気付くことの重要性西崎です。御無沙汰しておりました

今回は私が1番変われたと胸を張って言えることの1つである、自己嫌悪を克服することが出来た経験について書かせて頂きたいと思います。
以前ブログで自己紹介させて頂いたときにも書きましたが、リラを訪れる前、私はうつを患い休職中という状態でした。うつと診断されたのは社会人として働き始めてからのことですが、振り返って考えてみると、中学生の頃からずっと、うつであったように思えます。
中学の頃から私を苦しませていたのは酷い自己卑下、自己嫌悪です。私には生きる価値がない、死んだ方がましだ、いや死ぬべきだ。その考えが頭から離れることがありませんでした。私は誰にも愛されない人間だと思っていました。
そんな私が大きく変わることができた。何故か?
それは、伊藤先生から教えて頂くことによって、「気付くこと」ができたからです。自身の在り方、意識がどのようなものであるか、何を意味するのか、それに気付くことができた。そして、気付きをその後の行動の起点にできたからだったのです。
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話はリラに初めて訪れてから半年経った、2006年6月の個人セッションの日のことになります。
半年の間、先生から御指導頂き、課題を何とかこなしていくうち、感情麻痺が少しずつ無くなっていくなど回復してきてはいましたが、自己嫌悪・劣等感は相変わらず存在していました。課題をこなしてくることやレポート内容を先生から高く評価頂いているにも関わらず、「休職中で時間があるからできているだけ」などと思い、評価を全く受け取ることができずにいました。
その個人セッションの日は、セッション前に復職のための産業医との面談がありました。心の準備は十分とは言えないものの、休職の期限が迫っていたので見切り発車的なものでした。
産業医は、一言で言ってしまえば「恐い人」でした。強面で、こちらが話すのにすぐに反応せず、見定めるようにこちらをじっと見つめる(私はにらんでいるように感じてしまいました)…というような感じの人でした。
私はかなりの緊張状態に陥ってしまいました

そんな私に産業医は「緊張するな、緊張を解け」と言いました。緊張していると周りに気を遣わせる、あなたに仕事を回せなくなる、チームとして仕事ができなくなる、とのことでした。
その時、私は納得ができませんでした。あのような場で緊張がすぐに解けるようならうつになんかならないと思いました。(今考えると、「あなたのような人が私を駄目にしたんだ」という被害者意識もあったのではないかと思います)
何とか「これから緊張しないことを学んで、まともに仕事ができるよう頑張りたい」と意志を見せることで復職の許可は降り、面談は終わりました。
その後、セッションまで少し時間が空いたので散歩をして時間を潰していましたが、面談のことを考えると、恐いやら、悔しいやら…自分が前から全く成長できてない、情けないという思いが浮かび、泣けてきてしょうがありませんでした

その時はこらえていましたが、リラを訪れ、先生にお会いし、事の顛末を説明する段になってはもう駄目でした。声を上げて泣いてしまいました。「迷惑が掛かると思って我慢していました」という(的外れな)私に対して先生は「ここは感情を表現する場、ここで泣かないでどうする」と優しく仰って下さいました。
ひとしきり泣いた後、成長していない自分が情けないということを言う私に対し先生は「半年前のあなたと比べてごらん。成長していないと思うか?」と問われたのです。実際の所半年前から明らかに成長していたと今は思えます。何故ならリラを訪れる前の自分ではあの産業医から復職許可を得られるはずもなかったと思うからです。
しかし当時は成長を自覚することができていませんでした。そんな私に対し先生は、人前で緊張することの裏に潜む意識、そして自己卑下・自己嫌悪が何に繋がるかを教えて下さったのです。
人前で緊張することの裏には攻撃性が存在する。「お前は私を緊張させる恐い存在だ」「お前は私に常に優しくしなければいけない、さもないと大変な事が起きるぞ」というメッセージを常に発している状態、例えるなら警戒して唸り声をあげている臆病な犬である。そんなあなたに人は良い感情を持つだろうか?
自己嫌悪の裏にも攻撃性が潜む。自己嫌悪するということは、あなたを愛する人を、評価する人を貶める行為である。「お前は私程度の人間しか愛せない」「お前はこんな私を評価してしまうほどのバカだ、お前の目は節穴だ」と言っているも同然だ。
私は大変な衝撃を受けました。自分のことを、すぐ緊張してしまう弱い人間とばかり思っていたし、自己嫌悪は自分1人で完結するもの、自分だけを苦しめる行為だとしか思っていなかったからです。それは間違いであって、私を褒めて下さり、評価して下さる伊藤先生を貶めていた…自分はとんでもなく傲慢で攻撃的だった。思い返してみると、大学時代の指導教官の評価も入社してからの上司の評価も受け止めようとしていなかった。それは彼らを落胆させ、傷つける行為だった。それ以外にも、いつも弱さを盾にする卑怯な意識があった。
自分のやっていることに気付いて、とても自分が恥ずかしくなりました。もうこんな在り方は嫌だと心底思いました。そして、私は先生に「自己嫌悪はもう止めます」と言ったのでした。
それから一月ほどで無事復職することができました(復職時のエピソードはまた後日お伝えしたいと思います)。職場の対応が良かったこともあり、大きなトラブルもなく仕事をこなしていくことが出来ました。実家を出て一人暮らしを始めたこともあり、その慌ただしさの中で自分に対する評価を意識することが少なかったような気がします。
ふと気がついたとき、自己嫌悪がとても少なくなっていました。「死んでしまいたい、自分は死ぬべきだ」という意識に関しては、綺麗さっぱり無くなっていたのです。これには非常に驚きました。
自己嫌悪が何を意味するかに気付いたことで、「もう自己嫌悪は止める」と決意することができた。そして、その決意を起点にして、その後日々の生活の中で、目の前の課題を着実にこなし、小さな成果を出していった。その結果、長年自分を苦しめてきた自己嫌悪を克服することができたのだと思います。
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この経験から、「気付くこと」はとても重要だと感じました。
自分が在りたい姿になるためには、成長するためには、苦しみを克服するためには、現在の自分を支配している意識を変えなければいけない。そして意識を変えるためには気付くことが必要であり、また重要であると私は考えます。自分は一体どういう意識でもって行動しているのか。その意識は何を意味するのか。一見するだけでは分からない裏の意識に気付くこと―
幸いにも、私は先生から御指導頂くことで気付きを得ることができました。自力で気付くためにはどうしたら良いか?と思う方がおられるかも知れません。まずは自分を観察し続け、「この自分の言動には何の意味があったのか、どんな意識・感情が働いていたか」などcheckし続けることではないかと思います。リラでは日々の生活の中での意識・感情を記録し続けることが宿題として出されます。それは自分の在り方に気付くため、意識的に生きられるようになるために必要であるからだと私は考えています。
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自己否定・自己嫌悪に苦しんでいる方へ
あなたを苦しめる「自分は駄目だ」「自分には生きる価値がない」という思い。
それは殆ど自動的に湧き上がってきて制御不能のように感じられるかと思います。
しかし、よく考えてみて下さい。
自分を苦しめて一体何の得があるというのでしょうか。しかも自己嫌悪は自分だけでなくあなたの周りの大切な人、愛する人の価値まで下げてしまう行為なのです。
馬鹿らしいと思いませんか?もう止めたいと思いませんか?もう悲劇のヒロインとして自分に浸るのは止めにしませんか?
自己嫌悪は、制御不能ではありません。止めることが出来ます。自分の価値は自分で決めることが出来ます。
「もう自分を嫌うのは止めにする」と決めることです。強く、強く、心の底から思うことです。あなたを苦しめる自己嫌悪はあなたの決意によって克服することができるのです。
どうか、あなた自身を、あなたの価値を諦めないで下さい。
西崎 誉
私は、人から誉められたいという欲求が強く、誉められたいから頑張る、ということをずっと続けてきました。
けれどいざ誉められると「そこまで出来てない」と受け取らず、誉められなかったら「なんで誉めないんだ」と勝手に怒っていました…
その意識がどんなに傲慢なものか、痛いほどにわかりました。
人からの評価ばかり気にしている自分はやめて、自分で自分の価値を認めてあげられる人間になりたいです。
西崎さん、大切な気付きをありがとうございました