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Author:伊藤美海 &愉快な仲間達
リラの成長記録誌へようこそ!!


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エルサレム旧市街内のキリストが十字架にかけられたゴルゴダの丘には、現在「聖墳墓教会」が建っており、その中にはキリストの墓があります。キリストがピラト官邸で死刑判決を受けてから、ゴルゴダの丘まで重い十字架を背負い歩いた道は、ヴィア・ドロローサと呼ばれていて、約1kmのその道には、キリストがその足跡を印した14箇所のステーションがあります。ヴィア・ドロローサとは、「悲しみの道」という意味だそうです。死刑判決を受けた所…鞭を打たれ十字架を背負わされた所…十字架の重みに耐えかねつまずいた所…マリアが十字架を背負うキリストを見ていた所…エルサレムの娘達に「私のために泣くな、自分や自分の子供達のために泣くがよい」と言った所…刑のために服を脱がされた所…十字架に手足を釘付けにされた所…十字架に磔となり絶命した所…マリアがキリストの亡骸を受け取った所…墓におさめられた所…がステーションとして道々に印されているのです。まさにキリストが辿った、苦難の道なのです。

ヴィア・ドロローサは、古い石造りの建造物に挟まれたとても狭い道でした。両脇には商店がずらっと立ち並び、観光客や巡礼者、街の人々が行き交いとても賑やかでした。
自分のこれまでの愚かな在り方を振り返り、キリストの想いを感じようとしながら、胸が潰れるような気持ちでその道を辿りました。しかし、両脇に並ぶ沢山の商店の主人達が道々に椅子を出して座り、そんな私を物色するような目でじろじろと見ていました。
途中、道に迷った私に現地の男性が声をかけてきて、案内してくれました。その人は私の目をじっと見つめ「あなたは頭で考えすぎだ。目を見ればわかる。感じなさい。」と、言ったのでした。私はその言葉に、はっとしました。確かに私はその時だけでなく、これまでずっと思考を優先させていたのでした。それで、ぐるぐると考えるだけで行動に移せない、ということが多々ありました。それは、傷ついている人が目の前にいるのに、相手の気持ちを考えて、その人のためにすぐに行動に移せない、やるべき大切な事が目前にあるのに、すぐに実行に移せずに宇宙のリズムから外れてしまう、という私の重大な課題に繋がっていました。
私はリラでも、自分のやるべき事をやるべき時に実行することが出来ず、リラ全体のリズムを狂わせてしまう事が何度もあるのでした。今回のエルサレム訪問について、事前に皆と分かち合うことが出来ていなかったこともそのひとつです。
私には、その人の言葉がキリストからのメッセージのように思えました。

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その後私は、キリストが磔となったゴルゴダの丘の上に建つ聖墳墓教会へ辿り着き、緊張感と共にその中へと入りました。しかし、まず人の多さに驚き、教会内部の豪勢な装飾に戸惑いました。教会内のどこへ行っても、様々なエネルギーが混ざり合って混沌としていました。
大きなドームとなっている部分に置かれた、豪華で大きな建造物の中に、キリストの墓は安置されていました。そこでは観光客らしき団体が、建造物の中にあるキリストの墓の傍まで行くために並んでいました。
私は、キリストの墓の傍まで行きたいと思い、その人々の行列に加わりました。並んでいる間、順番を抜かされないようにする人や、必死に周囲の写真を撮る人などがいました。私はそういった人達を見て、無性に虚しくなりました。
なんのために我先にと中に入るのだろう。そんなに熱心に写真をとってどうするのだろう。私にはその人達が、キリストの想いを何もわかろうとしないただの観光客に見えました。しかし私自身も実際に、キリストの想いを何もわかろうとしないで、このエルサレムへと足を踏み入れてしまった観光客の一人だったのでした。
ようやくキリストの墓が安置された狭い部屋に通されましたが、そこにいられる時間は数十秒ほどでした。墓の前に立つととても強いエネルギーを感じましたが、それが何なのかをわかろうとする暇も与えられず、私はそこを追い出されました。

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先生は、その数日前にすでにヴィア・ドロローサを歩かれ聖墳墓教会へ行かれていましたので、そこでの様子を私達に語って下さっていたのでした。
キリストが、想像を絶する苦しみを味わいながら、重い十字架を背負って歩いたあの道で、土産を売るたくさんの人々…そこで少しでも儲けようと客を騙す人…ナンパする人々…。365日をかけて聖典を読み終えたことを祝うため、2000年前のキリストが人類のために磔刑になった事などなかったとでも言うように、またキリストの壮絶な運命など自分達には関係ないという様子で、悲しみの道を歌いながら大騒ぎして行進するユダヤ教の人々…。教会内を見物しながら練り歩く観光客やキリスト教の信者達…。聖地と言われながら、様々な人々の思惑で踏みにじられる聖域…。一体、キリストの苦悩や想い、キリストがその命を犠牲にしてまで伝えたかった事を、本当に理解している人々や、理解しようとしている人々は一体ここにどのくらいいるのだろうか…そういう気持ちになったと、先生は教えて下さったのでした。

今の私には、キリストと先生の痛みや想いを全部理解することは出来ません。だから先生がそのように仰っていた意味も、全部理解することは私には出来ないのだと思います。しかし実際に聖墳墓教会に行き、先生の仰っていた意味がなんとなくですが分かったような気がしたのでした。そして、キリストから召喚されたにもかかわらず、軽々しく観光客の気分でエルサレムに足を踏み入れた自分が、どれだけキリストを侮辱していたのかということを、ここでも思い知ったのでした。私はそんな自分が情けなくて恥ずかしくて、自分が人として生きていることに耐えられなくなり、思わず人をかきわけ走り出し、教会から出たのでした。

教会から出た途端、私の目にはエルサレムの抜けるような青空が映りました。
その瞬間、「飾られた教会の中に、あなたの学ぶべきものはない。あなたは教会の外へ出なさい。」と、キリストに言われたのでした。
そして、先生がいつも仰っている「人は人と関わることでしか、成長出来ない。」という言葉や、「後に来る人達に、自分の在り方を示しなさい。霊的探求の道において少しだけ先を行く者として、周囲の人々に教えながら、一緒に学び、成長しなさい。」という言葉が、私のなかではっきりと聞こえたのでした。

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その後、放心状態で歩く私に、何人かの商店の店主が声をかけてきました。その内の一人は、私を呼びとめネックレスをあげよう、安く売ってやろうと話しかけてきました。そして私に聞き取れない早口の英語で何か喋ると、私の服の襟元を指で軽くひっかけ、一瞬私の胸元をのぞいたのでした。私はわけがわからず混乱し、放心した後、怒ってその場を立ち去りました。
そして私はそのまま、その店主に対しての発散しきれなかった怒りを抱えながら、ホテルへ向かう旧市街の道を足早に歩きました。私のなかでその怒りはどんどん膨らみ、その対象を変えていきました。その店主に対して、数え切れないほど立ち並ぶ商店に対して、多くの観光客に対して、キリストが何のためにその命を犠牲にしたのか深く理解しようとしない人々に対して…自分が自分を愛していないだけなのに人から愛をもらえないと、ただ不満ばかり抱く人々に対して、そして自分が人を傷つけ貶めていることに気付きもしない人々に対して…変わらなければならないと、どこかで気付きながらも変わろうとしない人々に対して…。

そのような怒りと混乱をかかえてホテルへと戻り、先生にこの話をした時、「あなたがこれまで、今回のこのエルサレム訪問やキリスト、そしてゴルゴダの丘へと続く道を軽視して来たから、あなたもその店主に軽視されたのだ。」と言われました。そしてその先生の言葉で、ヴィア・ドロローサや聖墳墓教会で感じた人々への不信感や疑念、帰り道に感じた怒りは、結局全て自分に対して向けたものだったのだと気付き、またもや自分の愚かな姿を思い知らされたのでした。

私は、エルサレムで自分が行くべき所へ行けたのだろうか、やるべき事をやったのだろうか、見るべき事を見たのだろうか…わからない…でもとにかく私はこの経験を伝えなければならない…そして再びここへ来るまでに成長しよう…もっとキリストや先生の想いを理解出来るようになりたい…
そんな想いで、エルサレムでの事を振り返りながら空港へと向かいました。

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イスラエルの空港ではガイドブックに書いてあった通り、出国手続きの際に厳しいチェックが行われました。スーツケースや手荷物も中身をチェックされるのですが、先生と木村さんは比較的簡単に行われました。木村さんにいたっては、スーツケースを開けられることもありませんでした。しかし私だけは、別の場所に連れて行かれて、小一時間近く特別に厳重なチェックを受けることとなったのでした。6〜7人の係官によってスーツケースも手荷物も、小さなポーチの中身まで全部チェックされました。また、ボディチェックをするために、別室に連れて行かれもしました。私はあまりの不安に、泣けてきました。
私は、自分の持ち物をあれほど入念に調べられたことは初めてで、それはとても屈辱的なものでした。そして、私は徐々に心細くなり、様々な妄想が頭の中を駆け巡りました。しばらく日本には帰れないかもしれないな…こちらの牢屋でブログを書かせてもらえるだろうか…そんな事をぼんやり考えながら、荷物検査の様子を見ていました。
結局、飛行機でブログを書くために手荷物に入れていたノートパソコンとコードが、特別な箱に入れられて、別送品として日本まで送られることになりました。先生も木村さんも、それぞれ1個ずつノートパソコンを手荷物に入れていたにも関わらずです。
こんな検査を終えた私は、一人の係官に案内されて出国手続きを終えました。

その後、先生からはこの件に関して、「あなたは宇宙から、あの様に全てチェックされている。今後、宇宙の意思を受けて、宇宙と共に働くことが出来る人材かどうかという点において、あなたは今ギリギリの所にいる。そのため、あなたの在り方が果たして宇宙と共に働く者として相応しいかどうか、今後は意識の細部に至るまで、常に宇宙からチェックされると思いなさい。今回の検査はその表れだ。」と言われたのでした。その言葉を聞き、体中の細胞から冷や汗が出るような心地でした。私は、一切のごまかしが効かない領域へと自ら望んで足を踏み入れたのだ、と自覚せざるをえませんでした。

そして飛行機に乗り、ご自分のパスポートを見ていた先生が重大な事に気付きました。なんと、本来あるはずのイスラエル入国のスタンプが、押されていなかったのでした。
イスラエルの出入国スタンプがパスポートに押されていると、アラブ諸国などで入国できない国があるということから、イスラエルでは出入国の際、空港でスタンプを押すか否かを確認されました。普通は、何も確認されることなくスタンプを押されることが多いそうですが、私達はスタンプを押すかどうか聞かれたのでした。入国時、「他の国に入れない場合があるが押しても大丈夫か?」と聞かれた先生は、「構いません。」と答えておられたので、私も先生の隣で同意してうなずきました。しかしその時、木村さんが私達3人のグループの先頭を切って入国し、自らスタンプを断っていたために、同じグループだからということで、本来押されるべき先生と私の入国スタンプが押されていなかったのでした。
先生は、出国時には同じ質問に対して、「構いません」と同じ返答をしたことで、出国のスタンプを押されたそうでしたが、私は一人遅れて出国手続きをする際、厳重なチェックを受けたことで頭が一杯で、スタンプの事はすっかり忘れており、係官からは何の確認もないまま出国スタンプが押されなかったのでした。
結局、今も私のパスポートには、イスラエル入国時のスタンプも出国時のスタンプも押されていません。つまり私のパスポートには、イスラエルへ入国した形跡も出国した形跡も残されていないということです。
キリストに召喚され入国したイスラエルのスタンプがないということは、エルサレムで私は本来すべきことを成し遂げられなかった、という結果をそのまま表しているのでした。
それを理解した時、頭が真っ白になりましたが、「自分の未熟さを考えると当然の結果なのだ…自分の愚かさを受け入れ、更に学び、成長していくしかない…」と、静かに受け止めるしかありませんでした…。

先生は、キリストから召喚を受けた時、キリストが磔となった十字架の根元に、四国八十八箇所巡礼でお遍路が用いる金剛杖が突き刺さっているヴィジョンを見られました。そして先生は今回のエルサレム訪問で、そのヴィジョンが示した宇宙の意図通りに、真言密教とキリスト教の統合を果たされ、キリストの意思を受け取ってこられたのでした。先生は、今後も様々な存在から、様々な国に召喚されることになります。先生は、あらゆる宗教を通じて人類を意識統合に導くという、人類の進化に多大な影響を及ぼす使命を担っておられるのです。すでに来年の6月にはシヴァに召喚されインドへ、来年の秋にはラーに召喚されエジプトへ行かれる予定なのです。その第一歩が、キリストの召喚による今回のエルサレム訪問でした。
先生のパスポートは、このエルサレム訪問の直前に期限が切れて更新されたばかりでした。その新しいパスポートに押される最初のスタンプが、まずイスラエルのものであるということは、先生がこのアセンションに向けて人類の意識に多大な影響を及ぼす、大変重要な使命が開始されたという象徴なのでした。
そして、今回エルサレムでは、先生だけがご自分のされるべき事を十分に果たされたという証が、出国スタンプとして表れているのです。

前述のように木村さんは、キリストに召喚されて訪問したイスラエルの出入国スタンプを、自分から拒否しました。「これは、木村が入国時以前からすでにキリストからの召喚を軽視し、自らキリストとの契約を断ち切ったということを象徴している。更に木村のその意識のために、私と市川の入国スタンプにまで重大な影響を及ぼしたのだ。」と、先生は仰ったのでした。また、「帰りの出国時の検査で、木村がスーツケースを開けられさえしなかったということは、宇宙からのノーチェックを意味している。しかしこれは宇宙が木村を見限ったということではなく、木村が自分から望んだはずのキリストとの契約を自ら破棄するという形で、宇宙から差し伸べられた手を振り払ったからだ…。」ということも仰いました。
このように、私達の宇宙に対する在り方は、そのまま現実レベルにおいて目に見える形となって表れるのです。
また、このような時、私達は普段口にしている意志や、宇宙に対する在り方の真偽を問われることになります。
宇宙より差し出されたものを拒否し、自分の責任を放棄するということは、現在与えられているものの価値も分かっていなければ、自分がどれほど大きな役割を担っているかという事への自覚もないという事でもあります。
そのため、この度木村さんは、リラの準認定ヒーラーというポジションを失う事になったのでした。

先生は「求めよ、さらば与えられん」という言葉は、正に宇宙の真理の根源を表している、と常々言われます。そして先生ご自身、「求めよ、さらば与えられん」という宇宙の法則を体現なさって、私達が向かいたい方向へ向かえるように、そして私達が望んだものを得られるように、出来る限りのサポートをし、最善の形で私達が望んだものを与えて下さいます。私も実際に、これまで望んだものは全て、先生の下で具現化されてきました。
しかし、自分への不信感や被害者意識、プライド等のカルマパターンにのまれて、自分が望んだのだということも忘れ、与えられているものを自分から振り払ってしまう人達が中にはいるのです。そのようなスクール生達が、先生から与えられたものを受け取らずリラから去って行ったのを、私はこれまでに何度も見てきました。

エルサレムで私と木村さんは、宇宙からいくつものテストをされたのですが、この宇宙からのテストは私達二人だけでなく、日本にいたスクール生達にも同様になされたのでした。そしてスクール生達も、そのテストにおいて見事にカルマパターンが炙り出されたのでした。
その中で、これまでに何度かリラのブログを書いていた小池さんは、木村さん同様、自ら望んだにも関わらず、先生から与えられたものを振り払い、この間先生との契約を自ら絶ったのでした。
それでも先生は、決して自ら私たちを切り捨てることはしません。木村さんも、小池さんも、現在もまだリラに籍を置いています。ですが、霊的な契約は一度破棄されると、再契約がなされるためにはとてつもない努力が必要となります。
自分が求めれば、宇宙はいくらでも与えてくれるのです。しかし、自分がはじめに望んだものなのだということを忘れてしまっては、与えられたものを受け取ることは、絶対に不可能なのです。人はそうして、自分や宇宙を裏切るのです。

先生がキリストよりエルサレムへの召喚を受けられた時、それは「パッション」という映画と共にやってきたのでした。「パッション」は、人間として生きたキリストの想像を絶する苛酷な人生の、最後の12時間を克明に描いた映画です。
そして、この「パッション」は、かつてスクール中級の卒業論文のテーマとなるはずだったのですが、当時の中級生が「パッション」を観ても何も理解出来ないであろうという意識段階にあったために、卒業論文はなくなり、映画を観ることは許されなかったのでした。
私が事前に、キリストやエルサレムについてシェア出来ていなかったために意識が低かったスクール生達や、宇宙からのテストにおいて課題が炙り出されたスクール生達のエネルギーを、エルサレムから察知された先生は、エルサレム訪問6日目に「全員パッションを観るように。」と全スクール生へ指示を出されたのでした。
そのため、日本にいたスクール生は、「パッション」でキリストの想像を絶する苛酷な運命を受け入れる姿を観て、それぞれが自分の愚かさを思い知ったのでした。

私は普段から多くの失敗をし、その度に先生にご迷惑をおかけし、先生の気持ちを踏みにじってしまいます。そんな時も先生は、私の愚かさを受け入れて下さったうえで、私を指導して下さいます。私はその度に、「私が未熟なばかりに、またしても先生のお気持ちを踏みにじってしまった。先生はどんな想いをされただろうか。」と、先生の受けているであろう痛みを想い、「もう二度とこんな事は繰り返したくない。」と、強く思う事で様々な課題を克服してきました。

出来ることならば、先生のお気持ちを踏みにじるような真似は決して繰り返したくはありません。
しかし私は、自分の愚かさゆえに、何度も先生にご迷惑をかけ、先生の想いを踏みにじってしまう事でしか、自分の愚かな在り方に気付けないのです。そして、先生が私のために痛みを受けられ、その先生の痛みを理解しようとすることで、私は自分が何をしてしまったのか自覚し、成長することが出来たのです。

そのように、先生が私達にして下さっている事が、キリストが弟子達や民衆にしていた事と全く同じなのだということ、そして、キリストと先生のその姿に本当の意味での愛があるのだということ、「自分や他人の痛みを理解しなければ、本当の愛を得ることは出来ないのだ」という先生のお言葉の意味を、エルサレムの地獄を彷徨うなかで、私は身を以って理解したのでした。その時の衝撃は、まるで私の魂に深く刻み込まれたかのようでした。

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エルサレム訪問2日目、観光客気分でエルサレムへと足を踏み入れた愚かな私に、先生は「あなたはいつかもう一度、ここへ来なさい。その時、私は同行しないから、あなたが他の人間を率いてもう一度、ここに来なさい。これはキリストからの言葉でもあると思いなさい」と仰いました。
再びエルサレムを訪問する時、私は他のスクール生を率いて行かなければなりません。その時同行する者として、キリストの想いを理解したい、共に働きたい、先生やリラ、私や皆を支えたい、という固い決心のもとに、4人の中級生が志願しました。先生を通して、キリストから2度目のエルサレム訪問を提示された時、私が死ぬほど怖かったように、彼らも大きな恐れを抱いているはずです。でも、だからこそ今後この4人と、そしてリラの仲間やリラに通う人々、周囲の人々と共に、もっと多くのことを学びたい、もっと成長したい、と私は強く決心したのでした。
そして、自分が常に未熟で愚かだということ、自分のその愚かな意識が今もキリストの手足に釘を打ち、キリストを磔にしているという事を、常にこの身に刻んでおかなければならないと思いました。また今後も、私のこのエルサレムでの経験を、自分のものだけにするのではなく、多くの人々と分かち合っていきたいと思いました。


12月12日からは、先生と全スクール生、そして一般参加者で、高野山へ行くことになっています。(詳しくはこちら)
先生はこの3次元世界において、大師の意思を日々体現されておられます。即ち、高野山はリラのルーツであり、まさに源と言える場所なのです。そのため、先生や私達スクール生にとって高野山は最も重要な地なのです。
キリストのエネルギーを内包しつつ、すでにリラのエネルギーは高野山へ向けてシフトしています。
私は、今回のこのエルサレム訪問で、自分の愚かさを嫌と言う程思い知りました。そして、愚かな自分の姿を、心底恥じました。しかしそれでも、そこで経験したことを決して無駄にせず、とにかく少しでも成長した姿で、高野山の大師の元へ行けるように、自分に出来る限りの事をしていくしかないと思っています。

私はこれまで、スクール生として2度高野山を訪れました。
次は、その時の事をお伝えしたいと思います。



市川みどり

コメント

みどりさん、今回のブログはいつも以上に胸に突き刺さりました。
宇宙は私達が望めばいくらでもサポートやチャンスを与えてくれるけど、それは私達が自己不信や被害者意識に陥って、成長を拒みつづければ、決して受け取ることはできないということを心に刻みたいと思います。

前回のスクールで先生からもエルサレムのお話があり、私ははじめて「先生の愛をこんなにも受けて、私は先生のために何ができるだろうか」と考えました。実際には今の私では何もできません。でも「私に何ができるだろうか、何をしたら大きな愛情で包んでくれる先生を喜ばせることができるだろうか」と考えることは私にとっては大きな視点の変換でした。

今回のブログを読んで、みどりさんは先生の痛みを感じ、先生の愛を受け取って、ご自身の成長につなげてこられたのだなということがよく分かりました。みどりさんの在り方から本当に多くのことを学ばせていただいてます。ありがとうございます。

キリストや先生、みどりさんの痛みや想いについて、私はほんの一部分も理解できているかもどうか怪しいほどの意識段階にいるのだろうと思いますが、先生やみどりさん達に見守られていることは本当にありがたいことだと思いました。

先生から与えていただいている愛情や環境に感謝し、相手のことを考えられる人間になれるように意識的に生きていきたいと思います。

みどりちゃん、ありがとうございました。
私は今回のエルサレムの大きなテーマにまだまだ理解が及ばなくても、ないなりに私の無自覚な行動が先生をみどりちゃんを苦しめている、周りにも影響を与えているということの重要性が自分自身に浸透して来ました。
それでも私の理解のなさを受け容れて下さっている先生
の愛を感じ、また失敗をするとしても、もう同じ失敗は2度と繰り返したくないと思いました。
先生の痛みを感じようとすることや、自分が何をしてしまったのか自覚していこうと思います。少しでも成長して高野山へ行きたいと思います。

6回という長さにわたり、内容の濃いブログをありがとうございました。
ブログを見る度に、自分の至らなさに気付かせていただき、より成長したいという気持ちにさせていただきます。
この気持ちを忘れずにいられるかどうかが、今後の自分の在り方に関わってくると思います。
『忘却』という人間の愚かさが私にもあります。
今回、私に炙り出された、人の真意を理解しようとせず、相手の思いを受け取らないという課題を忘れないよう、いつも人の真意、思いを受け取ろうと出来る自分でありたいです。
そして、いつも自分の意思を感じ、自ら望んで1つ1つを選択し、それを忘れないように、心に刻んでいきたいです。

今の私に必要なことは、みどりさんがシェアして下さった苦悩、様々な経験、それにより理解出来た事象や理、それらを自分にも当てはまる事として理解し腹に落とし、自分の糧にしていくことです。みどりさんに多くの事を学ばせて頂き感謝しています。
意識を繋げる為に、地球の歩き方「イスラエル」を買いました。
あと近々四国にキリストと大師を訪ねに行く予定でおります。高野山に繋がる何かを自分なりに得て来れればと思います。今出来ることを積み重ねていきます。

今回のみどりちゃんのブログを読ませて頂いて、言葉にならない衝撃をうけました。

「先生が私のために痛みを受けられ、その先生の痛みを理解しようとすることで、私は自分が何をしてしまったのか自覚し、成長することが出来た」その、みどりちゃんのその言葉がずっしりときました。

私は本当に自分のことばかり・・・私の本当に愚かな在り方で、先生がどんな思いをされてきたのか、どんな苦しみや痛みを先生は受けられてきているのか・・・みどりちゃんがどんな思いをしてきたのか・・・今の私がどこまで、先生やみどりちゃんの苦しみや痛みを理解できるか分からないけれど、とにかく理解したい、理解できるようになりたいと思いました。

宇宙から、先生から、与えられている・・・。与えられている様々なことを、一つひとつしっかり受け止めたい。受け止められる人間になりたい、そして今できること、今この瞬間に何ができるか、何をしたいのか・・・。ブログ等を通じて、苦しみや葛藤や悲しみや怒りや恐れやそしてあらゆる気づきなど、みどりちゃんは、全てを私たちにさらけ出し、わかちあい導いて下さっています。私も自分自身と真摯に向き合いながら、目の前の生徒(中学生)に全てをさらけ出しながら、分かち合いながら、ありのままの姿で生徒と向き合い導いていけるようになっていきたいと思います。

シェアしていただき、ありがとうございます。
重く心に響く内容でした。
私は先生やみどりちゃんの想いや痛みをわかろうともせず、結局は自分のことばかりを考えていたのだと思います。
支えるという意識も欠落していました。
先生に教えていただいたことがどれだけありがたかったか、リラ・アカデミーがどれだけ重要か、わかっているつもりでいただけで何もわかっていませんでした。
高野山に行くために、これからできる限りのことをして行かなければと思います。

私はエルサレム同行を志願した1人です。

しかし、格好の良いものではなく、スクールで志願した時は恐れに襲われて負けそうになってしまいました。しかし、それが何を意味するのか先生に教わり、道を踏み外さずにいられました。

私の意識は先生、みどりさんに到底届かないです。しかし、先生、みどりさんから背を向けたくない、逃げ出したくないという一心でいます。

また、そこには喜びがなければ嘘だという意識も徐々にですが生まれ始めています。先生やみどりさんを自分次第で助けられる、支えられる。自分次第で人類全体にプラスの影響を与えられる…それは大きな喜びではないか。そこにも意識を向けようと思います。みどりさんを支えられる所まで行くために、「やるべき事をやるべき時にやる」ことを続けていきます。


ごとうさん

ごとうさんのコメントに違和感を覚えました。

「みどりさんの苦悩や経験を腹に落とし、糧にする」という表現に違和感を覚えます。何か、自分の成長のため「利用する」という印象を受けます。

「キリストと大師を訪ねに行く」という言葉も引っ掛かります。「訪ねて行けば会える」というような安易さを感じてしまいます。キリスト、大師とはどこにいても繋がろうと意識することが大切なのではないでしょうか。

そして、志願のことに何故触れないのか。公の場で言い切ってしまうことへの恐れでしょうか。

私の思いこみかもしれない、間違っていたらどうしよう…という恐れもありますが、ここで保身に陥るのは違うので、指摘しておきたいと思いました。

今回エルサレムのブログを通して自分のリラみんなの宇宙に対する在り方がそのまま現実レベルにおいて目に見える形となって表れるということがよくわかりました。
その中でいかに日々の意識の在り方が重要か、いかに行動がともなっているかということが日々試されているのだと思いました。みどりさんが出国手続で受けたチェックのようにリラ全体にも及んでいるということを意識していかなくてはいけないと思いました。

また『感じる』ということも日々の中で大切にしていかなければいけないと思いました。自分の内面でおこっている感情を感じること。そして相手のことを自分のことのように感じること。思考ではなくハートで感じることの大切さ。『感じる』ということはとても重要だと思いました。こういうことを日々の中で常に意識をしていかなければ、イエスの想い、先生の想いを理解することは出来ないと思いました。
これからは『感じる』ということを大切にしていきたいと思います。

わたしの「受け取れない」「求められない」という課題はとても大きな問題であると理解していたつもりだったけれど、その重さ 重要性をやはりわかってはいなかったのだと思いました。
与えられてるものに気づけない・気づかないふりをする・感謝できない・受け取らないということを繰り返し、そうやって私はまわりの人たちの愛情やサポートやチャンスを軽視してきてしまった。踏みにじってきてしまった。
そんな自分の傲慢さ醜さともっと深く向き合っていきたい。先生の思いや相手の気持ちをきちんと心で聞ける人間になりたい。理解しそれをちゃんと行動で示していけるようになりたい。
「求めよ、さらば与えられん」その言葉を常に持って、自分の成長を求め続けていきたいと思います。

「私たちの宇宙に対するあり方は、そのまま現実レベルにおいて
眼に見える形となって現れる。」

先生から何度教えていただいても、学べないこと、分からないこと、同じことを繰り返すこと、それがどれほど先生に苦痛を与えてきたのだろうか…
それが自分のあり方だったんだ、と恥ずかしく思い、もう繰り返したくないと思っています。
そして、それでも先生が受け入れてくださっているということがどれほどのことなのか、 先生の愛を感じ、少しでも成長していきたいと思っています。



西崎さんが私に感じた違和感についてコメントさせて頂きます。
みどりさんを利用するつもりはなく、みどりさんの経験を自分にも当てはめて、自分だったらどうしただろう、私も同じような意識だったかもしれない、私も同じ過ちをおかしただろう、だったら次に同じような試練が私にも与えられた時にはどう対処するべきなのかを学ぶことが大切だと思ったのです。あれだけの貴重な経験を惜しみ無くシェアして下さったみどりさんに対して、それを無駄にせず少しでも多くを共有しようという意識を持つことが個々の成長に繋がるし、みどりさんの経験が生きるのではないでしょうか。
キリストと大師には毎日繋がる事を心掛けています。何処にいても意識次第で繋がれるものと思います。コメントでは説明が不足しておりますが、実は四国にはキリスト教の遺跡が幾つもあると言われています。キリスト教の偉い方がわざわざ四国に参拝に来た写真もネットで見たことがあり、エルサレムに通じる可能性のあるものです。四国は当然大師の地でもあり、そこにキリスト教の遺跡があるということは、今回のリラのキリスト教と密教の統合に何か関わりがあるのではないだろうか。次の高野山までに自分のその疑問を確かめに行きたいと思ったのです。存在とは意識で繋がれます。でも聖地や特別な場所においてはまた違った繋がり方や体験があるということはみどりさんのエルサレムのブログでもお判りかと存じます。自分なりに意識をリラに向けた時に今の自分に何が出来るだろうと思い、四国行きを決めました。何年か前に四国で登山し、山頂の祠にどう見ても西洋人の神様が奉られていて不思議に思いました。すごいエネルギーでした。今思うにキリストではなかったかと思うのです。そこにたどり着くには岩場あり、鎖場あり、転落したら死んでしまいます。そこに6才の息子も同伴するつもりですから軽い気持ちでは行けません。この件に関してはきちんと調べて資料をまとめ、またスクールでシェアさせて頂こうと思っています。
エルサレムを志したからこそ「地球の歩き方イスラエル」を買い自分の励みにしようと思いました。恐れや不安が全くない訳ではありませんが、心は決まっています。キリストと出した答えだからです。
以上です。また何か気になることがありましたらご指摘下さい。

みどりさんの今回のブログの中で「身を以って〜」と言う言葉の重さを考えさせられました。

「求めよさらば与えられん」という宇宙の真理の根源を身を以って体現されていらっしゃる先生に導かれている凄さ、ありがたさを改めて実感し、自分への不信感や被害者意識、プライド等のカルマパターンに飲まれたらどうなるか、諸先輩方が身を以って示して下さっている。
もう自分や宇宙を決して裏切らない、そおいう生き方をしたい、自分が望んだ事を忘れずに、それをやり続けていく、選び続けていく自分でありたい。

キリストと同じように身を以って示して下さる先生の愛、「自分や他人の痛みを理解しなければ、本当の愛を得ることは出来ないのだ」と仰る先生のお言葉の意味を、身を以って理解されたみどりさんの深く重い大切な体験を、私達にすべて分かち合って下さった、そのみどりさんの姿から、決して諦めない勇気と魂の気高さを感じ、見習わなくてはと自分に言い聞かせています。
ありがとうございました。

みどりちゃん、とても深いブログをありがとうございました。

私も西崎さんと同じく、エルサレム同行を志願しました。
私はアシスタントとして働かせていただくことになった3か月前、先生より、エルサレムに同行するか考えておくようにとお話をいただきました。どんな意識でエルサレムに行くのか、エルサレムに行くとはどういうことか、キリストの意識とは…考えても分からず、迷いに迷った結果、エルサレムには同行せず、やるべきことは、留守を守ることと思い、留守番をさせていただく選択をしました。しかし今では、エルサレムの地に足を踏み入れるには、全く至らない自分だったとはっきりと分かります。

ごとうさん
四国へ行くなど、ごとうさん自身ができることを一生懸命考えて、行動しようとしているのだと思います。
 
「キリストと出した答え」という表現ですが、私なりに解釈をして、自分の魂が望んでエルサレム同行をキリストに宣言し、キリストより許諾された、ということを指すのかな、と思いました。みどりちゃんがキリストの痛みや想いが分からないことで苦しんでいる姿を読んでいたなら、違う表現になるだろうと思うのですが…
ずれてたらご指摘下さいね。

私自身もこれまでキリストの苦しみや思いがわからず、どうしてよいのかわからないままできました。前回のスクールの前日にエルサレム後初のセッションを受け、自分は本当に理解しようという意識が全く足りていなかった事、差し延べられていた手を自ら払い続けていた愚かさに愕然としました。改めねばと思いました。スクール初日の朝、駅に向かいながらキリストを想うといきなり圧が来て次元上昇の状態になりハートにメッセージを受け取りました。今までメッセージは第6チャクラで感じようと懸命に眉間で力んでいましたが、始めてハートでメッセージを感じることを学びました。キリストに謝罪し続けました。スクール初日はほぼずっとキリストとチャネリングした状態で受けており、これも始めて「存在とチャネルを合わせるってこういうことなんだ」と体感しました。その中で私は必死でした。今度差し延べられた手を振り払うことは、今転生をみすみす無駄にしてしまうことになる。愚かな私のハートにキリストはずっと灯っていてくれました。「力を貸してくれ」と言われました。私がそれに応えなくてどうすると思いました。
だから十字架を取りに行く事に対して心に揺らぎはありませんでした。手を下げようなんて微塵も思わなかったしみどりさんに全責任を負わせることなんてさせないという使命感がありました。組織として繋がっていかねばならないという思いもありました。
自己卑下、自信がないパターンを繰り返して来た自分にはとてつもないチャレンジです。でもやるしかない。
それが「キリストと出した答え」という表現になりました。どうかなとも思いましたが正直に書きました。
四国に関しては、「日本のルーツは古代イスラエル」という説があり、日本民族や神道のルーツがユダヤにあるとするものです。四国にもそれにまつわるものがあると言われています。それを自分なりに学習し確認しようとすることで高野山とエルサレムへの意識に繋げたいと思っています。

みどりちゃん、ありがとうございました。

軽視や忘却、愚かさそして恐れ・・・私の中にもたくさんの課題があることを再度確認しました。
みどりちゃんのブログの内容を通じて、私の持つ愚かさや至らなさも、これでもか、と言うくらい目の前に突きつけられます。
ものすごく痛いし、怖い。
でも一つ一つ向き合えるよう、覚悟を持って取り組んでいくんだ。それしか道はないんだと、今は強く思うのです。

私もエルサレム同行を志願した一人です。
やるべきときにやるべきことを出来るように、努力します。

みどりさん、ありがとうございました。

私も先生やスクール生の気持ちを何度も踏みにじってきました。その度に私はカルマパターンが吹き出し今まで、何も得てきませんでした。
みどりさんの苦しみの中で学び、自分の考えを見出し次に繋げるお姿を見せていただき私もそのように生きたいと思いました。
沢山のカルマが私の中にありますが、一つづつ向き合い時に嫌いになりながらも一生をかけて克服していきたいです。
貴重な体験談をありがとうございました。

パッションを観て、キリストの姿からその想いを理解しようとすることばかりが頭にあり、スクールで先生からマリアのお話を聞くまでマリアの想いまで理解しようとできていませんでした。
また先生や同じ5期の仲間に対しても、軽視し、その痛みに気付けない愚かな自分を目の当たりにし、私の意識がまだこの程度なのだということを思い知らされました。
みどりちゃんの貴重なシェアをしっかり理解し、同じ失敗を二度としないよう意識し、行動できるよう頑張ろうと思いました。

ごとうさん
丁寧な説明ありがとうございました。
情熱をもって行動しているごとうさんの真っ直ぐな気持ちを私自身理解していなかったと思います。
私はこれまでの在り方すべてが軽視そのもので、どれだけ周囲の価値を落としてきたか思い知りました。先生やキリストの痛みを理解できるはずもありません。ましてや人を支えるにはまだまだほど遠いと思います。でも決して逃げたくないし、諦めたくない。課題はそれぞれ違っていても、同じ方向に向かっている仲間であることを意識して、頑張ります。
四国とキリストの繋がり等、実は初めて聞きました。くれぐれも足場には気をつけていって下さい。

美穂ちゃんいつもありがとう。いつも随分支えられていて感謝しています。私は疎外のカルマパターンがあるから、ついつい意識が離れがちになることがありいつも悶々していました。コメントの場をお借りしてでも表現し、思いや決意を伝えて行くことで、わかり合えていけたらと思いました。繋がっていると感じられることは私の励みにもなります。
キリストとのチャネリングはあの日のミラクルでそれ以降はあれ程わかりやすくドッカンとくるものはありません…。鈍く愚かな私の為にキリストが最大のサポートをくれたのだと思います。そして私の未熟具合を示すものでもあります。リラというエネルギーの高い特別な場所なら繋がれて、日常ではダメというのでは明らかに分離だし情けない。あのチャネリングの状態を目指していつでもMAXな状態に持っていけるように日々の取組みを頑張っていかねばならないのだと思いました。
四国の観光教会に問合せると、登山に6才は微妙と言われましたが鎖場には迂回路もあるそうです。行って違ったら違ったで何か得るものはあるでしょう。
頑張ってきます。

ブログ上で多くの方々とこの経験を分かち合う機会を頂き、とてもありがたいと感じています。様々な形で支えてくれた方々に、そしてエルサレム訪問という貴重な機会を宇宙やキリストから与えられたことに、なにより命を懸けて私達を導いて下さっている先生に、心より感謝しています。ありがとうございます。

エルサレムでは、人類の成長のために命を懸けるという先生とキリストの想いや覚悟を今まで以上に目の当たりにすることとなり、自分がいかに愚かで醜くくだらないかということを知りました。しかし同時に、自分がどれほど愛され、どれほど価値のある人類の一人かということも知りました。このエルサレム訪問は私にとって、様々な意味でとても貴重な経験となりました。

一瞬一瞬を意識的に過ごしなさいと、先生がいつも教えて下さいますが、今改めてその大切さをかみ締めています。
先生とキリストの背中は、まだ遥か遠いですが、今より少しでも近づけるよう成長し続けていきたいと思います。そして先生やキリストの想い、エルサレム志願者である西崎さん、後藤さん、みほちゃん、田母神さんの想い、リラの皆の想いをしっかりと受け取っていけるよう、誠実に一歩一歩前進していきたいと思います。

みどりさんが失敗も恥も、そこからの学びもすべてブログにてさらけ出され、その姿で私たちを導いてくださっていることを強く感じてます。そのたびに、すぐに失敗を避ける選択をしてしまう自分を顧みます。
先生やみどりさん、エルサレムに同行される方々をサポートするには何ができるか、常に真剣に考えていきたいと思いました。そしてそれを行動に移していきたいです。

みどりさん、シェアをありがとうございます。
自分に対して誠実である事が、人に対しても、宇宙に対しても、誠実である事、一つ一つの選択に誇りを持てる自分であろうと思います。
努力を苦にしない自分で在りたいです。
これからも宜しくお願いします。

みどりちゃん、本当にシェアをありがとうございます。
失敗を恐れる自分にどう向き合うか。不信感や被害者意識、プライド等のカルマパターンに飲まれない為に何をするのか・・・。
改めて、出来ていない自分の気持ち、人の気持ち・痛みを取りこぼし無く感じることをしてゆきたいと思います。

みどりさん
みどりさんの姿から 本当にたくさんのことを学ばせていただいています。 
諦めず、目の前の自分をしっかり見つめ 差し伸べられた手をしっかり掴み前に進んでいこうとする在り方から、まずは一歩 半歩でも進まなければ・・と思っています。
未熟で愚かな自分を見つめながら、それを受け入れ前を向いていきたいです。 

ごとうさん

ごとうさんの気持ちを教えて頂いてありがとうございました。

言葉というものは人の気持ちを表すツールとしては不完全だし、言葉を受け取る側の意識によって、感じ方も違ってきてしまう(私も美穂さんと同じように、ごとうさんの必死さ、頑張りに意識がいっていませんでした)。だから分からない所、違和感がある所は、突っ込んで聞いていく、よくコミュニケーションを取っていくのが大切なのだと実感しました。また、そうしていくことが、「繋がること」を学ぶための行動の一つなのだと思います。

ごとうさんとはまたメール等でコミュニケーションを取っていきたいと思っています。よろしくお願いします。

みどりさん、いつもおしみなくシェアして下さりありがとうございます。

「宇宙より差し出されたものを拒否し、自分の責任を放棄するということは、現在与えられているものの価値も分かっていなければ、自分がどれほど大きな役割を担っているかという事への自覚もないという事でもあります。」という言葉、今の私にとても大切なメッセージと
して受け取りました。

出来る事を惜しみなく人に与えられる人間になれるよう、自分の役割とやるべき事を日々意識したいと思います。

先生に対して自分がしてしまったことを、目を逸らさずにハートでしっかりと受け止めようと努力しています。
人間としての先生の苦しみに有ろうことか、スクールで先生からお話しいただくまで、全く気付きませんでした。

それに気付いた時、また取り乱して泣いていたところを、
みどりさん、美穂さん、五期の仲間にアドバイスをしてもらえて、落ち着いて今後について考えられるようになりました。

自分のしてしまったことを受け止め、なぜこんな事をするのか考え、成長することが何よりの先生へ、みんなへの謝罪だと教えて頂き、また頑張ろうと思うことができました。ありがとうございました。

そしてそんな様子をも先生はじっと見守ってくれているのだと思うと、私はなんて稀有な機会が与えられているのだろうとありがたさをひしひしと感じています。
しかしながら、まだまだ先生への感謝が足らない、受け取れていない自分の存在も同時に感じています。そんな自分からも目を離さず、しっかりと愛情を受け取れるように、日々意識を高めていきます。

自己否定をすることは愛情をムダにしてしまうということを肝に命じ、早急に取り組む目前の課題として、これに手を尽くし、なんとしても改善していこうと思います。

与えられている愛情を受け取れるようになる度、ひねりをほどいていこうという力が湧いてきます。先生を始め、リラの皆さんのお陰で以前より成長できていると感じます。


人が生きていくのに大切なことは、周囲からの愛情をしっかりと受け取り、生きる力に変えて成長することだと思うようになりました。そして、自分のためだけではなく、同時に人のためにも最善を尽くしたいという気持ちも起きてきています。

リラのブログ、コメントをもっと小まめに読み、その時に感じることをじっくりと見つめ、受け止め、ひねくれた人格を教育する訓練も自分への課題にしていきます。
今回の反省と謝罪を今後に活かしていきます。

ブログを読ませて頂いていると、先生、みどりさん、志願した先輩方の苦しみ、熱意とはどれ程だろうと、想像することしかできませんが、日々、より深く感じようとしながら、自分の課題、仲間の課題に力を合わせて精一杯、取り組んでいこうと思いました。

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