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Author:伊藤美海 &愉快な仲間達
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先日のブログでお伝えしたように、先生より、「各自一人でキリストと繋がって、毎日やるべきこと、行くべき所を見つけなさい。」と言われ、私達は次の日から別行動をすることになりました。
そして翌日の10月11日、私はゲッセマネの園へ行くことにしました。

800px-Jerusalem_Dome_of_the_rock_BW_14[1]

ゲッセマネの園は、城壁に囲まれたエルサレム旧市街のすぐ外にあります。キリストは、しばしばここで祈ったといわれています。
聖書には、最後の晩餐の後も、キリストは血のような汗を流しながらゲッセマネの園で祈ったとあります。その時キリストは、3人の弟子達を連れて来たのですが、彼らはキリストから寝ないようにして待っていなさいと言われたにも関わらず、キリストが自らのその後の運命を知りながら祈っている間に、居眠りをしてしまったのでした。そしてその後、キリストはその側に在る洞窟で捕らえられたと言われています。
キリストはそのゲッセマネの園で、どのような想いで、どのような覚悟をもって祈っていたのか…今の私に理解出来るわけがない。しかし私はそれを理解できるような人間になりたい。キリストの中にある、絶対的な愛を知りたい。私のような愚かな人間が、キリストを十字架にかけたのだということを、ちゃんと理解したい。キリストに背負わせたものを、自分で背負える人間になりたい。キリストが本当に伝えたかったことを、後の世に伝えられる人間になりたい…。そのためには、居眠りをしていたという弟子達をこの目でしっかりと見なければいけない…。

そして私は、1時間近くかけてホテルからゲッセマネの園まで歩いて行くことにしました。エルサレムの強すぎる日差しの中、一人黙々と歩きながら、私という人間が先生や地球の未来を握っているのだという、前の日の晩に突きつけられた事について、ただ向き合う以外に何も出来なかったのでした。

ひとりの人間の意識が周囲へ多大な影響を及ぼすということについては、これまでも何度もリラで学んできました。しかし、このことに関しても私は、その本当の意味や重みを理解せず、ただ頭で分かったつもりになっていただけなのでした。
これまで先生に何度も指摘して頂いた、「自分が学んだことを周囲の人と分かち合えない」、「自分自身の責任の重さを自覚出来ていない」、そして「いつまでも生徒でいようとする甘い意識を克服出来ない」等の課題への取り組みに対して、自分の理解がいかに浅かったかということをエルサレムで突きつけられ、そのような自分自身の意識がどれほど先生や周囲へ多大な影響を及ぼしてきたのかと考えると、私はもはやいい訳を探すことすら出来ず、完全に逃げ道を塞がれたようでした。私は自分の愚かさを、認めざるを得ませんでした。

また、宇宙の法則を知り体現するためには、自分の中に一切のごまかしがあってはいけないということを、先生は常に自らの姿を通して教えて下さいますが、私は、宇宙の法則を知り、それを体現することを強く求めながらも、それを知れば知るほどごまかしがきかなくなるという事に対して、実はどこかで恐れ、抵抗していたことにも気付かされました。そして、自分の中のそのような分離した意識を目の当たりにし、更に打ちのめされたのでした。
そんな愚かな私に対して、「私の側へ寄りなさい。私を見なさい。私を知りなさい。」と語りかける、キリストの意識を強く感じました。しかし、こんな未熟な意識段階にいる私には、キリストに近付く資格などないと、私は自分を責めました。「ごめんなさい…!ごめんなさい…!」と、ただ心の中で何度も繰り返しながら泣くことが、私に出来る精一杯の事でした。

打ちのめされながらゲッセマネの園に辿り着いた私に、一人のおじさんが声をかけてきました。その付近には、キリストが祈りの後捕らえられたといわれる洞窟や、マリアの墓のある教会があったのですが、そのおじさんは、今日は洞窟が閉まっているという事等を教えてくれ、ゲッセマネの園に連れて行ってくれました。

446px-Gethsemane[1]

ゲッセマネの園には、キリストの時代からあるというオリーブの老木が8本ありました。
そのオリーブの老木を見つめていると、キリストの心中を察することも出来ず、言われた通りただ待っていればいい、という意識でいた弟子達の姿が、私の脳裏に鮮明に浮かび上がりました。その愚かな弟子達の姿は、やはり私以外の何者でもなかったのでした。
私は、とても大切な時に何度も先生やスクール生の前で眠りこけた経験があります。今回のエルサレム訪問でも、テルアビブの空港からエルサレムのホテルへ移動する車中でいきなり眠りこけてしまったのでした。本来なら、先生がそうしていたように、キリストやガイドたちからのコンタクトがないか、私達はここから何をすべきなのか、程よい緊張感が必要な場面でした。
また、すでにブログでお伝えしたように、3日目には1日中猛烈な眠気と闘っていたという有様でした。どちらも、上の存在達が私達に大きく働きかけ、先生が上の存在と密にコンタクトを取っておられた大切な時にです。私自身、キリストより召喚を受け、自身の使命を果たすためにエルサレムへ来たにもかかわらず、上の存在とコンタクトをとって然るべき時に眠ってしまったということは、疲れや睡眠不足という理由で片付けることは出来ません。ただただ自分の意識が足りていなかった、そして、自分の訪れた意味や重要性を全く理解出来ていなかったということです。そんな意識でいたために、上の存在達からの働きかけによる高波動なエネルギーに耐え切れず、眠ってしまったのでした。
そしてそんな私の在り方は、私自身だけでなく先生やリラで学ぶ人達、人類にどれほど大きな影響を及ぼしたかしれません。私はゲッセマネの園で、そんな自分の在り方を改めて省み、自分のしたことが引き起こす結果を考え、凍りつくような恐怖を覚えました。

そして、キリストの想いを感じようと瞑想していたら、私はこともあろうにここでもまた、一瞬だけでしたが気を失うように眠ってしまったのでした…。
その瞬間、恐ろしい形相で怒りを露にしながら、私を棒で殴るキリストのビジョンが見えたのでした。私は戦慄を覚え、激しく殴られるに身を任せながら、ただただ泣いて謝罪を繰り返すことしか出来ませんでした。
私は、キリストの燃えるような怒りを、はっきりとこの目にしたのでした。

先生は一般的に語られることの無い、“キリストの怒り”というものについて、前々より示唆されていました。現代に残るキリストの言葉というものは、全て弟子達が伝えたものや、教会にとって都合よく変えられてしまったものです。それらは、キリスト本人が残した、人間としての苦悩や葛藤、怒り、悲しみ等の感情を伴った言葉ではありません。キリストについて語られる事は、周囲の願望や思い込みによって少しずつ歪曲されたものなのです。ましてや、人間としてのキリストの怒り等のネガティブな感情については、ほとんど語られることはなく、先生はそれに関して、「実際のキリストは、もっと怒っていたはずだし、もっと苦悩していたはずだ」と、仰っていたのでした。

そして私はこの身を以って、先生の仰っていた、何も理解しようとしない弟子達や人間達へのキリストの怒りというものを垣間見たのでした。また同時に、キリストの深い悲しみと痛みというものも、ひしひしと感じたのでした。

それでもまだ私には、キリストの痛みや悲しみ、怒りを全くといっていいほど理解出来ていないのだろう…。そんな私を見て、今もキリストは更に痛み、悲しみ、怒っているのだろう…。それでも私は、キリストの痛みを理解できるようになりたい…。
そんな想いが私の内から溢れ出すなか、キリストに問われました。
「あなたは何のために愛と痛みを知りたいと言うのか。自己満足のためか。もしそうでないと言うのならば、あなたはなぜ他者と分かち合おうとしない。なぜ他者のために得ようとしない。なぜ他者のために体を張って努力しない。なぜ他者のために地に這いつくばって、苦しみに耐えようとしない。」
この問いに、私はただただ押し黙るしかありませんでした。どれも、キリストや先生がしている事であり、先生に何度ご指摘頂いても私には出来ない事ばかりだったからです。なぜ私は、自分の得たものを皆と分かち合うということが出来ないのだろうか…と未熟な自分の在り方を思うと、死にたくなるほどでした…。

ゲッセマネの園で、愚かな弟子達と自分を重ね、人間としてのキリストの怒りを目の当たりにした私は、呆然としながらホテルへと帰りました。罪深い私の肉体はとても重く感じられ、私は足をひきずりながら、薄暗いエルサレムの街を彷徨うように歩きました。私は、まるで自分自身が創り出した地獄を歩いているようでした。

先生は、今何処におられるだろうか…。
先生は、キリストと同じように私達に命を預けているのだ…。私も先生に、命を預けるべきなのではないだろうか…。先生の命を預かっている、ということを自覚するということは、自分の命も先生に預け、一生懸命自分のやるべき事をやるしかないのではないか。それはつまり、どういうことを意味するのだろうか。誠実にオープンに、先生や自分、周囲の人達のために生きるということだろうか。だとすると、その為にすべき具体的な事は、先生がこれまでずっと、私に教えて下さってきた事ではないのか…。やはり私は、先生にこれまで教えて頂いていたことを、何も理解していなかったということなのか…。
そのようなことを考えながら、これまでに感じたことの無いとてつもなく重いプレッシャーを抱え、ただひたすら歩きました。

ホテルに着いてからも、その事について考え続けました。
そのうちに、ふと、人と人との結びつきというものは、本来そのように互いの命を預かり合うものなのかもしれない…、人は皆、自覚をしていないだけで、そこまでの大きな責任を互いに負うべきなのかもしれない…、本当の絆というものは、そのようにして生まれるものなのかもしれない…、それをキリストも先生も私達に教えようとしているのではないだろうか…そういう想いが私の中に、はっきりと浮かび上がってきたのでした。これまで、入り込んだこともないような深い暗闇を彷徨う私にとって、それはまるで、見たこともないような眩い光の片鱗を闇の中で垣間見たような、奇跡のような瞬間だったのでした。

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この日の晩、先生は、キリストとのイニシエーションについてお話されました。
「高野山へ召喚を受けた時のように、エルサレムでもイニシエーションが起こると思っていたけど、まだその前兆すらない。このエルサレム訪問で私のキリストとのイニシエーションが起こるかどうかは、もしかすると、あなた達がここで何を思って、どう行動するかによるのかもしれない。今回私は、何年もかけて全身全霊で教えたあなたたちを、私の生徒の代表としてキリストのもとに連れてきたのだから。あなたたちの段階は、そのまま教師である私の段階を表すってことだからね…。」
イニシエーションは、先生や人類全体、そして宇宙全体にとっても、とても重要な意味を持つ深遠で霊的な通過儀礼です。先生のこのお話を聞いた瞬間、私は全身に鳥肌が立ち、凍り付いてしまいました。
こうして私は、エルサレムに入って以来、何度ともなく、今の自分の意識や行動が、目の前の先生にこれほどまでに影響を及ぼすのだということを、ありありと見せ付けられるのでした。そして、互いが多大な影響を及ぼしあっていることを熟知した上で、それを受容されている先生の在り方が、まさに命を預けるということなのだ…と、ここでも思い知ったのでした。

ほんの少し前に、闇の中で眩い光の片鱗を見て、何か大きなものを掴んだような気になっていた私は、再び地獄の底へと叩き落されたのでした。


市川みどり

コメント

イエスの想い、先生の想いを本当に理解できるのだろうか?私は・・・。いつか本当に理解できる日がくるのだろうか。人間としての愚かさが、弱さが自分の中にある。何度も何度も同じ過ちを繰り返して。そんな自分が本当に理解できるようになるのだろうか?
自分の愚かさを受け入れ、求め続けていかなければと思った。

先生がいつも教えて下さる「ごまかしのきかなさ」がどれほど大事なことか、みどりちゃんの文を読んでずしりと伝わってきました。また先生のもとで勉強している私たちも、いったい何のため、誰のために勉強しているんだろう、本当に人のために勉強していると自分は言えるのだろうか、と厳しく問われているような気がします。

みどりさん、ありがとうございます。

自らの至らなさを必死で受け止めようとし、先生の想い、キリストの想いに応えようと、全身全霊で考え続け、行動を続けられるみどりさんの姿に胸を打たれます。真摯であるとはこういう事なのだと思いました。

キリストの問いは私にも突きつけられているものだと感じます。何のために成長するのか?自己満足のためなのか…私の意識は、「成長するため」というのをお題目に、結局自分にしか向いていなかったのだと気付きました。「本当に人のために生きたいのか?」と自問自答してしまうような甘い意識があるのを感じます。

けれども、自分のことしか考えず、先生が自らの命を私たちに預けて下さっていることを無視して生きることはできない。逃げたくない、逃げない。その意思を忘れずに生きていきます。

みどりさんシェアありがとうございます。

みどりさんがエルサレムでこんなに苦悩し、考え絶望しそれらと必死に向き合い頑張っていた…

今の私には遠く及ばないけどみどりさんを理解したい!!と思いました。その先に先生をキリストを理解できる心が持てるのかもしれないと…
何度も読み返しみどりさんの心を知っていこうと強く思います。

「キリストに背負わせたものを自分で背負える人間になりたい」みどりさんの言葉が胸に響きました。
私は、この1ヵ月甘えや言い訳ばかりで逃げ道を探している自分がいました。自分自身の課題と向き合わず、何度も同じ状況が目の前に現れ、逃げている自分を見れば見るほど、嫌になり落ち込んでいました。今目をそらしてはいけないと現実を噛みしめ、踏ん張っています。
自分の低い意識が周囲に与える影響を考えると、少しでも前に進みたい!
そして、いつか私もキリストの意識を少しでも感じられるようになりたい。
先生が与えて下さる愛を受け止め成長して行きたいと思います。

みどりちゃん、苦悩も全てさらけ出して私たちにシェアをして下さり、ありがとうございます。

命を預け、命を預かる人の繋がり・・・そのことが、ずっしりときました。人はそれほどまでに影響し合っているのか・・・。私たちに命を預けて下さっている先生・・・。今の私に何ができるのか、何をすべきか、何をしたいのか・・・。自分をごまかさず、自分の愚かさ醜さを受け入れること、ありのままの自分を受け入れ繋がること・・・。

自分も人も本当の意味で受け入れ愛することができるようになりたい。
そしていつか・・・、キリストや先生の想いを本当に理解できるようになりたいです。

宇宙の法則を知り、体現する事を強く求めながら、知る事によってごまかしがきかなくなる事に対する強い恐れや抵抗し分離している自分を私の中にも大きく存在していると感じました。
何故、私は自分をごまかしていたいのか。ごまかしたままのほうが面倒なことに巻き込まれなくて済むとでも思っているのだろうか。それとも慣れ親しんだ行動を変える事に対する未知に対する恐れなのだろうか。面倒な事、と今まで感じていたものが私にとってどれほどかけがえのないものであったか、と今になって思う。自分の心や相手の心を感じる事、人と繋がり合う事、わかり合う事、本音を伝える事、愛を伝える事、愛し合う事。
慣れ親しんだ行動が、自分や世界人類にどれほど悪影響を与えてきたかをしっかり自覚して日々を大切にしおろそかにせずに生きようと思います。
みどりさん、シェア、ありがとうございます。風邪が流行っていますので、気をつけて下さいね。


みどりさん、今回もありのままのシェアをありがとうございました。
わからなくても必死でわかろう、少しでも近づこうとするみどりさんの真摯な姿を知り、私はどれ程わかろうとして、どれだけ本気なのだろうか?とハッとしました。
みどりさんの、先生の、キリストの苦難も、私のものでもあり共に背負っていくという事、繋がっているという意識を忘れずにいたいです。

自分の意識ひとつが、隣にいる人に多大に影響を及ぼす…。先生が前回スクールで教えてくださった、「連帯責任」という言葉を思い出しました。
その言葉を理解したつもりでいたのですが、やはりまだ「責任」という言葉に逃げ腰な自分がいるのを感じます。
けれどみどりさんが、こうして身をもって教えてくださることで、少しずつ自分の中に浸透していく感じがします。みどりさんの必死の思いが痛いほど伝わってきて、分かりたい、考えたい、と私も強く思います。

 愚かな自分を受け容れずに心の中で言い訳や抵抗を繰り返す。同じカルマパターンが出てきているのに、まだそこをしっかりと見ようとしない。そんな自分の分離した意識の在り方が、どれほど周囲に対して影響を及ぼしていたのだろうか。頭で理解をしていたつもりの私は、正に眠りこけてしまった弟子そのものだと思いました。大事なものをなくさないために、しっかりと見つめて行こうと思います。

みどりちゃん、たくさんのシェアをありがとうございます。一節、一節すべての部分で心に響いてくる内容で…これからも何度も何度も読み返すと思います。

”宇宙の法則を知り体現するためには、自分の中に一切のごまかしがあってはいけない”先生が教えてくださっていることですが、自分は先生を、みどりちゃんをごまかしていないだろうか?自分自身をごまかしていないだろうか?
そして自分はどれだけの覚悟を持っているのだろうか?今、自分が持っている覚悟は薄っぺらじゃないのだろうか?日々、自問しながら戒めながら取り組んでいこうと思いました。

「人と人との結びつきは命を預けあうもの」
この言葉が胸に響きます。
目の前の人に命を預けられるか、そして人に命を預けてもらえる自分であるのか。
それを思うと、1つ1つの物事に無意識でいることが、いかに無責任であるかということに気付きます。

真意を理解しようともせずに、大事なものを失ってからしか気付くことが出来なかった。という結果にならないように、日々意識的に生きていくことを心がけます。

みどりちゃん、シェアをありがとうございます。
キリストの怒り、葛藤、苦悩、悲しみ…
何も理解しようとしない弟子たちと自分を重ねて読ませて頂きました。
私たちの意識と行動が先生の命を左右するということを、どこまで理解できているのだろう、きっとまだ分かったつもりになっているのではないか、とも思います。
それでもいつか先生とキリストの思いを理解できるようになりたい、人を支えられる人間になりたい、と強く思いました。そのために今何をすべきか、常に自分に問いかけていきます。

自分の中に重く響く内容でした。
宇宙の法則を知り、それを体現することを強く求めながらも、それを知れば知るほどごまかしがきかなくなるという事に対して、実はどこかで恐れ、抵抗する。
自分も全くそうだと気づきました。
いったい何のためにここにいるのだろう。
何をごまかしたいのだろう。
もっともっと掘り下げなければと強く思います。

みどりさんのブログを読む度に、みどりさんの魂の慟哭が響いてくるような貴重な体験のシェアを通して、自分の在り方を省みつつ頭で解っているつもりになっている部分がほとんどだと思いますが、それでも意識が深い所で共鳴を起こし、薄皮を剥ぐ様にほんの少しずつ目覚めさせられて行くような感じがします。
命の重み、意識の連鎖を胆に銘じます。

みどりさんのブログを読み、わたしひとりの意識・在り方がまわりにどれだけ影響を及ぼすのか。考えているつもりでもまだまだ浅いという事を痛感しました。いつまでも自分から逃げようとする、その意識が全体の穴になってしまう。そのことにもっと危機感を持っていかなければと思いました。
また、みどりさんがキリストから問われた『何のために愛と痛みを知りたいのか。自己満足のためか』という言葉が胸に刺さりました。わたしは本当に相手の為に行動出来ているのだろうか。つもりになっているだけでないのか。自分自身に問いかけていきたいと思います。

みどりさんのブログを読んで、自分は全く意識が足りないなと思いました。みどりさんが自分の課題から意識を反らさず懸命に向き合っていらっしゃるのに、私は自分の醜さから逃げようとしてばかりです。みどりさんの謙虚で真摯な在り方を私も見習いたいです。

自分の中のごまかしを私は受け入れられずにいたことに気づかされました。それは保身であり、恐れを抱いていたことだとわかりました。先生が身をもって私たちに大切なことをひとつひとつ教えてくださっているのに私は、全く理解できていなかったと気づきました。私は浅はかな人間です。責任ということから、逃げてきました。

こんな自分にみどりちゃんのように自分から決して逃げないあり方を深く理解できるのだろうかと感じてます。でもみどりちゃんの背中はまだ遠くとも理解して、サポートできる人間になりたいと思います。それには自分をごまかさない、自分から逃げない、自分の闇を受け入れて認めることからしかできないと自覚しています。

『人と人との結びつきというものは、互いの命を預かり合うものなのかもしれない』。そこに生じる責任・・・責任から逃れてきた私とって、この言葉がハートにずっしりと感じられました。
先生が自らの命を削り、ご自身の使命と責任において、私たちに教えてくださってるあり方、そのものだと思いました。みどりちゃんから学ばせていただくことがいかに多いことかとこのブログの有難さをあらためて感じています。

これから自分のあり方ひとつひとつが多くの人に、地球に影響するということを意識しながら、自分の心に後ろめたくないよう一日一日を過ごしていきたいと思います。


至らない私ですが、よろしくお願いいたします。

私は、ごまかしや取り繕いはしたくないと思ってきました。
でも、自分の在り方がそのごまかしや取り繕いをどこまで理解できているのか、突き刺さります。
どこまでも勘違いで、自己完結しようとしてしまっていました。
未熟ながらも今何をやるべきか、何が大切なことなのか・・・
しっかりとハートで感じ見つめて行きたいと思います。
みどりちゃん、シェアをありがとうございます。

私は、結局、頭で理解したつもりになってなんにもわかっていなかった、ということが炙り出され、ほんとうに愚かだと自分の意識の低さに改めて気付かされました。
エルサレムでのみどりさんの苦しみや覚悟を、ブログを繰り返し読んでもっと理解したいと思います。
そして、とにかく自分の取り組みに真摯に、まずは自分が自分に背を向けず、そして他人にも背を向けることなく、誠実であるということを学んでいきたいです。

「キリストの怒り」というものを私は理解していませんでした。人間である以上あって当たり前の感情、そして私はちゃんと怒りを、ありのままの感情を表現できるようになりたいとリラで取り組みをしているのにもかかわらず、そのことに気付けないでいました。キリストの立場になって考えることができていなかったことに気付かされました。
「あなたは何のために愛と痛みを知りたいと言うのか。自己満足のためか。」「本当の絆」という言葉に考えさせられました。今の私はまだまだ自己満足の為にしか行動できていないのではないか?そんなことでは、本当の絆を築くことは到底できない・・
そして私の中にも恐れがあることを強く感じています。本当に私は頭でしか理解していない。それでもやるしかないのだと思いました。

みどりさん、いつもシェアをありがとうございます。

一人の人間の意識が周りに大きな影響を与えるという事、そして、宇宙の法則を知るためには一切の誤魔化しがあってはいけないという事、そこから私は緊張感を忘れてはいけないと思いました。緩んだ意識ではいけない。自分の意識の持ち方によって起こりうる事態の怖さを知らないといけないと思いました。それを、まだ私は知ろうとしていない、自分の世界だけ見ている、自己満足でいます。そこから抜け出すために頑張りたい、そう思います。

私は、ごまかしや取り繕いで身を固めて生きてきたということ、それを認めることもできなかったということ、それを認めることからも逃げていたということに気付きました。
あらゆることに対して理解せようとせず、すぐ逃げるということを繰り返していました。逃げているということさえ認められなかった。
私も愚かな弟子たちと自分の姿が重なります。
貴重なシェアをありがとうございました。逃げることなく、考え続けたいと思います。

頭で学んでいる気になっていました。本当の意味で、学べていない 本当の意味を理解していない、 まだわかっていないんだとおもいます・・。

少しでも理解できるようになりたいです。

自分の愚かさと情けなさを痛感しながら読ませて頂きました。自分の劣等感と自己卑下と無責任さからどれだけ大きな穴をあけてしまったのか。本当に愚かでした。
みどりさんの苦しみは私にも同じ事を問い掛けてきます。
私もキリストの苦しみをわかりたい。その為には今自分が出来る事を、自分の課題をこなしつつエルサレムと高野山に意識を繋げていかなくてはと思います。
恐れを言い訳に逃げるのは辞めます。
頑張ります。

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