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依田真由美です。

召喚から帰った直後の記事「富士召喚ご報告」でお伝えしたように、富士での私のプライドカルマが炙り出されたことについて、今回は、その詳細をみなさんにお伝えしたいと思います。

二泊三日の富士登山の行程の最終日、先生は、私に何も告げることなく、黙って一人で下山道を下られ、先生と私はそのまま別行動となりました。そうなったのは、私のプライドカルマが炙り出された結果でした。

出発のご挨拶の記事「夏の富士召喚」でも書かせていただいたように、これまでも、私は先生に対して、プライドカルマ特有の攻撃性を向け、自分が宣言したことを覆して、先生を裏切るような言動を繰り返してきました。常に私の意志を尊重し、私が望むものを与えてくださってきた先生に、カルマをぶつけ続けてきてしまったのです。

プライドカルマの特徴の一つである、「与えてもらって当たり前」という図々しい感性が私の中にもふんだんにあり、その点については、これまでにも先生から度々、ご指摘やご指導を受けてきました。
それなのに、自分のそのカルマパターンと十分に向き合うことなく富士召喚に臨んだ結果、この与えてもらって当たり前という図々しいプライド人格の感性が、炙り出されたのでした。


富士召喚を前に、プライドカルマの露呈に歯止めをきかせることができなかった私は、先生にまったく顔向けできない状態にありました。それでも私には、自分の失態やプライドカルマに向き合いながら、先生に対して本当の謝罪をしていきたい、自分が先生を度々裏切り続けてきたことを自覚した上で、先生とその先の新たな関係性を築いていきたいのだという意志がありました。

そして、その意志に基づく私の行動を、先生は見ていてくださり、私がそこに向かうための道を、先生は常に示してくださったのです。
そうして私は、富士召喚の同行を、先生に許可していただいたのでした。

当然、その状況での先生と私の関係性は、私が加害者であり、先生は被害者でしかないという構図です。そのなかで、私は先生から、この上ない指導を与えられ続けているという状況。それが、通常ならあり得ないことで、当たり前ではないのだということを、その間私は、常に身に刻み続けているつもりでした。

そして、その加害者としての意識を持ち続けていれば、私は召喚先でも先生に対して、謙虚に誠意ある行動を取り続けるはずでした。

富士の地での先生は、木花開耶姫と完全に一体化され、先生はこれまでの私の失態など、まるでなかったかのように、私に与え、尽くし、見守り、励まし、導いてくださいました。先生はそうやって、ただただ母のような愛情を、私に向けてくださったのです。

ですが、それは先生が私に与えてくださっている無条件の愛であり、同時に、私にとってのテストでもありました。
先生がそのように、ただひたすらに与えてくださったとしても、私が自分の犯した罪を、手放さずに背負い続けていられるか、それが試されていたのです。

テストと言ってもその答えは、召喚の前夜に先生からすでに示されていました。私は、先生から、「愛という名の罠にかからないように」と、釘をさされていたのです。それにも関わらず、私は富士の地で、罪の意識を一日足らずで、いとも簡単に手放してしまったのです。

そして、召喚後、自分では自覚できていなかった私のプライドカルマの露呈に関して、先生から数々のご指摘をいただいきました。
第一に、私が頂上への登山にかけた丸二日の間、ずっと先生と一緒にいながら、それまでの度重なる失態について、一言も触れなかったこと。
本来なら、険しい山道を、それまで自分がやってきてしまったことを振り返り、噛み締めながら一歩一歩進むなかで、おのずと、先生に何かを伝えずにはいられないはずだった。
なのに、私の口からは、一言もそれらについて表現されることはなかった。それどころか、先生の目には、私はただの天真爛漫な登山者にしか見えなかったと、伝えられました。

そして、そのことが更に決定付けられたのは、2日目の日の入り前、頂上に到達した時だったと、先生は私に示されました。

頂上の鳥居をくぐるまでの最後の道のりは、私にとって非常に苦しいものでした。酸素が薄い山頂付近で、私は呼吸をすることが辛く、肉体的に限界を感じていました。三歩進めば息が上がり、少し休まなければ前に進めないような状態でした。

そんな私に対して、標高が上がれば上がるほど、呼吸が楽になり、体調が良くなっていかれた先生ではありましたが、もともと虚弱体質で、普段から運動量の少ない先生の筋肉は、とっくに限界を超えた状態にありました。そのなかで、先生は私を先導され、私が頂上へ向かえるように、声をかけ、励まし続けてくださったのです。

その先生の言葉に、涙があふれ、頂上に到達したときには、達成感と、感激のあまりに、涙が止まりませんでした。

ですが、その涙は結局、「私は一生懸命頑張った!」「先生が私に、ここまでしてくださっている・・」という、自分のための涙だったのだということを、先生から告げられたのです。

そして、先生はご自身ならどうであったかを、私の立場に置き換えて、分かりやすく説明してくださいました。
もしも、先生が、私のような未熟な段階にあり、失態を重ねてきた状態で、それでも召喚に同行し、師が導いてくれているというシチュエーションだったなら‥。頂上についた途端に、懺悔の念が溢れ出し、「先生ごめんなさい・・!」と爆発したように泣き叫ぶだろうと。もしかしたら、「もう二度とあんなことはしません」と、子供のように言ったかもしれないと、それがリアルに想像できると仰いました。

事実、私の涙は、先生からのご指摘のとおり、「自分は頑張った。先生がこんなにしてくださった」という感激の涙でしかありませんでした。

こうやって書いていても、自分に対しての嫌悪感が募ってきます。あれほどまでに加害者である自分を手放すまいと固く心に決めて富士の地へ向かったのに、いとも簡単に手放してしまったのだという事実に、いたたまれなさで身がよじれるような思いになります。


私は、登頂の翌日の三日目、先生が黙ってお一人で下山道を下られた意味を、先生と別れてから、ずっと考え続けていました。
自分が加害者だという意識を手放したために、その後の私のどの行動を取ってみても、ありえないものだったことが、徐々に自分のなかで自覚されていきました。

ですが、召喚後、先生から、自分の実態についての様々なご指摘を聞いて始めて、自分の本当の愚かさを知ったのです。

私は、富士の地で、それまでと何も変わることのない、与えてもらって当たり前だというプライドの感性を露呈させ、またもや愛を踏みにじったのだと。これが、私の実態であることを、先生から、宇宙から突き付けられました。


召喚から帰った後、私は進んでいく道が見えないような、混沌とした状態の中にいました。そんな私に対して、先生は憤りながらも、このような言葉を伝えてくださいました。
「道はあるものではなく、自分で切り拓いていくものだ」と。

この先生の言葉を手に掴み、自分の実態を身に刻みながら、進んでいく道を模索していくのだと、召喚後、私は新たな決意をしたつもりでした。

ですがその後、私は、今度は逃避カルマに呑まれることを自分に許してしまったのです。その召喚後の私の在り方については、機会を改め、またここに書かせていただきます。


依田 真由美


【2014/10/13 23:50】 | 富士召喚


麻衣
よださん

こうして改めて召喚の報告の記事を読ませてもらい、やはりそれが私にとっても重いものとして感じています。
ただひたすらに与え続けてくださる先生の愛を、プライドカルマは餌にするという実態。
そしてそれに対し、感情麻痺のない先生が、どれほどの憤りを感じられるかということ。

よださんが先生のそばで与えるダメージと当然程度は違うけれど、私の中にもあるプライドのことを思います。
今の時点では、先生に対ししてきたことを持ちながら、自分が与えていく立場に向かっていくことが、先生へのケツ拭きなんだと。

召喚から帰ってきたよださんに対して、その事実を受け止められないままに、「こう思うべきだ」「嫌悪すべきだ」というところで、私も逃避してしまっていた。

そうではなく、感じたものをそのまま自分で受け止め、表現していくことなのだと、よださん自身から軌道修正をしてもらったことが、今意識にあります。
それが、この事実から、それぞれが何を感じて学び取るのかということだと。


平田
拝見させて頂きました

セッションの時に依田さん自身から直接、お聞きした時の重さを再び感じています

WSの時も、先生も依田さんもどういうお気持ちであそこに座っているのだろう、とソファーを眺めていました

そして、そういう一つ一つの事を全て晒して私たちに示してくれている事の貴重さ、ありがたさ

依田さんの召喚を、自分たちがどのように自分たちの肥やしにしていけるのか
肥やしにしない事で、全て、本当に全て無駄にしてしまうという事

そういう事を、静かに自分の中で受け止め続けていきます


荒川美由紀
まゆさん

記事を読まさせていただきました。

自分の中にあるものと、重ねながら、感じながら読まさせていただきました。

自分の中にもある、与えてもらって当たり前という感性を、これまで当然であるかのように野放しにしてきてしまった事…

これがどのように、先生に対してダメージを与えてきたのかということを、自分の中でもう一度見つめて行く必要があると感じています。

召喚での、まゆさんのプライドカルマの暴露という一連の記事を読ませていただいて、日常でまわりに出し続けている、自分のプライドカルマがありありと見えてきました。

こうして突き付けられるまで、わからない事もプライドカルマなのだろうと、その醜悪さと根深さをひしひしと感じています。

先生に危害を与え、周りの人たちに危害を与え続けているプライドカルマをどうにかして克服していきたいです。

自分自身の人生を、台無しにしないためにも…

色々と考える機会を与えて下さったこと、ありがとうございます。

先生がまゆさんに仰った「道はあるものではなく、自分で切り拓いていくものだ」という、お言葉が胸に沁みて、揺さぶられる思いになりました。


こうして、貴重な体験や先生のお言葉をシェアしていただけることも、当たり前ではなく、感謝していきたいと思います。


ありがとうございました。





ぶん
まゆ、記事を読ませてもらいました。

読みながら、自分の立ち位置を意識し、照らし合わせていました。
リラで学んで4年目。先生や、まゆや周りの仲間にどれだけのエネルギーを注いでもらったか、そしてそれを当たり前にしてきたか。
天真爛漫な登山者のありえなさと同種のものが、自分にあるのを感じます。

そのあり得なさを嫌悪して改めるためにも、今はまず、現在取り組んでいる自分が積み上げたものを認めることを進めていきます。



いで
まゆ

自分だったら、と想像しながら、まゆの記事を読ませてもらいました。

ある種の極限の中で、自分のしたことを自分は本当に手放さずにいられるだろうか。その自信が、正直いってないです。

それはあり得ない!という強い思いがこみあげてこない以上、まだ足りないのだ、少しずつは、自分は動いてきたと思うけど、まだ少しでしかないということか。

自分の今いる立ち位置を考えると、越えようとする壁の高さを感じます。

先生は壁は越えるためにある、と教えてくださった。

やるべきことは教わっているので、やり続けようと思います






ふじ
まゆちゃん

読ませてもらいました。

少しずつ先生が仰られた意味が、自分の中に入ってきている気がします。

嫌悪しきることだと思うし、自分の中にもそれを見ることだろうし、先生の想いを想像しようともしています。

結論めいたことは書けないけど、今はそう思って感じています。





はるか
まゆ、記事を読ませてもらいました。

私も自分が先生にしてきてしまっていること、自分の実態と重ねて、感じながら読んでいます。
読み返すたびに重く感じています。

ただただ図々しいプライドに対しての嫌悪感、それをぶつけられ続ける先生がどれだけの思いをさせられているかということもです。

私自身も自責や保身のカルマパターンが炙り出され、プライドカルマもあって、それがどんなにダメージを与えてきたのか、野放しにすることが何を意味するのかを自分に突き付けています。

自分の罪を手放さずに、改める方向に向かっていくことしかなく、そうしていくのだと思っています。


やか
自分のしてきたことをいとも簡単になかったことにしてしまえるプライドカルマ。

依田さんの記事を読みながら、自分だったらこのような局面で一体どういうあり方ができただろうか?と考えました。間違いなく、今のわたしであれば、先生からのご指摘があるまで自分がプライドカルマを露呈していることにすら気づくことさえできなかったに違いないと感じました。依田さんが直面していた状況の厳しさを思うと、わが身に引き寄せて考えることさえおこがましいような気もしますが、そういう思いがよぎったのは事実です。

自分のしてきたことを手放さずにいるということは、こんなにも厳しいことなのだということを先生に示していただいたこと、シェアしてくださってありがとうございました。



優実
まゆ、読ませてもらいました。
まゆに初めに聞いたときより、更に、リアルに響いてくるものがあります。

「与えてもらって当たり前」の感性。
自分の中にも確かにあるのだと、感じてます。

先生のお気持ちも
まゆのカルマも
自分のカルマも
目をそらしてたまるかと、思っています。




やまと
よださん

私のなかにもある、プライドカルマ。
今後、どのように炙り出され、どんな実態が現れるのか。果たして、それを直視していけるのか。

どこまで進んでいけるのだろう
どこまで向えるのだろう
いろんな思いが湧きます。

でも、先生は
人は何のために生まれてくるのか。という質問に
「カルマ清算するためです。」と仰られていました。

炙り出されようが、プライドに呑まれようが
カルマ清算をしていくことは、生きる事なのだと感じます。
でも、その果てしなさに、立ちすくむ感覚になる時。
この富士召喚の道を辿った、よださんの後ろ姿に背中を押されることは、間違いないと思います。

先生にご指導いただけること
こうしてコースで、みんなと学ばせていただけること
どれをとっても、唯一無二の貴重なことだと感じます。

よださんの姿からも

どこまでも進んでいくんだ。
どこまでも向っていくんだ。

そんな気持ちになります。







ゆみえ
まゆ

私の中で、今回の出来事を、身に刻みながら記事を書いていたであろう、まゆの姿が浮かんでいた。

こうして、詳細が明かされていることの意味を、自分なりに感じながら読みました。

与えて頂き、これまで成長してこれたことへの喜びを噛みしめるのと同時に、達成感だけに酔いしれているプライドの感性。図々しい自分自分の姿が浮かぶ。
それ以前に、与えて頂いたことすらなきものにしてしまう、愛のない自分の姿も。

そんな自分を、先生がご覧になって、どんなお気持ちになられるか。

与えて頂いたことに感謝し、誇りを持ち、還元する自分にシフトしていかなければと、強く思う。
向かうべき場所に向かうため、毎日の中で、自己愛と自立を積み上げていきます。

記事を読んで、また一つこの思いが固まっています。


美雪
よだちゃん

富士召喚での在り方を、嫌悪感を、自分に刻み込みながら書いたんだろうことを、私も記事を読んで想像していました。

与えてもらって当たり前。私にも蔓延っているし、この間も、他人事ではなく感じていました。そのあり方が先生をどんな気持ちにさせてしまうのか。どれほどプライドのないあり方なのか。

職場で、自分のしたこと、加害者であることを手放してしまうプライドを目の当たりにし続け、『嫌悪しろ』と宇宙から示されているのも感じていました。

簡単ではないし厳しい。けれど愛に向かいたい。道は切り拓いていくものという先生の言葉、噛みしめています。



木村 忍
依田さん、読まさせて頂きました。
ご開示、ありがとうございました。

「与えてもらって当たり前だというプライドの感性」は、愛のエネルギー交換が成り立っていなくて、感謝なく、一方的に愛を搾取し続けてしまう、ということになるのでしょうか・・・。

その後の逃避カルマについて、私は苦手なこと、責任を負うこと、などへの逃避が強いので、また、次回も読まさせて頂き、考え、感じて、自分自身を顧みさせて頂きます。



よしみ
まゆ

記事を読んで、改めて、それまでの経緯、そして、富士召喚であったことの重みを感じていた。

富士に登っていた時、頂上でのまゆを見た時、一人で下山することになった時に、先生が感じられていたもの。
その一つひとつを思った。

与えてもらって当たり前という、図々しいプライドカルマの感性は、私の中にも存在している。

自分は、決して被害者ではないっていうことを、私自身も、もっと深く理解していく必要があると思った。



けいこ
よだちゃん

まさに今私がご指摘を受けている、先生に向けた自分のプライドの実態と、重ねながら読みました。

望むものをただ与えて下さる先生に向けた、プライドカルマ。自分の実態の愚かさや醜さを、こうして開示することで、痛みとともに身に刻んでいこうとするよだちゃんの思いを感じます。

これまでもよだちゃんが、先生のご指導のもと、何度も自分の実態を晒し、向き合い、変容してきたということ。先生からお聞きしています。

プライドカルマが露呈するたびに、身が砕けるような思いをしながら、いかに自分の有り様を直視できるか。それが改めることに繋がると、先生からご指導をいただいています。

被害者である先生に、道を示していただくことの重みを手放さずに、自身のカルマと向きあっていくことだと、改めて感じています。



中山寛士
まだ、他の方のコメントは読んでいませんが、コメントさせて頂きます。

依田さん。
召喚で、何が試されたのか?
そして、それがどうだったのか?
持ち続けられたのなら、こうなったのでは、という先生の観点。
伝えてくれて、ありがたい気持ちと、
その内容の痛さ、準備から召喚後まで、依田さんに関わって来た、自分の在り方も含め、複雑な気持ちで読みました。

召喚では、付け焼き刃は通用しないことを改めて感じています。
召喚が迫ってきてからの準備ではなく、
今ここがすでに召喚へ向けた準備であり、
その日々の積み重ねなのだと。

自身の課題への取り組みを、日々、積み上げていきたいと、改めて感じています。

依田さんも、召喚で露呈したプライドの克服へ向け、
その変化へ向け、日々を積み上げて欲しいと心から思います。

全身全霊で、カルマ清算への道を示してくださる先生に報いるためにも。

そして、これからも真剣に依田さんと関わっていきたいです。




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