のひどさを思っています。

タイムリミットはあるのだということ、本当に手放したくないです。焦ることもありますが、ハートに基づけば、焦る必要はないのだということを、今自分の中で反芻しています。


reiko
初めまして。ふらっと立ち寄ったものです。
浄化のお話を読ませていただきました。
直接ご縁はありませんが、人ごとではないお話でした。
一緒に体験させていただきました。ありがとうございます。
私自身も今いる場所で、常に胸にある愛に戻りながら、変化していくことに
挑戦していきます。
一緒にやっていきますね。
リラのみなさん、ファイト~!!
愛しています。


ともえ
reikoさん

リラのみなさん、突然、コメントしてすみません。reikoさんのコメントにとても違和感を感じています。

言葉が他に出てこないのですが…




reikoさん。
リラ・アカデミーのカルマ清算コースで学ぶ、伊東と申します。

reikoさんのコメントを読んで、どうしても、一言お伝えしたいことがあります。
ふらっと立ち寄られたとのことですが、記事を読まれて、私たちのカルマにまみれた在り方が、人類の未来に大きく影をおとしていることは、感じていらっしゃると思います。

この事実と、記事で伝えてくれている「先生を失う以上に、恐れることなんてない」という思いや、ガンを患っている弟さんに対する思い、そして、愛に向かう選択肢しかないという覚悟に対して、「ファイト~!!」というコメントが、あまりにもかけ離れていると感じたのです。

感じ方や表現は、人それぞれだと思います。reikoさんのコメントに込められた気持ちを、私が感じられていないのかも知れない。
ただ、記事を通じて伝えようとしてくれているものが、とても軽く扱われていると感じて、黙っていられませんでした。

人ごとではないと感じていらっしゃるなら、なおさら、記事に書かれていることについて、もっと感じてもらいたい。そう思うのです。



ゆみえ
ともえさん

カルマ清算コースで、伊藤先生のもとで学んでいる、佐藤と申します。
私も、ともえさんと同じで、reikoさんのコメントには、とても違和感を感じます。

この記事の内容に、ふらっと立ち寄った、と書ける神経がどうかしていると思います。
伊藤先生の身に起きているこの間の壮絶な出来事、このことを伝えずにはいられないと、必死にキーボードに向かっていたむつこさんの姿を想像すると、それらを穢された思いです。
私だって、こうして学ばせてもらっていても、情けないけど、まだまだ全然わかっていないことだらけです。
ふらっと立ち寄った人に、何がわかるんだって思う。

ともえさん、コメントを書くこと、勇気が要ったのではないかな、と思います。
(突然すみません、とあったので)

私たちは、伊藤先生から、声を上げ続けることが愛だと教わっています。
たった一人が声を上げるだけで、場の流れが変わり、その先の未来をも変えていくということだと思います。

私も、ともえさんが今回そうされたように、自分が感じた違和感を、臆さず声に出すこと、そう在り続けたいと思っています。


鈴木
鈴木睦子です。
みなさん、たくさんのコメントをありがとうございます。

reikoさんのコメントに対する、あゆたん、ゆみえちゃんのコメントですが、私は排他的だと感じました。

ふたりのコメントを読み、reikoさんだけではなく、リラに関わりのない人たちが、コメントしづらくなってしまうのではないかと、思います。


ともえ
むつこさん

記事、読ませて頂きました。
記事の内容のあまりの重みに言葉にするのは、難しいのですが、ただ、前述のreikoさんコメントに関しては、
もし、私が大切な人についての思いを表現して、
「ファイトー」と声をかけられたら、他人事と思われたように感じると思うのです。
排他的であってはいけないという思いも納得できるのですが…私だったら、もう少し心中察して頂きたいと感じると思いました。

ゆみえさん

リラから離れて自分を模索している私なのですが、今回の記事だけは、特別な思いで読んでいました。そして、疑問符がついて、そわそわとし、悩んだのですが、コメントさせて頂きました。ふさわしい言葉がみつからないのですが、コメント頂き、ありがとうございました。


こに
相手の表情や口調がつたわりにくい文章の世界の難しさを感じました。
でも皆さんそれぞれの愛を感じます。私も愛ある人間で在ろうと思います。

それと私個人のことですが
めいいっぱい頑張ってる方にエールを送りたい時。
「頑張ってください」と言うのが残酷に思え、
「ファイト」「ドンマイ」「ガンバ」などのライトな言葉を遣うことも結構あります。
状況に相応しいいかどうか。どんな言葉が適切か。思慮深くありたいです。
また言葉に限界があるからこそ、面と向かっての直接のコミュニケーションも必要なのだな。と感じます。


reiko
むつこさん、リラの皆さん

コメントありがとうございます。
そして、失礼な言葉で傷つけたらごめんなさい。
今度から言葉を深く考えてから発言しますね。
私の未だに課題です。
指摘していただいて感謝します。

正直には、どうしてそんなこと言われないといけないの!!と思い、コメントをやめようとする自分もいますが、でもそうすると自分がモヤモヤすると思いましたのでもう一度投稿させていただきます(どこまでも自分本位です。ごめんなさい)。

こちらのブログを知ったのは、1年ほど前で、時々
読ませていただいていましたが、今回本当に心からコメント書きたくなる内容でしたので、投稿させていただきました。

その中でも、言葉使いは失礼でしたが、皆さんの中にある明るい心を感じました。私ならカルマにまみれている時なら、皆さんのように感じなかったと思います。少し明るいときなら、眺めることもできますが・・・。
どうかそれを守っていきたい(自分に対しても)という意味でファイト!!
を使うようにしている今日このごろです。

いろいろ眺めたうえで、もう一度、明るさを選択していく掛け声でした。

本当にごめんなさい。

愛しています。



ともえ
reikoさん

私の疑問点にお答え頂き、ありがとうございます。お考えがわかり、モヤモヤしていた気持ちが晴れました。



平田
reiko さん

私も、最初のreiko さんのコメントに違和感を持っていたのですが、
2番目のコメントは、reiko さんの考えや人となりみたいな感じが伝わってきました。
最初から、そんな風に書いて下さっていたらな、と思いました。

違和感の正体は、reiko さんの最初のコメントが、何だか最近のスピリチュアルとかニューエイジの巷に溢れる文章そのままっぽい感じがしたからかな、と。
reiko さんの気持ちが全然見えなかったからかもしれません。

私も一般で勉強させて頂いてる身ですので、
「ズレてる」とか「浮いてる」とか、そんな状態が常です。
リラで学んでいくなかで、後から振り返って「あの時の自分恥ずかしい!」と思えたらいいかな、と思っています。
もし、この先生の浄化の記事を読んで、カルマ清算したい!と思われたら、
一緒に学んでいける仲間になれたら嬉しいと思います。


reikoさん
17日にコメントさせていただいた、伊東です。

私は、reikoさんの一つ目のコメントを読んだとき、記事が軽く扱われていると思い、苛立ちを感じました。

しかし、19日のreikoさんのコメントを読ませていただいて、一年前からりらぶろぐを読まれていたreikoさんが、今回本当に心からコメントを書きたくなる内容だったから、投稿したのだという気持ちが伝わってきました。

私の17日のコメントを読み返すと、記事を読んでコメントしようとしてくれたreikoさんの気持ちや背景を考えないで、頭ごなしにダメ出しをするようなコメントでした。
むっちゃんがコメントで伝えてくれているように、とても排他的であったと思います。

このこと、申し訳なく感じています。

記事を書いたむっちゃんとの関係の深さが違えば、内容に対する思いの強さも、当然違って当たり前であるのに、それを許そうとしなかった自分の中に、重く感じるべきという押しつけの意識があったと感じています。

そういう意識が自分にあるということをみつめながら、コースで学んでいる、いないに関わらず、りらぶろぐの記事を通じて、より多くの人と、私たちがリラで学んでいることを共有したい。

そう思っています。



たま
むっちゃん

この記事を何度も読ませてもらいました。

自分を恥ずかしく思います。
自分の傲慢、怠惰、無知という数々の愚かさ、醜さのために、こんな自分でもどこかで感じられている尊いものを踏みにじって生きていることを、本当に恥ずかしく思っています。

これまでの人生を、先生の示される道を知らずに生き、先生に出会い、教えを請うという僥倖に出会ったにもかかわらず、背く。
本当に、自分はどこまでも価値の分らない人間なのかと思います。

すでに、多くのものを失ってきました。
せめて、その痛みと共に、今、頂いているものを大切に思いながら生きていきたい。その価値を日々感じながら生きていきたい。

やるべき時に、やるべきことをやる。
先生の言葉を、感じています。



いずみ
睦子さん

コメントが出来ずにいました。
まだまとまらないのですが、コメントさせて下さい。

夢子プライドの逃避とマイワールドにのまれ、
チューニングが合わないおかしい状態が続いています。
逃避にのまれるとこんなに人の心を感じられなくなるんだと知り、
恐ろしく感じます。

先生にいつも教えて頂くように、自分の感情から逃げていたら
相手の心にも寄り添えるはずがないのだと体感し、
「もう逃げたくない」「先生や睦子さんの思いを少しでも感じたい」
と、踏み留まっている状況です。

人格統合のエピローグと睦子さんの今回の記事を、
ブレる度、ズレる度、おかしくなる度に読み返し、
軸を取り戻していきたい、そう思います。

また感じたことがあれば、書きに来させて下さい。


reikoさん

はじめまして、元8期生で今は一般のいずみと申します。
最初のコメントはモヤモヤしましたが、
私も同じようなパターンを持っており、
このような表現をたくさんしてきたと思いました。
2つ目のコメントでreikoさんの背景が伝わってきて、
reikoさん自身を感じることが出来て良かったです。

また、睦子さんのコメントを読んで、これは「人類」に対する
大きなメッセージなんだと感じました。
まだ直接リラに関わっていない方々も多く読んでいる場なので、
読んだ人がそれぞれ何かを掴み、日常の中で自分なりに
行動していって欲しいという、睦子さんの思いを感じています。

歩さんがreikoさんに伝えているように、私も、
元スクール生で今は一般で学んでいる身として、
リラで学んでいることをこの場で、
これからも皆さんと共有していきたいです。

宜しくお願いします。


山口和久
鈴木さん、ずっと記事を読ませていただいていました。

一般の山口です。

僕が3年前、初めてリラを訪れたとき、
僕は祖父と母親を続けて亡くしたばかりで、
さらに父親も危篤で、亡くなる直前の混沌とした状況の中でした。

母親は癌で亡くなりました。


10月のワークショップのとき、
依田さんから先生の浄化のことを聞いて
とてもショックでした。

しかし、ワークショップで先生の講義を
存分に受けることができて、
自分はできる限りの取り組みを続けていこう、
と気持ちを新たにして帰りました。

しかし、こうして鈴木さんの弟さんが
母と同じ癌だということを知ったとき、
僕は未だに自分の母親へのさまざまな思いから
逃げ続けていることに気付きました。

だから、先生の浄化のことも
どこかで目をそらしてしまって直視できない自分がいます。

父と母の死を、歪めた形で受容してしまっているのだとも思います。

ご自身の流産のこと、弟さんのこと、
そして先生の壮絶な浄化のことを
鈴木さんは洗いざらい伝えてくれました。

僕にも大切な人がいます。

大きくのしかかった親とのカルマを清算していくことが、
大切な人に誠実で居続けることでもあると、痛感しています。

「それでも開き続けるしかないんだよ。」

というワークショップでの先生の言葉と
まなざしがいつも僕の心を取り戻してくれます。

もうこれ以上大切な人をなくさないためにも
今一度、心に刻んで取り組みを続けていきます。




ゆみえ
reikoさん

18日に、ともえさん宛てにコメントさせて頂いていた、佐藤です。

reikoさんの、二つ目のコメントを読ませて頂きました。
記事に対して、心からコメントを書きたくなる内容だと感じられ、伝えて下さったコメントだったのですね。

最初のコメントを読んだときは、その真意が、全く読み取れていませんでした。
reikoさんのコメント全体の雰囲気が、私には記事を軽んじられているのだと感じて、あのようなコメントになってしまったのです。

二つ目のコメントを読ませて頂いて、reikoさんのお気持ちが伝わってきた今、私のコメントを読まれたときのreikoさんのお気持ちを想像すると、とてもショックを受けたのではないかと感じています。
reikoさん宛てでなかったことも、尚更、嫌な感じがしたのではないでしょうか。
このこと、本当に申し訳なく思っています。

それでも、コメントをやめようと思いながらも、お気持ちを伝えてくださったことに、ありがたい気持ちでいて、それをお伝えしたいと思いました。

今回のことで、私の中に元々あった、一方的な決め付けをしてしまう問題が、浮上したことも感じています。
そこは見つめ直さなければならないと思っているところです。

歩さんもコメントしていますが、これからも、りらぶろぐを通じて、リラで学んでいることを共有していけたらと思っています。


鈴木
皆さんへ

鈴木睦子です。

先日、reikoさんのコメントに対して、あゆたん、ゆみえちゃんのコメントが排他的に感じられると書かせていただきました。

このコメントを書いた時のことを振り返ると、リラとの関わりの有無にかかわらず、たくさんの人たちに、今回の記事を読んでほしいという思いが先走っていて、あゆたん、ゆみえちゃんのこの記事への思い、そして二人の私に対する思いやりを、十分に感じられていませんでした。二人には、申し訳なかったと思います。

ともえさんが、二つめのコメントで、伝えて下さっているように、排他的にならず、その上で、大切なものへの思いを察して欲しいという気持ちを表現すればよかったんだと、思いました。

reikoさんの二つめのコメントからは、ひとつめよりも、お気持ちが伝わってきました。勇気を出してコメントして下さったこと、ありがとうございました。


私はこれまでの間、このコメント欄を通じての今回のようなやりとりからも、遠ざかってきました。これも、突き詰めていけば、弱みを見せたくない、プライドカルマが原因だと思います。

これから、改めてこのコメント欄を通じて、皆さんと関わらせて頂きたいです。
どうぞ、よろしくお願い致します。


佐藤俊哉
月に2回ほど、依田さんのセッションを受けさせていただいている、一般の佐藤俊哉です。

たかこさんへ

教えてくださり、ありがとうございました。
また、今日、たかこさんが、私にどう伝えたらよいか、依田さんにご相談されていたことを知りました。
おかげさまで、お教えいただいたことを、しっかりと受け止めることが出来ました。
ありがとうございました。
表現することで、気付きと学びを得ることが出来ました。
コメントをしてよかっと思いました。
あらためて、ご指摘くださり、ありがとうございました。

佐藤俊哉


こに
佐藤俊哉さん
 私も、たかこさんから、佐藤さんへのコメント
とても勉強になり。よくよく読み返していました。
ここまでの事態で、思いに言葉や、表現がついけず、
臆していたのですが。教えて下さる方々の愛がとてもありがたいです。
成熟した人間関係を感じました。
依田さん、たかこさん、ありがとうございました。

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